与太郎文庫
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2004年10月31日(日) |
逆立ち芸者 〜 花街入門 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041031
壱笑の退場 〜 続・同窓会始末・エピローグ 〜
さて、与太郎が初めて壱笑とあった夜は、こんなぐあいだった。 生意気にも与太郎が、座敷に上って、例によって「誰でもええよ」と 手酌で待っていると、襖のむこうで何やら人の気配がする。
お運びなら声をかけるし、芸者ならにぎやかに入ってくるのに、何だ かへんだ。一人で待っているのも芸がないので、立って襖をひらくと、 廊下で芸者が逆立ちをしていたのである。
念のため註釈しておくが、きもので逆立ちすると裾が開いてしまう。 それでは芸にならないので、開かないような工夫をしてみせるのである。 (それがどうした、というようでは座敷遊びは成立しない)
「よぅよぅ、どないしたんや」と、おどろいてみせると坐りなおして、 「こんばんは、お初にお目にかかりまっせ」と、三つ指ついて名乗る。 「壱笑どす、よろしおたのもうします」これで笑わぬ客はいないだろう。
「さよか、それはゴクロはんやな。あんた、いつも逆立ちで来るんか」 かくて彼女は、初めての客をためすのだろう。お大尽なら、おひねり (チップ)を出すが、ケチな客は、たちまち馬脚をあらわす。
与太郎はヒネらなかったが、どうやら合格したらしい。その日以後、 とくに呼ばないのに、しばしば舞妓にくっついて来るようになった。 舞妓は原則として、客と“差し”になれない。付きそいの姉さん芸者 ともども深夜の花街を連れ歩くのは、俗物にとって無常の贅沢である。 どっちが本命か、微妙な雰囲気も遊びの極意であろうか。通行人も、 そんな客の鼻下をのぞきこんでから、通りすぎて行く。
「こんど、ベラミで同窓会やるんや」 「へぇー、ウチらも行ってもよろしか?」 「……来たらええがな……」
「行こ、行こ」舞妓や女将まで、当然のように同調してしまった。 もとは座敷の軽口である。まさか、ほんとうに来るとは思わなかった。 「やっぱり、来たらアカン」といえば角が立つ。「同窓会は、中止や」 というわけにもいかない。そのうち、口実をもうけて断わればよいと、 先おくりするうちに、その日が迫ってきたのである。
壱笑と舞妓のほかに、茶屋の女将まで尾いてくることになった。 その日になっても、与太郎には方針がなかった。ベベを着て酌すれば 少々派手なコンパニオンまがいに間にあうだろう、と考えた。
現場では、彼女たちの方が度胸がすわっていた。ステージに上って、 芸を見せるといいだしたのである。これを断われる者はいない。 (さいわい「誰や、こんなブサイク呼んだんは?」という野次は聞えて こなかったが、あとで文句がでれば、自腹を切ればすむ)
彼女らは、一次会を最後までつとめあげて、ようやく帰って行った。 その夜、壱笑は、茶屋の台所で深夜二時ごろまで与太郎を待っていた という。「兄さん、きっと来てくれはる。二次会や三次会が済んだら」
しかし、与太郎は二次会の途中で、誰にもあいさつせずに抜けだし、 まっすぐ自宅に帰っていた。くたびれてしまっていたのである。 (ふつう宴席を途中で抜けだせば、ワケありとみられて詮索されない)
数日後、佐々木と夜の街に出て、茶屋に電話してみると、壱笑のこと を知らされた。その日は座敷がとれず、次回に坐ったときには、壱笑が 廃業したことを知らされた。与太郎は「そうか」とうなずいただけで、 「なんでや?」とは聞かなかった。まさか、自分が冷たくしたのが原因 ではあるまいが、ひとこと話したいことがあったかもしれない。 茶屋の女将(母娘)も、くわしい事情を語らなかった。
置屋はプロダクション事務所であり、茶屋はステージである。座敷の 客が芸妓を指名すると、茶屋の女将が電話で置屋の女将に伝える。他の 座敷に居る場合は、身体が空くまで待たされる。芸妓が惚れている場合 や商売上大切にする場合は、先の座敷を抜けだして来る。自分の座敷に いた芸妓のひとりが消えたら、事情を察してやればよい。自分の本命が 消えた場合は、自分が本命でなかったことが証明される。
花街(かがい)入門
お茶屋あそびについて、与太郎はくわしいわけではないが、せっかく 見聞した世界だから、あらまし書きとめておく。
はじめて茶屋にあがった客は、芸者のだれとも初対面である。これを “初会”という。客が複数で、芸者も数人呼ばれることもあるが、ここ で気に入った芸者が居れば、客は数日を待たずして茶屋にあらわれる。
そして女将が「どの妓をよびましょうか」とたずねるのに、すんなり 名前を答えるようだと話がはやい。客が照れて、もぞもぞ言うようなら、 女将が気をきかせて、図星で呼ぶこともある。
二度目の逢瀬を“裏をかえす”という。女将や芸者の都合からいうと、 翌日すぐに、というのは野暮にしても、数日を置かず、早ければはやい ほど熱心さが伝わるのである。かげで“ご執心”と言われることもある。
そうは言っても、すべての客が初心者ではないので、なかには紹介者 の顔を立てて義理で“裏をかえす”こともある。 三度目にあらわれて、客のほうから「例の妓を呼んでくれ」といえば、 これはもう“お馴染み”である。ここにいたれば、客の甲斐性次第だが、 他の妓を呼ばずに、ようやく二人きりの“差し”で会うことになる。
何度通っても、最後まで“差し”になれない場合は、当の芸者が拒否 しているので、こればかりは客自身が悟らないと、みんなが迷惑する。 顔をみるだけで「ゾゾゲがたつ」などといわれているかもしれない。 (たぶん「鳥肌が立つ、総毛だつ」から転じた、京風の俗語表現)
以上は、女将や年増芸者が初心者に教える手ほどきの序の口である。 色恋ばかりが色街ではない。実態は“気散じ”にあそぶ客も多いし、 容姿がまずくても、馬鹿っ話の受け答えが面白ければ、座敷はつとまる というものである。
バニーガールは、共通の恋人であるという。 舞妓については、ふつうに幼女セックスの対象とみなす客もあれば、 むすめをからかって遊ぶ粋人も居ないわけではない。与太郎の経験では、 美しい舞妓は極少であり、ほとんどは“化け物”であった。したがって 美しい舞妓に出会っても、なまじ自分のものになるのではないか、など 夢にも考えるべきではない。このクラスの女性が、庶民の所有物になる わけがないので、いさぎよくファンの座に甘んじるべきである。
そして、もし彼女が、若くして誰かの持ち物になることが公表された ならば、あるいは引退した場合、ファンの座もおりるべきである。その 後は、町で出会っても気やすく声をかけたりしないことだ。
そんな彼女には、なみなみならぬ事情があるにちがいないのだ。 まちがっても、「いま、どうしているか」などと質問してはならない。 せいぜい「おかぁはん、元気か?」くらいの声をかける。実の母親か、 あるいは置屋の女将か、どちらにもとれるように聞く。
「へぇ、おかげさんで……」と、彼女は答えるにちがいない。 ><
(20140827)
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