与太郎文庫
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2005年12月14日(水)  これも歴史認識か 〜 ペンを借りた人々 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051214
 
 ミズーリ艦上のマッカーサーは、往年のペリー提督が用いた旗を掲げ、
当時のペンまで用意していた。敗者を代表する重光外相は、降伏文書の
署名にあたって、秘書官の万年筆を借りた。
 
 そのときの外相秘書官は、終戦記念日(0815!)に亡くなっている。
 日中関係が硬直する中、小泉首相が温家宝首相から毛筆ペンを借りた。
 気づいた者は拍手したが、このパフォーマンスを思いついたのは誰か。
 
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 <小泉首相>首脳宣言署名で温首相にペン借りる
 
 【クアラルンプール藤田悟】14日の東アジアサミットの首脳宣言署
名式で、小泉純一郎首相が中国の温家宝首相から毛筆ペンを借りて署名
する一幕があった。
 署名式では、温首相と小泉首相が隣り合わせの席順。温首相が持参し
た毛筆ペンで署名を終えると、左隣の小泉首相は自席前に用意されたペ
ンは取らず、温首相の方に右手を差し出した。温首相は一瞬戸惑った表
情で右側のアブドラ・マレーシア首相の方を見たが、すぐに小泉首相の
意図を解して毛筆ペンを手渡した。小泉首相はこのペンで署名した。
 この一幕に、会場にいた各国外交団から拍手が起きた。冷え込んだ日
中関係を懸念する外交団の拍手には「ペンの貸し借りが両国の関係改善
につながってほしい」という期待が込められていたようだ。
(毎日新聞) - 12月14日22時4分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051214-00000138-mai-pol
 
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 温  家宝  国務院総理 6 194209‥ China /北京地質学院卒
 小泉 純一郎 総理大臣87-88 19420108 Japan /慶応大学卒/ロンドン大学留学
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 Perry,Matthew Calbraith  17940410 America 18580304 63 /海軍提督
18530708 浦賀来航/19540303 日米和親条約締結/──《日本遠征記》
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 重光 葵   外務大臣   18870729 大分  19570126 69 /1945降伏文書調印
1932上海事件で負傷/改進党総裁/禁固 7年
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 MacArthur 1,Douglas 元師 18800126 America 19640405 84 /連合軍最高司令官
19450930-19510416 滞日
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 竹光 秀正  元外相秘書官 1914‥‥ 大分  19980815 84 /19450902万年筆貸与
/元信用農業協同組合連合会長

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051009
 疑わしい人々 〜 威張れる十二人の男たち 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19971220
 その男、一三 〜 伊丹十三の謎 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19921223
 極月〆日の極東極刑
 
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── 重光さんは死ぬなよと勅語を賜り、恐慨感激してホテルに戻り、
明日はどのペンを使ってサインしようかと考えます。ここはひじょうに
おもしろいんです。秘書官が「サインの時はたぶん調印式場の机の上に
ペンが置いてあると思います。それを使われるのではないですか」と言
います。しかし重光さんは「考えてもみよ、そんな敵軍のペンでサイン
なんてできるか」と言う。まあ笑い話みたいですけどね。
 
 秘書官が「では、大臣、あんたの万年筆でサイン申されたらいかがで
すか」と言います。それに対して重光さんは「俺の万年筆はいい万年筆
だ。こんな立派な万年筆でサインなんてできるか」という意味のことを
言うわけです。そしてふと見たら、秘書官か下げていた万年筆があった。
それはちびた万年筆でした。「ちょっとそれを貸せ」と言って書いてみ
たら、先がちょっと裂け気味になっていて、とても万年筆と言えるよう
なものではありませんでした。重光さんは「これがちょうどいい。俺は
これを持っていく」と言って、その万年筆を持って行くことにした。敗
戦したとは言え、やはり日本人の心意気ですね。
 
 ご存じのように重光さんは上海公使をしている時に中国人から爆弾を
投げつけられて片足を失っています。ですから、杖をついて片足でミズー
リ号を登っていくんです。その調印式の写真が今でもあります。彼は調
印して帰ってきた時、歌を詠んでいます。
 
 願わくば御国の末の栄え行き吾名さげすむ人の多きを
 
http://www.seisaku-center.net/archives/ito-lecture/tetsuo-ito130825.htm#
── 《ミズーリ号上の重光》
 
作成日: 2005/12/15


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