与太郎文庫
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2007年03月14日(水)  モップス 〜 月光仮面ここにも在り 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070314
 
── 1960年代のグループサウンズ「モップス」の元ボーカルで、俳優
の鈴木ヒロミツさんが14日午前、肝細胞がんのため亡くなりました。
60歳でした。
 
 鈴木ヒロミツさんは大学在学中の1967年、グループサウンズ「モップ
ス」のボーカルとしてデビュー、74年にバンドを解散した後は、俳優
に転身しました。「夜明けの刑事」などテレビドラマや映画に多数出演
し、個性的な脇役として活躍しました。
 
 去年12月に腹痛を訴えた鈴木さんは、今年1月中旬に肝細胞がんで
あることが判明。その後、通院しながら自宅で療養していましたが、今
月13日に再入院した都内の病院で容体が急変。14日午前、息を引き
取ったということです。(20070314 17:30)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3515961.html
 
19740423 中野サンプラザで解散。
 
 ◇
 
── 《月光仮面》は川内康範原作の冒険活劇およびヒーローの名。テ
レビドラマの原作として製作され人気を博し、後に映画化される。その
後、1972年にアニメ、1981年に新設定で映画化、1999年にはキャラクタ
ーを転用したギャグアニメも製作された。主演は、俳優の大瀬康一。
(略)
── 《月光仮面のうた》鈴木ヒロミツとモップス。正義の味方の象徴
として名前を歌っており、旧作の主題歌の歌詞を使用しているが曲は変
更されており、本作品とは関係ない。しかし、この歌のヒットにより、
1972年のアニメが製作されることになったと言っても過言ではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%85%89%E4%BB%AE%E9%9D%A2
 


 川内 康範  作家・作詞  19200226 北海道 /〜《月光仮面》
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 星 勝 作曲・編曲・ギター 19480819 ‥‥ /旧名=まさる(Katz Hoshi)
 三幸 太郎  ギター    19‥‥‥ ‥‥ /
 村上 薫   ベース    19‥‥‥ ‥‥ /
 スズキ・幹治 ドラム    19‥‥‥ ‥‥ /ヒロミツの弟
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 鈴木 ヒロミツ 歌手・俳優 19460621 東京  20070314 60 /モップス
〜《月光仮面のうた》[O] 籍=鈴木 博三(弘満)
 1971‥‥(夏)PEPコンサート(円山音楽堂)出演

 
── 川内 康範・詞/小川 寛興・曲/三船 浩・唱
《月光仮面のうた 1958‥‥ 》真のテーマソング
 
── 川内 康範・詞/小川 寛興・曲/近藤 よし子&キング子鳩会・唱
《月光仮面は誰でしょう 19580224〜19590705 宣弘社 KRT-TBS系》
 
── 川内 康範・詞/三沢 郷・曲/ボニージャックス&ひばり児童合唱団・唱
《月光仮面は誰でしょう 1972‥‥ TBS》テレビアニメ主題歌(別バージョン)
 
── 鈴木 ヒロミツ・詞/星 勝・曲/モップス・唱《月光仮面 1971‥‥》
 パロディ改竄のため川内 康範(サイド)が抗議、封印された。
 
── 永井 豪・詞《けっこう仮面 1975? 》エッチなパロディ漫画
── 《月光仮面 1981 映画》
── 永井 豪・詞《けっこう仮面 1990? 特撮映画》
── 《ご存知月光仮面 1999 》ギャグ・アニメ
 
── 森 進一・唱《おふくろさん》20070220 封印騒動
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19471118
 おふくろの子 〜 モリモリ家の人々 〜
 
 事件が起ると、月光仮面に扮した人物がタクシーに乗って現われる。
 ひとしきり演説して、ふたたびタクシーに乗って去っていく。
 1980年代、謎の“なりきりおじさん”がワイドショーに出没した。
 
 ◆ よくわからない男のはなし
 
 HN氏から電話があり、野外コンサートを開催するので、レコードを
出品しませんか、という。よく分らないまま承知すると、5パーセント
のマージンを要求された。
 
 それも承知すると、前日の夜になって10%にしてくれませんか、と
云われた。そこで当日になって商品を運ぶと、想像もしない事態に直面
した。あやうくLPを持ってこなかっただけ助かった。
 
 真夏に屋根のないところにビニール・レコードを並べさせられた。
 これはもう、目を覆いたくなるような事態だった。みるまに目の前で
ドーナツ盤が折れ曲っていく。さすがに、一枚も売れなかった。
 
 与太郎は、HN氏がどう挨拶するのか、興味をもって待ちうけたが、
忙しそうに歩きまわるだけで、通りすぎていった。長丁場の前座バンド
がつづいて、最後にようやくモッブスのステージが始まった。
 
 ◇
 
 それはもう力強いサウンドで、ジョークもパンチが効いていた。
 とくにヒロミツのアクの強いセリフに、インパクトがあった。
 あぁ、この男は天才だな、と誰もが感じたにちがいない。
 
 アドリブではないが、たったいま思いついたようなギャグが可笑しい。
 ♪「想い出の夏、失ったり……得たり」つられて聴衆も笑ってしまう。
 云ってる本人が、いまにも吹きだしそうな間合いが絶妙だった。
 
 だが、モップス解散後のヒロミツは、全盛期の人を食った態度から、
とても腰が低くなって、面白みが失せてしまった。
 こんなにキャラクターが変化したタレントも珍しいと思われる。
 
 《月光仮面》を改竄したパロディ盤が、原作者の抗議で封印された。
 こんどの《おふくろさん》騒動と、なにやら似ているようだ。
 わけ知りぬべき人たちも、奥歯にもののはさまったような反応だ。
 
 ◇
 
 そのあと、HN氏から電話もなかった。10%の集金にも来ない。
 与太郎の損害は、アメのようになった約100枚のEP盤である。
 彼のような経験者が、どうしてこんな計算ちがいをしてしまったのか。
 
 そのまま、どちらも知らぬ顔で一年ばかり過ぎていった。
 なるほどそうか、気まずいことがあれば、こうして忘れるらしい。
 一年後に、与太郎が喫茶室をオープンしたので、案内状を出した。
 
 テレビ局の新米プロデューサーを連れて、彼は平気な顔で現われた。
 どういうつもりか、いまも分らないが、彼にも言い分はあるのだろう。
 かくして彼は(与太郎の前で)ボソボソと語りはじめた。
 
 せっかく招いた録音スタジオで、与太郎の態度が横柄だったこと。
 テレビ局の熟年プロデューサーを接待した与太郎の態度が卑屈だった
(彼は、その場に同席したにすぎない)など、いずれも数年前のこと。
 
 さすがに、与太郎もブチ切れてしまった。
「手ぶらで来て(花輪も寄こさずに)なんだその言い草は! いいから
勘定を払って、トットと帰りやがれ」
 
 すると彼は、ポケットから小銭を出してから、すっかり意気消沈して
帰っていった。すんでのことに、小銭をブン投げたい衝動にかられた。
 いまもって彼の真意が分らない。彼もまた分らないままであろう。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710801
 PEP 〜 中川 秀雄とその世界 〜
 
(20070314)
  


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