与太郎文庫
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2005年11月10日(木) |
西洋講談 〜 現代人の老化と文明の疲労 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051110 開口一番、かつての酒友・竹内 康 君は同時多発テロにふれた。 ── 《悪友四重奏 〜 いそむらでイスラムを論ず 〜 20010920》 「どうして、カッターナイフなんかで、あんなことができるのかな?」 「それは弱い者を狙うからさ、たとえば赤ん坊とか」「なるほどね」 NHKのジャーナリストなら、いろんなことを知ってるかと思ったが、 彼もまた凡庸な疑問を抱いていたのだ。 あとで思いだしたが、まさに映画《七人の侍》の導入部そのままだ。 「そもそも、ユダヤ教との癒着が原因だ、アウシュヴィッツへの謝罪や イスラエル建国に、イスラム教徒の不満が暴発したんだ。現代人の老化 と文明の疲労だな」与太郎が、もっともらしく講釈してしまった。 おまけに「イスラム教徒は、ペルシア・ルネサンスを開花させたが、 いまだ産業革命を経験していないのだ」と、持論をぶつ。 彼が「なるほどね」と合槌を打ってくれたので、とても気分がよい。 彼のいいところは、決して知ったかぶりしないことなのだ。 (ときに愚か者の矛盾を嘲笑するのは、優越感からではない) その美徳に気づいた者だけが、彼の友人となれるのだ。 その日は、32才のころから32年ぶりの再会にあたる。 「この32年間、テレビの黄金時代だったね」与太郎が彼を祝福すると、 「うん、そう」と用心ぶかく同意した。 数年前の手紙で「NHKは決して止めない、BBCが映るかぎり」と 書いたのを思いだしたのだろう。(Let'20010106-0112) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19960605 「歴史の清水先生って居たよね」「講談調の?」「?」「西洋講談のね」 彼は一瞬いぶかったが、あの先生の、とくにフランス革命の名調子に 薫陶を受けて、京都大学仏文学科に進んだのだろうか。 彼がチーフ・ディレクターを務めた《歴史への招待 197.-198. NHK》 では、NHKきっての看板アナの語り口もまた“講談調”だった。 (以下、彼のエピソードは、しばしば別稿《NHKの人々》と重複する) 講釈師のような名調子は、歴史を真実から遠ざけるという人もいる。 かつて椎野PDが「あれは“読み物”だろ?」と揶揄したように。 ── 加瀬 英明《ロシア革命の内幕 1967ca‥ 週刊新潮》(書誌未詳) いままた松平定知アナが、朗読に意欲を示している。 あたかも彫刻のような語り口はすばらしいが、いかんせん日本語には 国際的な互換性がない。それでもよいと考えているのだろう。
徳川 無声 活動弁士 18940413 島根 東京 19710801 77 /〜《宮本武蔵》 鈴木 健二 アナウンサー 19290123 東京 /→(みちのく・参照) 松平 定知 アナウンサー 19441107 満州 /19910525タクシー暴行事件
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