与太郎文庫
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2005年10月02日(日)  国誉の予告 ~ 黒田家の人々 ~

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051002
 
 かつて、コクヨの入社試験では、数百枚の伝票が受験生に配られて、
「いかなる法則でもよいから、一定のルールで並べかえなさい」という
設問が(毎年)出題されたそうです。
 
──  「汚してもよい、破れてもよい。ただし必ず、もとへ戻せ!」
 アメリカ連邦警察の資料室では、ドアの張り紙に、こう書かれていた。
── TV-Series《F.B.I.,The 1965-1974 America》より(詳細未詳)
 
 タイトルをアルファベット順に並べる習慣が、いかに重要だったか。
今や、エクセルなら一瞬にして可能だが、パンチ・カードを生みだした
IBMのファイリング・システムこそ、アナログ情報の原点でした。
 
└ 質問者のコメントbaihen (99) 2004/11/18 17:35:29
 すばらしい。目から鱗です。
 情報の取扱いについての考え方が変わりそうです。
 
http://www.hatena.ne.jp/1100762734
── 《はてなQ&A》(URL=略)
── 《私の知的生産の技術より“十二人の怒れる女たち”序説》草稿
 
>>
 
 黒田善太郎は1879(明治12)年2月、富山市で、黒田屋7代目善三郎の
長男として生まれた。黒田屋は当時マッチ製造業として盛んだった。何
不自由ない幼少時代をおくっていたが、黒田が高等小学校3年の時、父
が38歳という若さで突然他界、黒田の人生は大きく変わってしまう。翌
年高等小学校はどうにか卒業したものの、家業は人手に渡り、黒田は母
を支えるために奉公に。しばらく雑貨問屋に勤めた後、1898(明治31)
年、20歳で黒田は大阪に出る。亡き父のつてをたどって、マッチ製造業
の電光社、さらに乾物屋を経て、1901(明治34 )年、23歳で和紙を綴
じた伝統的な帳面、和帳の表紙製造業である小林表紙店の門をたたいた。
和帳の表紙製造は、和紙を何枚も貼り合わせて一定の厚さにし、それを
茶碗の膚でこすってツヤを出すというもの。黒田は黙々とこの地味な仕
事に励む。一通りやり方を飲み込むと、刷毛の改良や糊の塗り方に改善
を加えていった。この工夫と物惜しみしない仕事ぶりで、しばらくする
と、他の職人の2倍の能率をあげるようになった。次第に黒田は独立の
意志を固め、5円の給料のうち、3円90銭までを貯金に充て、準備を始め
た。
 1905(明治38)年10月、黒田は大阪市西区南堀江通り3丁目に家賃13
円で、間口2間、奥行き7間の家を借り黒田表紙店を開業する。それまで
の4年間に貯めたカネと借金でまかなった。刷毛や糊などの道具、看板
などを準備したあとに残った運転資金は、100円の預金とわずか6円70銭
の現金。これで材料の和紙を揃えなければならない。開業してまもなく、
小林表紙店から紹介を受けたという和紙卸業者、橋本喜助商店が営業に
やってきた。黒田は96円の和紙を注文する。橋本は初回の取引だからと
前金を要求した。黒田は手元にある6円を机に並べ、店員を呼んで預金
通帳と印鑑を渡して言った。
 「銀行へ行って、90円だけおろしてきてくれんか」
もちろん預金は100円しかない。しかし、「90円だけ」といえば、かな
り預金があるように聞こえる。橋本は急に態度を変え、さらに注文を取
ろうとした。
http://72.14.207.104/search?q=cache:50JvCkbhKGkJ:www.sw.nec.co.jp/kpass/036.html+%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%96%84%E5%A4%AA%E9%83%8E+%E3%82%B3%E3%82%AF%E3%83%A8&hl=ja
── 《黒田善太郎の国産帳簿開発物語(第36回)~ 川下が川上を育てる ~ 》
 
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 黒田 善三郎 黒田屋当主 7 1849‥‥ 富山 1887‥‥ 38 /マッチ製造業
 黒田 善太郎 コクヨ社長 1 18790207 富山 19660327 88 /19051002黒田表紙店創業
 黒田 暲之助 コクヨ社長 2 19160625 大阪       /暲=(日+章)
 黒田 敏之助 善太郎の次男 1918‥‥ 大阪 19730510 55 /1973黒田緑化事業団
 黒田 靖之助 コクヨ社長 3 19190429 大阪 19890808 70 /暲之助の弟
 黒田 章裕  コクヨ社長 4 19490928 大阪       /善太郎の孫
 黒田 康裕  コクヨ専務  19520706 大阪       /
 黒田 錦吾  コクヨ専務  194.‥‥ 大阪       /
 黒田 耕司  敏之助の子  194.‥‥ 西宮       /“せきの屋店主”
 黒田 浩介  耕司の長男  197.‥‥ 西宮       /
────────────────────────────────
♀黒田 □□  暲之助の長女 194.‥‥ 大阪       /
♀黒田 礼子  暲之助の次女 194.‥‥ 大阪       /竹中 統一の妻
♀黒田 有美子 暲之助の三女 194.‥‥ 大阪       /塚本 能交の妻
 塚本 能交 ワコール社長 2 19480129 京都       /幸一の長男
────────────────────────────────
 竹中 錬一 竹中工務店社長 19110301 兵庫 19961231 85 /統一の父
 竹中 宏平 竹中工務店社長 1915‥‥ 兵庫 19770824 62 /錬一の弟/急死
 竹中 統一 竹中工務店社長 19421208 兵庫       /錬一の長男
 竹中 祐二 竹中工務店   195.‥‥ 兵庫       /宏平の長男
♀竹下 公子  登の次女   195.‥‥          /竹中 祐二の妻
────────────────────────────────
 竹下 登   総理大臣74  19240226 島根 20000619 76 /竹中 祐二の岳父

 
── 意外と知られていないのがワコールを支配する塚本家の閨閥だ。
塚本家は社長の塚本能交氏がコクヨ社長・黒田靖之助の三女有美子を妻
に選んでから私物閨閥の仲間入りを果たす。コクヨは事務用品の最大手
メーカーだが、いまやオフィス家具からOA機器部門にも進出している。
コクヨ会長の章之助(章は部首「日」が付く)の次女礼子が、竹中工務
店の社長・竹中統一の妻となっているからである。大手建設の竹中工務
店を支配する竹中家が、元総理大臣の竹中登と親戚であることは衆知の
事実である。
http://csx.jp/~gabana/dnisi/dnisi9806.htm
 

19051002 黒田善太郎が和式帳簿の表紙を製造する「黒田表紙店」を開業
1906‥‥ 
1907‥‥ 
1908‥‥ 和帳の製造を開始
1909‥‥ 
1910‥‥ 
1911‥‥ 
1912‥‥ 
1913‥‥ 洋式帳簿の製造を開始
1914‥‥ 店名を「黒田国光堂」と改称/伝票、便箋の製造を開始 伝票、便箋の製造を開始
1915‥‥ 
1916‥‥ 
1917‥‥ 商標を「国誉」と定める
1918‥‥ 
1919‥‥ 
1920‥‥ 
1921‥‥ 
1922‥‥ 
1923‥‥ 
1924‥‥ 
1925‥‥ 
1926‥‥ 
1927‥‥ 
1928‥‥ 
1929‥‥ 
1930‥‥ バインダーの製造を開始
1931‥‥ 
1932‥‥ 
1933‥‥ 
1934‥‥ 
1935‥‥ 
1936‥‥ 
1937‥‥ 
1938‥‥ 「合名会社黒田国光堂」に組織変更
1939‥‥ 
1940‥‥ 
1941‥‥ 
1942‥‥ 
1943‥‥ 
1944‥‥ 
1945‥‥ 
1946‥‥ 
1947‥‥ 
1948‥‥ 
1949‥‥ 「株式会社黒田国光堂」に組織変更し、黒田善太郎が社長に就任
1950‥‥ コクヨ専門代理店が誕生
1951‥‥ 
1952‥‥ 
1953‥‥ 
1954‥‥ 
1955‥‥ 
1956‥‥ 
1957‥‥ 専門代理店組織「全国コク∃専門店会」が発足
1958‥‥ 
1959‥‥ 
1960‥‥ 黒田善太郎社長が会長に、黒田暲之助副社長が社長に就任/ファイリングキャビネットを発売
1961‥‥ 社名を「コクヨ株式会社」に変更/紙製品を生産する八尾工場を稼動
1962‥‥ 日本事務用品工業(株)(現コクヨ事務用品工業㈱)を設立
1963‥‥ アルバムを発売
1964‥‥ 年間売上高100億円を達成
1965‥‥ スチールデスクを発売
1966‥‥ オフィスチェアを発売
1967‥‥ 
1968‥‥ コクヨ販売店組織「コクヨ ジュウリー メンバーズ」発足 
1969‥‥ 本社新社屋完成/コクヨ専門代理店を「総括店」に名称変更/間仕切りを発売 
1970‥‥ プリットを発売
1971‥‥ スチールデスクを生産する柏原工場(現近畿OSL㈱)を稼動/東京・大阪証券取引所第二部に上場
1972‥‥ 東京・大阪証券取引所第一部に上場
1973‥‥ 売上高500億円を達成
1974‥‥ 
1975‥‥ キャンパスノートを発売
1976‥‥ 
1977‥‥ 
1978‥‥ 大阪ショールーム完成
1979‥‥ 東京品川社屋完成/売上高1,000億円を達成
1980‥‥ 
1981‥‥ 
1982‥‥ 東京ショールーム完成
1983‥‥ バイオテックチェアーを発売
1984‥‥ 
1985‥‥ 黒田暲之助社長が会長に、黒田靖之助副社長が社長に就任
1986‥‥ コクヨメーベル(株)が間仕切りを生産する岡山工場を稼動
1987‥‥ ビジネスウォールAタイプを発売
1988‥‥ 名古屋証券取引所第一部に上場/売上2,000億円を達成/MX型デスクシステムを発売
1989‥‥ 黒田章裕副社長が社長に就任
1990‥‥ 
1991‥‥ 売上3,000億円を達成
1992‥‥ 
1993‥‥ スチールデスクを生産する三重工場を稼動
1994‥‥ OAフロアーを生産する芝山工場を稼動
1995‥‥ 
1996‥‥ KOKUYO INTERNATIONAL (HONG KONG) CO., LTD.を設立/KOKUYO-IK (THAILAND) CO., LTD.を設立
1997‥‥ KOKUYO(MALAYSIA)SDN.BHD.を設立
1998‥‥ KOKUYO. U.S.A., INC.を設立
1999‥‥ KOKUYO EUROPE GmbHを設立/(株)コクヨロジテムを設立/ユニバーサルデザイン商品を発売
2000‥‥ コクヨ(株)ISO14001全社統合認証取得/コクヨオフィスシステム(株)を設立/コクヨビジネスサービス(株)を設立/KOKUYO INTERNATIONAL (MALAYSIA) SDN.BDH.を設立
2001‥‥ (株)カウネットがオフィス用品通販事業をスタート/AGATAチェアーを発売
2002‥‥ 構造改革プランを策定/KOKUYO INTERNATIONAL ASIA CO.,LTDを設立
2003‥‥ カンパニー制を導入/総括店制度から流通販社体制に移行
2004‥‥ 分社・持株会社制へ移行
20051002 創業100周年
http://www.kokuyo.co.jp/com/enkaku.html

 
>>
 
 歴史ある会社ならどこにでもあるものなのに、誰も作ったことがない。
 
 いったい何人が、ビジネス人生の間に「社史」を作る機会に恵まれる
だろう? 歴史ある会社ならどこにでもあるものなのに、誰も作ったこ
とがない。だからいざ作るという時にノウハウがないのだ。外部の「社
史専門プロダクション」に丸投げして、どこの会社でも同じような社史
ができあがるという寸法だ。誰も知らない「社史編纂の達人ワザ」を公
開しよう。  
 
 社史ぐらい、会社独特の歴史や、未来への視線を反映し、個性を発揮
できるステージはありません。漫画では閑職の代名詞みたいに扱われた
りする社史編纂ですが、片手間に作れるものではありませんし、窓際族
に任せて満足しているような会社は、とんでもない機会損失をしている
のです。30周年誌を出したら50年史、70年史、そして100年史を出すま
で、会社が上昇を続けるには、社史の役割は決して小さなものではあり
ません。最先端の社史の哲学とノウハウを見ていきましょう。
 
 まずはプロジェクトチーム編成と「就任の自己紹介」
 社史編纂者の7つ道具で見る「大切なこと」
 3年後、5年後を見越したスケジューリングが勝負
 テーマは4つ。どれにフォーカスするか?
 資料リストを効率良く作って分担すれば走り出す
 長期間の編集作業、資料をいかに蓄積するか
 社史はタイムカプセル。画像を未来に伝える思想
 社史の編集術:会社の「起承転結」と「クライマックス」
 社史の編集術:冊子構成にもいろいろある
 でき上がった社史をどう生かすか? お披露目の技術
── 《社史編纂の達人》
http://www.kokuyo.co.jp/yokoku/master/history/
 
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(20050928-20070128)
 


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