与太郎文庫
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2004年09月19日(日) |
NHK三人娘 〜 誰が青春を奪ったのか 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040919 Yahoo! 掲示板 Index をたどると、ホーム > エンターテインメント > テレビ > アナウンサー > 森田 美由紀 ファンクラブ、とつづくが、 これまでのところ投稿がなく、ネット上のファンクラブはなさぞうだ。 与太郎は、かつて森田嬢のファンであるとともに、当代随一の指揮者 リッカルド・ムーティのファンでもある。ところが、ことしの新年早々 に森田嬢もムーティのファンであることが判明したのである。 今年のウィーン・フィル新年演奏会で、ムーティを紹介する彼女は、 身もだえせんばかりで、あの淑女が、あられもなく恋する熟女となって いた。聴衆の中の、女性の表情を見るがよい。 なーんだ(それ以来、与太郎は両方ともファンでなくなった)。 さしもの伊達男も、いまや老眼鏡で楽譜をめくっている。 いまこそ《刑事コロンボ》の犯人役が似合うにちがいない。 終曲《青きドナウ》を一節振ってから、ちょっとしたスピーチ。 「シュトラウス一家の音楽は、人生の喜怒哀楽をあらわしている」 「世界中で、喜怒哀楽に対面する人々とともに、心からおめでとう」 毎年正月に正装した家族連れが、大聖堂に集まって、いかに名曲とは いえ、あいもかわらぬ数十曲のワルツやポルカを聴くのは、信じがたい マンネリズムである。だが、こういうものこそが文化なのだろう。 ほんとうは、ウィーンの音楽文化は、限られた特権階級の人々が享受 してきたので、日本人ごときが同じように楽しむのは分不相応なのだ。 すくなくとも、ウィーン市民は、そう思っているはずだ。 ── 《芸術劇場“ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート 2004・ お正月の興奮を再び!ムーティが振る名曲のかずかず”20040919 22:20 NHK教育(再)》 ──────────────────────────────── http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030115 ── 《ニューイヤー・コンサート1993 リッカルド・ムーティ/ウィーン・ フィルハーモニー管弦楽団 UCBP-1019》
♀加賀美 幸子 アナウンサー 19400624 東京 /NHK《アーカイブス》 Muti, Riccardo 指揮 19410728 Italy /ウィーン・フィル〜《コリオラン序曲》 ♀森田 美由紀 アナウンサー 19591108 北海道 /NHK《芸術劇場》 ♀国谷 裕子 キャスター 19520203 大阪 /NHK《クローズアップ現代》 ♀西本 智実 指揮 19700422 大阪 /国立ボリショイ交響楽団首席
すぐれた指揮者とは、楽団員にとって分りやすいことである。 音楽的な意図がわかりやすく、演奏しやすい指示が重要である。 とくに大曲では、全体を通じての整合性が指揮者の任務である。 わかりきったことを、わかりやすく指示するのは「チィチィパッパ」 のようで、バカにされる。気どって、おおげさな身ぶりもよくない。 楽団員よりも、聴衆に受けようとする態度は、軽蔑される。 あんまり個性的な解釈は、かならず反発される。 どことなく新鮮で、演奏してみると、なかなか面白い。終ってみれば 聴衆が喝采した、というケースが理想的なのだ。 日本の若手指揮者は、欧米のオーケストラで評判が良いという。 どうもマユツバに思えるが、ほんとうは彼らは、子供あつかいされて いるのではないか。仕草や身ぶりが、幼稚でならない。 彼らは、楽団員に愛されるかもしれないが、出てくる音には思想的な 哲学が失せている。だれかのご機嫌をとることが、芸術性をそこねるに ちがいない。どことなく一人よがりなのは、ハッタリなのだ。 カッコいい、という点で、近来の花形は西本智実である。 タカラヅカ調の華麗なルックスに、深刻かつ真摯な表情があいまって、 非の打ちどころがない。ケチをつけるには、相当な覚悟を要するだろう。 (つづく)
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