与太郎文庫
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2006年01月16日(月) |
出帆記 〜 勇気ある人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060116 ── ただに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋。冬。 ── 清少納言《枕草子 09‥ 岩波文庫》P282 ことし春から、中林さんが、古希を記念して世界一周に出帆する。 どんな周航予定かと思いたって、ピースボートの資料を取り寄せたら、 連日朝昼晩と勧誘の留守電がかかってきた。 20060112 12:40 数回目の居留守録音。とてもおっかない切口上だ。 20060116 17:00 最後の電話に説教する。 「なんべんも電話しなくていいよ。アリコじゃないんだから」 「あ、そうですね(笑)」 「辻元 清美さんの営業方針かもしれないが、あんまりしつこいと商品 の品格をそこねるよ、もっと胸はって売ればいいんじゃない?」 「あの、カタログが届いたかどうか確認したかったんですけど……」 「そんなら、返信はがきを入れるとか、メールだっていいんだろ?」 「それはそうですけど……」(なんだか辻元清美そっくりの声だ) 「友人がピースボートに乗るっていうんで、カタログを請求したんだ。 ボクが行く気になれば、勝手に申しこむからね」 「おねがいします」 「この電話は、大阪からかけてるのかい?」 「そうです、東京にも本部がありますけど」 「もう電話はいいからね、はい、ごくろうさま」 ヤマハがボートを発売した1969年頃のPR(*画像)。 共有オーナー・システムを提案してみたが、すぐには採用に至らず、 数年後に実現している。 1973年頃、故・佐々木 敏男君が“洋上大学”を企画している。 もとは与太郎のアイデアで、ハワイ往復武者修行“without Japanese” だった。ほかに「モーニング・コール」や「教えます」など多数。 “タヌキ”こと木下 聖治君は5年前からヨットを始めたそうだが、 買ったのなら贅沢すぎるし、借りてるだけならみすぼらしい。 当時セールス・エンジニアが花形だとかで、江商に入社して蝶理から 日商岩井に移ったそうだが、なんべん聞いても覚えられない。 その他の諸君には、門脇 邦夫君は、単身ソビエト連邦を走破した。 枡 優 君は田村君の同僚で、数すくないロシア語の達人だった。 彼の手許に毎日《プラウダ》が配達されていたそうだ。 (20060131)
河原 満夫君の年賀「インドはいろんなことを考えさせる国です。」 Let'20060101-0103 from Mr.Kawahara,Mitsuo ── アジアは、生きたい、生きたい、と叫んでいるのだ。西欧は、死 にたくない、死にたくない、と云っている。 ── 堀田 善衛《インドで考えたこと 1957 岩波新書》 >> ◆ ピースボート世界一周 20060405-0716 使用客船:トパーズ(パナマ船籍) 31,500トン
0405 横浜 0406 神戸 0411 ダナン(ベトナム) 0415 シンガポール 0420 コロンボ(スリランカ) 0430 アカバ(ヨルダン) 0503 ポートサイド(エジプト) 0506 ピレウス(ギリシア) 0508 カタニア(イタリア) 0510 トリポリ(リビア) 0516 ビルバオ(スペイン) 0519 ティルブリー(イギリス) 0522 ベルゲン(ノルウェー) 0526 ダブリン(アイルランド) 0605 ニューヨーク(米国) 0611 モンテゴベイ(ジャマイカ) 0614 クリストバル(パナマ) 0617 アカフトラ(エルサルバドル) 0620 アカプルコ(メキシコ) 0628 バンクーバー(カナダ) 0704 スワード(米国) 0715 横浜 0716 神戸
http://www.peaceboat.org/cruise/0604/index.html <<
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