与太郎文庫
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2005年07月13日(水)  大江戸花火事情 〜 天声人後と朝令不改 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050713
 
 むかし、吉原に編笠茶屋というものがあり、田舎大名も初心者なら、
いったんここに立ち寄った。太鼓もちに案内させる途中、何かのはずみ
で編笠を取りおとして、知った顔に出あったりするとバツがわるい。
 
 「やや、これはこれは、いかにも武士は相身互い身でござる」などと
照れかくしを云いながら、すれちがいに「他言無用」の目くばせをする。
 「頬かむり」は盗っ人の扮装だから、知らん顔で通りすぎるらしい。
 
── 〔あひみたがひ〕【相身互い】《「相身互い身」の略》同じ境遇
にある者どうしが同情し、助け合うこと。また、その間柄。「武士は―」
 
── ほお‐かぶり〔ほほ‐〕【×頬▽被り・×頬▽冠り】 [名](スル)
1 ほおを隠すように頭から手拭(てぬぐ)いなどをかぶること。ほおかむり。
ほっかむり。《季 冬》「―渡舟の席の坐り沢(づや)/草田男」
2 知っていながら知らないふりをして押し通すこと。ほおかむり。
「選挙違反をしながら―してすます」
── 《大辞泉》
 
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 朝日NHK問題「頬かむり」は許されない
 
 朝日新聞が今年一月、NHK番組が政治家の圧力で改変されたと報じ
てから半年が過ぎた。朝日はいっこうに説明責任を果たそうとしない。
 
 問題の朝日記事は、慰安婦を扱った四年前の番組をめぐり、放送前に
中川昭一、安倍晋三両氏がNHK幹部を呼び、「偏った内容だ」と指摘
したという内容だった。
 
 これに対し、記事に書かれた中川、安倍両氏とNHK側は、(1)両
氏が呼び出したのではなく、NHK幹部の方から会いに行った(2)中
川氏とNHK幹部が会ったのは放送前でなく、放送後だった−などと反
論した。反論が正しければ、「政治家の圧力で番組が改変された」とす
る記事の信頼性が根底から覆されることになる。
 
 だが、朝日は、記事の核心部分を否定されたにもかかわらず、「問わ
れているのは、NHKと政治家の距離の問題である」などと論点をそら
し、肝心の疑問に答えていない。朝日は「距離の問題」を問う前に、
「自らの記事の信頼性」を問うべきである。
 
 また、問題のNHK番組は、慰安婦問題で昭和天皇を弁護人なしに裁
いた民間法廷を取り上げた企画だ。この番組が公共放送として妥当なも
のだったかどうかも問われた。NHKも、番組の再検証を忘れてはなら
ない。
 
 近年、新聞記事やテレビ番組に対する読者や視聴者の目は厳しくなっ
ている。平成六年の松本サリン事件で、各紙は当初、第一通報者の会社
員が容疑者であるかのように報じた。後に、オウム真理教の犯行と分か
り、各紙は相次ぎ謝罪記事を載せた。
 
 今年五月、フィリピン・ミンダナオ島で旧日本兵が生存しているとす
る情報を、産経は一面トップで報じた。産経は家族らに負担をかけたこ
とを反省し、六月十二日付で旧日本兵生存情報の経過などについて検証
した。NHKの番組「プロジェクトX」で、取材対象の高校から「一部
事実誤認がある」と抗議を受け、NHKは「行き過ぎた表現があった」
と謝罪した。
 
 一昔前なら、問題の朝日記事も、時の経過とともに、うやむやに終わ
ったかもしれない。今は、頬(ほお)かむりは許されない。日本のジャ
ーナリズムの信頼を取り戻すためにも、朝日は自ら記事の真偽を確かめ、
全国の読者と視聴者に納得のいく説明をしてほしい。
── 《主張 20050713 産経新聞》
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm
 
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── 落語『たがや』の描写では、両国橋の上の群衆・野次馬は武士に
向かって悪口雑言を吐きながら、武士が悪口のした方を睨み付けると、
己の面をヒョイヒョイと隠す。これが匿名性を求める庶民の通例だ。
── 《言いたい放題:落語『たがや』に観る【江戸の庶民心理】》
http://blog.goo.ne.jp/osan3/e/dd231ab26abffe33c6d5c11d3b25c947
 
 17330628 享保18.0528 〜 20050704 平成17.0528(旧暦)
 
── 両国の川開きのときに花火が行われるようになったのは享保18
年(1733)5月28日といわれている。そのきっかけとなったのが
前の年、享保17年に起こった大飢饉だった。この年、西日本一帯で、
いなごの大群が発生するなど全国的な凶作となったほか、江戸市中にコ
ロリ(コレラ)が流行して多くの死者を出した。これを重くみた幕府
(8代将軍吉宗)は、翌享保18年5月28日にその尉霊と悪病退散を
祈って、隅田川において水神祭を挙行した。この折、両国橋畔の料理屋
が公許を得て、同日川施餓鬼を行い、花火を上げたという。これ以降、
川開き初日に花火を打ち上げるのが恒例となった。
── 《江戸時代の花火大会》
http://www.sumida-gg.or.jp/SUMIDA005/S005-03.htm
 
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