与太郎文庫
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2005年10月01日(土)  田辺家の人々 〜 百歳の母 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051001
 
 毎日々々原稿を書いていたら、あるとき家政婦がたずねた。
「奥さん、そないようけ、なに写してはりまんねん?」
 女流作家が語る、きわめつけのエピソード(真偽不明)(20050726)。
 
 ところどころおかしなところもあるんですよ。
 あるとき荷物を片付けているので「どうしたの?」と聞くと。
「いつまでもこうもしてられませんので、おいとまします」云うんです。
 
 編集者が三人来られたので、わたしがお茶を持っていくと、みんなで
私語してはるんです。そこへ車椅子の母が通りかかると、三人の編集者
が立上って、それぞれ名刺を差しだすんですよ。
 
 母は悠然と受けとってましたけど、編集者は、わたしのことを家政婦
さんやと思うてはったんですわ。
── 黒柳 徹子《徹子の部屋 20050628(火)13:20〜13:55 瀬戸内海放送》
 
── 田辺勝世さん(たなべ・かつよ=作家田辺聖子さんの母)1日死
去、100歳。岡山県出身。葬儀・告別式は3日午後1時半から大阪府
吹田市桃山台5の9、公益社千里会館で。喪主は長男聡(あきら)氏。
http://www.kyodo.co.jp/?PG=STORY&NGID=mour&NWID=LATEST
 
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 “カモカのおっちゃん”川野氏が死去
 
 人気作家、田辺聖子さんの夫で“カモカのおっちゃん”の愛称で知ら
れる医師、川野純夫(かわの・すみお)氏が14日午後11時36分、
心不全のため、兵庫県伊丹市内の病院で死去した。77歳。鹿児島県出
身。自宅は伊丹市梅ノ木5の6の12。葬儀は16日午後1時から、同
県西宮市城ケ堀町1の40の公益社西宮山手会館で。喪主は妻の田辺聖
子(たなべ・せいこ)さん。
 田辺さんのエッセーに“カモカのおっちゃん”として登場し、ユーモ
アあふれるキャラクターで親しまれた川野さんは、鹿児島大医学部卒業
後、神戸市内で開業。直木賞候補にもなった前妻の彰子さんとの間に4
人の子をもうけたが、彰子さんが急逝。田辺さんが彰子さんの思い出を
新聞に書いたことが縁で、昭和41年、未入籍のまま事実上再婚した。
 田辺さんは未入籍の経緯について、「籍を入れようとしても区役所が
どこにあるかわからなかったし、行く暇がなく、入れ損ねてしまった」
とマスコミのインタビューに答えている。
 51年に脳溢血で倒れ、4年後に再度発作に襲われたことから、神戸
市内の診療所を閉鎖していた。 (夕刊フジ 20020115)
 
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 田辺家の人々
 
 田辺 □□ 聖子の祖父 18‥‥‥ 大阪    19‥‥‥ ? /1905写真館創業
 田辺 □□ 聖子の祖母 18‥‥‥ 大阪    19‥‥‥ ? /
 田辺 □□  聖子の父 190.‥‥ 大阪    19‥‥‥ ? /
♀田辺 勝世  聖子の母 1905‥‥ 岡山 大阪  20051001 100 /
 田辺 聡  勝世の長男 19‥‥‥ 大阪           /
♀田辺 聖子    作家 19280327 大阪         /“おせいさん”
 田辺 □□ 聖子の次妹 19‥‥‥ 大阪           /
 田辺 □□ 聖子の末妹 19‥‥‥ 大阪           /
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 川野 純夫 皮膚科医師 1925‥‥ 鹿児島 兵庫 20020114 77 /1966再婚
♀川野 彰子    作家 1928‥‥ 鹿児島 兵庫 19640911 36 /急逝/純夫の前妻
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── 川野 彰子《色模様 1962‥‥ VIKING 136号》第47回芥川賞候補
── 川野 彰子《廓育ち 196307‥ 新潮/1964 文藝春秋新社》第50回芥川賞候補
── 田辺 聖子《感傷旅行》1963下期芥川賞《船路/晩ごはん食べた?/田辺源氏》

 
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kogun/kogun47KWA.htm
 
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 喪ったもの 
 
田辺聖子さんの初めてのフォトエッセイ。
田辺さんが大阪福島の田辺写真館に生まれ、
その写真館が昭和二十年六月一日の大阪大空襲で焼け落ちるまでの日々
を焼け残った写真とともに綴った、豊かな戦前の昭和へのオマージュで
ある。
と、同時に熱い反戦の書であり、痛恨と哀惜の書でもある。
私は戦前の昭和を知らない。
民主主義ではなかった、戦前の昭和はただただ暗い、貧しい時代でしか
なかったのか・・・。
田辺写真館の夕食には「ビフカツ」が供されて、
雇用人も主人も皆同じようにナイフとフォークでそれを食した。
軍国主義に毒された戦前の日本は、
アジア諸国を侵略することに全国民挙げて血眼になっていたのか・・・。
出征する若者は皆、鬼畜米英と信じていたのか・・・・。
戦前の昭和文化は全て、戦後の文化よりも劣ったものだったのか・・・。
 
田辺さんの描く戦前の小学生が迎える元旦の風景は
こよなく佳き物であると私は思う。
それを失ったことが、現在の大きな病根であると切に思う。
戦前の小学生は、元旦の「あらたまり」「常にない謹厳な心地」を
理屈でなく教わってきた。
畏まる日、キチンとする時というのがこの世にはあって
何とはなしにお行儀良くしなければならない場面がある
ということを、私たちは子供に問答無用で伝えていかなければならない
と思う。そういう「けじめ」の文化が、戦後蹴散らされていったのは何
故なのだろう?
 
靖国神社に総理大臣が参拝して何が悪い。
戦死した庶民は皆、靖国に神として祀られると信じて死んでいったのだ。
私たちの親や祖父母が築いてきた戦前の文化は皆
戦に負けたその時から、醜悪な愚かな、無知蒙昧な野蛮な、
低劣な恥ずべきものとなっていいのか、そんなことなのか、敗戦とは。
 
聖子ちゃんの美人のツンツン叔母の、豪奢な着物
聖子ちゃんと妹の「ヨネツ」の子供服
ターキー人形、お父さんのボルサリーノ、お母さんの髪飾り
 
みんなみんな、焼けてしまった・・・・。
 
アジア諸国に迷惑をかけたわが日本は
無くしたものを弔うことさえ赦されないのか。
田辺写真館が見た戦前の゛昭和゛は、
鬼畜の時代、恥ずべき姿だったのだろうか・・・・。
 
2005-05-24/uta
── 田辺 聖子《田辺写真館が見た”昭和”2005 文藝春秋》
http://www.review-japan.com/folder/p1926.html
 
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作成日: 2005年6月28日(火)13時34分(2005/10/02)


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