与太郎文庫
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2006年06月09日(金) |
自動翻訳の女 〜 悪女は淑女を駆逐する 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060609 「わたしは、オートマチック車の免許しか持たない女なのよ」 映画《年上の女 197909‥ America》で、年下の男の求愛を拒むシーン。 いまなら「自動翻訳ソフトがなければ読めない女なの」(20050427) Travolta,John の前に、Signoret,Simone の主演女優賞作品もある。 《年上の女 〜 ROOM AT THE TOP 〜 195907‥ England》 どちらも、編集中の洋画年表に欠けている。道はるかなり。 このセリフは、いろいろな場面で応用できるはずだ。 「わたしは、自動翻訳ロボットのようにしか話せない女なのよ」 「いいとも、ぼくは自分勝手にしゃべる女なんて、大きらいだから」 いまや、空飛ぶジェット機の安全も、自動操縦装置に委ねられている。 与太郎のコラム“イスラム・シリーズ”でも取りあげたが、もともと 司馬 遼太郎のエッセイをからかったものである(詳細別稿)。 つぎの英語ジョーク“One pilot,one dog”が、うまくまとめている。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030319 ── 田村 忠彦《エアライニーズ 20000301 オフィス・アドマール》 ◇ むかし60人の学級で、みんな研究社のコンサイス英和辞典を使って いたが、いつのまにか、旺文社とか福武書店などの割合が増えた。 このような現象は、ネットにおいて著しい結果を招く。 ネットの普及を見込んで、マイクロソフトが《ブリタニカ大百科事典》 を電子化して、書籍なら37万円のところ、約7万円で売りだした。 鬼に金棒とみられたが、みごとに売れなかったのである。 その後、ネットが生みだしたのは、誰が書いたのか分らない、匿名の 筆者による無料の大百科全書《ウィキペディア》だった。 数年たたぬうちに《ブリタニカ》の閲覧数をしのぐ勢いに発展した。 与太郎が云いたいのは、60人学級で、誰かがタダの英和辞典を持ち こんだ結果、卒業時のシェアが半数を越していたようなものだ。 もちろん、教育委員会や学校や教師やPTAは、渋い顔をするだろう。 ◇ 「あんなものは使いものにならない」とか「誤植だらけだ」などなど、 要するに、大人たちが切磋琢磨した頃の「コンサイスこそが標準だ」と いうのが反対意見の底流になっている。広辞苑信仰と似ている。 さらに、その結果、どういう現象が起きるかといえば、新しい辞書の 誤植部分が、あたりまえのように大手をふって通用しはじめるのだ。 現代用語として「ら抜きことば」などが認知される。 いま、われわれの周辺に、自動翻訳ソフトが「使いものにならない」 という老人たちが実在する。一方では、老人たちの主張を真に受けて、 「英語はネイチュァに限る」と思いこんでいる若者も少なくない。 しからば、やしき・たかじんの大阪弁と、ダニエル・カールの山形弁 では、どちらが好ましい日本語だろうか。 もちろん阪神ファンは、後者を排斥するにちがいないが。 このような保守的な老人と、年寄りくさい若者は、横綱審議会の委員 が「相撲こそは日本の国技だ」と云って《君が代》を主題歌にしている うちに、気がつけば三役以上ことごとく茶髪になるかもしれないのだ。 ◇ 以上は十年来の与太郎の持論である。むかし20万円で買った平凡社 の《世界大百科事典》をゴミに出してしまったほどの確信犯でもある。 この問題の核心は、Q&Aサイトでも窺い知ることができる。 たとえば、どことなくギゴチない日本語で、日本文化や歴史に関する 質問が登場する。注意深く読んでみると、質問者はアジア・アフリカの 諸国に散在する“日本語学徒”らしい。 >> No.1777507 質問:北京語で「文字化け」を何と・・・? 質問者:googoooshiete 表示→エンコードで文字変換しても、ワードに貼り付けても、北京語 のメールが文字化けして読めれないです。 中国語の本を見ても分からず・・北京語で「あなたからのメールは、 残念ながら、文字化けして読めないです。もう1度同じ送って下さい。」 と何と言えばいいのでしょうか? 教えて下さい。 05-11-14 00:17 困り度3:直ぐに回答ほしいです 回答件数:4件 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1777507 << 彼らは、とくに外国人だからといって気負ったりせず、遠慮もせずに、 ほどよくリラックスして、いささか珍妙な日本語を使う。 もしこのような現象が30年つづいたら、どうなるのだろうか。 いま東京では、百人に一人が中国人だという。在日朝鮮人やその他の 外国人を合算すれば、山形弁や鹿児島弁の人々よりも多いはずだ。 生粋の江戸っ子などは、人間国宝に指定して保護されるべきだろう。 ◇ 「自分の文章が、正しく伝わるかどうか、自動翻訳ソフトで試してみる」 “It tries with the automatic translation software whether to transmit my sentences correctly. ” いったん英文になったものを、ふたたび日本語に戻してみる。 「自動翻訳ソフトウェアで試みる、正しく私の文を伝えますか?」 どことなく不満はあるが、云わんとすることは十分に伝わるはずだ。 以上は「エキサイト」だが、つぎに同文を「ヤフー」で試してみよう。 http://www.excite.co.jp/world/english/ http://honyaku.yahoo.co.jp/transtext “I try to test whether one's sentence comes definitely by automatic translation software ”「私は、その人の文が自動の翻訳 ソフトによって確かに来るかどうかについて調べようとします」 この例文で「エキサイト vs ヤフー」を比べれば、前者は後者に勝る。 この他に「THE 翻訳」というソフトが、パソコンに内臓されている。 右クリックして「ページ翻訳」「翻訳設定」「指定範囲翻訳」できる。 ◇ 少なくとも百年前(1896年以前)まで、心臓に触った者はいなかった。 当時の辞書は「心に触れる」とだけ説明すればよかったはずだ。 だが、近代外科学が進歩するにつれて、あたらしい現実が展開する。 エリザベス皇后暗殺の2年前に、外科医師が心臓縫合を試みていた。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19151028 外科の夜明け 〜 エリザベスの心臓 〜 いまでは、われらが先輩・小山素麿くんのように、年に数十回も脳に メスを入れている名医が、有賀くんの本の英文タイトルをみれば、おそ らく「心臓に触った人々」をイメージするのではないか。 コロンブスを送り出した人々は、心の中で「地球が丸いはずがない」 と思っていたのではないか。数ヵ月後、コロンブスが命からがら帰って きても、やはり「地球は平らだったからだ」と思いこんでいたはずだ。 ◇ 言語の特性は、単語にあるのではなく、脈絡にあらわれる。 接続詞や、リエゾンのような機能が決め手になることもある。 ホリエモンは、大学入試の要諦は英単語の丸暗記にあると看破した。 部品の名を知っていれば、全体の姿が見えてくる、と主張した。 こうして東京大学を現役合格したが、別の合格者も存在する。 灘高出身の勝谷誠彦は、断じて改行しない悪文を日々連載している。 それはそれなりに、多数の読者をあつめている。 これを自動翻訳すれば、ぞっとするような結果が予想される。 ◆ いまさら老友が、議論してみても始まらないが、与太郎へのメールで 彼は“いにしえの友よ”などと呼びかけてきた。 まさか、古ぼけた老人という意味ではないだろうが。 与太郎は、彼を“楽友”と呼んで畏敬している。気楽な奴だ、という 意味ではなく、はじめて楽譜のシステムを教えてくれたからだ。 さらに与太郎は、家族のためよりも、友情に殉ずることを尊んでいる。 しかしながら、しばしば友情には危機が発生する。おたがいの信念が、 他の者には回避できるのに、友情に甘えて正面衝突することもある。 (このことは下記に詳述した) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581021 シンコペーション 〜 決裂と和解 〜 ◇ 翻訳の議論は、たぶん平均律と純正律(自然律)のようなものだろう。 自然律は調性の固有の音程に束縛されるので、自由な転調ができない。 声楽や弦楽器は演奏途中に調律し直したりできるが鍵盤楽器は無理だ。 平均律の音程は均等だから、自由に転調できる。そのほうが便利じゃ ないか、という見本がバッハの《平均律ウラヴィア全集》である。 しかし、西洋人には純正律信仰というものもあって、とくに教会音楽 では“天上の和声”でなければならないと考える人たちがいる。 そこで、日本人の物理学者が“純正調オルガン”を開発したという。 田中 正平 音響学 18620612 淡路 千葉 19451016 85 /文久 2.0515 /1899ハンス・フォン・ビューローが“Enharmonium”と命名。 その原理は簡単で、1/2半音を1/3半音に細分したのである。 これを聴いた西洋人は、はじめ感心して受けいれたそうだが、結局は 忘れられた。あくまで擬似的な平均律にすぎなかったからである。 1/3半音を1/4半音に細分すれば、たどりつくのは無調音階だ。 ◇ ピアノの調律についても、かねがね疑問がある。 古い学校の古いピアノは、何年も調律しないとガタガタになる。 ネジが甘くなるので、いったん調律しても、すぐに緩んでしまう。 しからば真新しい音楽ホールの、真新しいピアノなら万全かといえば どうもそうとは限らない。調律師のコンディションが一定でないから、 野球のピッチャーと同じく、日によって出来ばえがことなるのは当然だ。 弦楽器の経験者なら理解できるはずだが、わずか四本の調律なのに、 日によって、なじんだりなじまなかったりするのだ。 きっかり5度調弦のはずが、トゲトゲしい響きや、鈍い響きになる。 与太郎はプロではないから、いいかげんなことを書くようにみえるが、 プロの音楽評論家も、ほとんど演奏経験なしに大胆なことを書いている。 奇怪なことに、彼らは一度たりとも、調律師を咎めたことがない。 ◇ 今回の行き違いも、他人からみれば、双方ゆずらない舌戦の応酬かの ごとき印象を与えるが、出版目前で緊張している老友を、与太郎が一歩 ひいたところで、口をはさんだのが原因である。 本番直前のフルート奏者に「きみの音は、二階の聴衆には、ちがって 聞こえるぜ」といえば、誰だってムキになるようなものだ。 老友は、いにしえの友情に乗じて、からかわれたと思ったのだろう。 しかし、もっと辛辣にからかうこともできる。 どうせ3ヶ月後には、もとどおり笑って思いだすはずだから。 「きみの翻訳ソフトぎらいは、トーキー出現後のジンタ楽士みたいだぜ」 与太郎は、かならずしも平均律論者ではないが、たとえばピアニカの ような楽器の強制普及は、根こそぎ音楽教育をダメにしたと思う。 純正律信仰からは、バッハは容認できない。あるいは鍵盤楽器が進歩 しないし、電子楽器やシンセサイザーも登場しないはずだ。 毛筆を尊重するあまり、活字文化を拒否するようなものだ。 プロテスタントがカトリックに勝利した理由は、グーテンベルグと、 ルターが《聖書》を印刷したからだ。いまもなお公式に《コーラン》の 印刷・翻訳を認めないイスラム教は、産業革命を拒否したままだ。 (20060610)
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