与太郎文庫
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2006年01月15日(日) |
黒白記 〜 大阪外大の人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060115 司馬遼太郎は、大阪外国語大学モンゴル語学科の出身である。 入試科目に数学がない国立大学に、秀才が集まったともいう。 与太郎がめぐりあった四人は、ふしぎなことに、みんな碁を打つ。 若き日の原田氏が、ある女性に結婚を申しこんだところ、その母親に 「ろくに大学も出ていない男に娘はやれない」と断わられた。 そこで一念発起して、英語学科に合格したのだそうである。 卒業すると、もっと上等の女性にめぐりあった。 原田夫人は、長州(山口県)の上原家出身であって、いまをときめく 安倍晋三の祖父兄弟(岸信介&佐藤栄作)を後援した一族だという。 義兄・上原氏は慶応ボーイで、花柳小菊の恋人(自称)だったそうだ。 義弟・上原正夫君は、ことしも与太郎に年賀状をくれている。 (二度の来宅では、夜を徹して語りあい、一睡もせずに帰っていった) 原田氏は(いつどこで覚えたのか)西宮ロータリー・クラブで並べる ほどの腕前らしい。やがて輸入商を創業(日本歯科用品輸入協会副会長)、 数年下の同級生・林氏を参与に招いた。 林氏は(碁は打たなかったかも知れないが)麻雀の達人である。 かつて与太郎は、少なくとも(約半年に)数十万円献上している。 話題豊富で軽妙洒脱、いつ会ってもパーティ向きの粋人だった。 印度哲学科出身の高原氏は、将棋三段・囲碁七段・柔道六段、まさに 文武両道、カラオケまで有資格者だった。三番ばかり将棋を教わったが、 第三の道“酒と女と歌”では与太郎もひけをとらなかった。 京都放送局きっての優男、中林さんが、ロシア語学科を選んだわけは 聞きそびれたが、共産主義や革命理論はもとより、ドストエフスキーや トルストイも似合わない。はるかむかし、つぎのような弱音を聞いた。 「外語を出てるからって当てにされるが、ほんとは英語は弱いんだよ」 私立外大のドイツ語学科出の新入社員(アッシュ貿易課)も、おなじ ことを云っていた。真偽不明だが、つぎのカラクリがあるらしい。 外大の入試は、数学が免除され、英語以外の外国語を選べるそうだ。 つまり、英語なら実力A級のところ、ドイツ語ならB級、スペイン語 はC級、モンゴル語ならD級あたりで合格するのではないか(???) (20060115-0123)
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