与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040917 むかし、1960年ごろに、カラヤン来日公演のラジオで“未完成”を 聴きながら、惜しくも寝てしまった(勝又下宿、寺原の部屋で)。 〔Wiener Philharmoniker 19591106 日比谷公会堂、東京〕 「面白い映画は、最初から面白い」というのが与太郎の持論であるが、 「面白くても、睡魔には勝てない」こともある。 ムーアのジョークは面白いが、いささか単調に感じられる。 >> アメリカ銃社会の矛盾に鋭く切り込んだドキュメンタリー。1999年の コロンバイン高校銃乱射事件に衝撃を受けたムーアは、アメリカ銃社会 の問題を探ろうと取材を始めた。数々のキーパーソンへのインタビュー を敢行。また、事件の犯人である高校生が銃弾を購入したスーパーに出 向き、銃弾販売をやめることを承諾させる。さらに、被害者の遺影を持 って全米ライフル協会会長のチャールトン・ヘストンを訪問。事件直後 に銃擁護の演説大会を開いた彼に謝罪を求める。 ── 《木曜洋画劇場 20040916 テレビせとうち》(木)21:00〜23:24 http://movie.www.infoseek.co.jp/feature/bfc/ ── マイケル・ムーア《ボウリング・フォー・コロンバイン 2002 米》 << 「冬ソナ」考 〜 Yahoo! 知恵袋(不投稿) 〜 もともとクラシック(西洋の古典派時代の器楽曲)は、人間の心とか 季節などの不確実な現象を、感情たっぷりに歌う声楽曲から超越して、 もっぱら理性的な“絶対音楽”として隆盛したものです。 したがって、交響曲や奏鳴曲(シンフォニーやソナタ)は、もっとも 厳格な“ソナタ形式”で構成された作品様式なのです。いくぶん自由な 形式で書かれたものには、交響詩や幻想曲、狂詩曲と名づけられます。 そこで「春の小説」とか「秋の彫刻」という題名がそぐわないように、 「夏の奏鳴曲」や「冬の交響曲」では、どことなくヘンなのです。 “運命”“田園”“未完成”など、すべて後世の呼び名にすぎません。 チャイコフスキー《交響曲第一番“冬の日の幻想”18680203 初演》は、 いわば暗示的な標題ですが、下記は、いささか意図不明です。 黒沢 明・監督《八月の狂詩曲(ラプソディー)19910525 松竹》 原題《キョウル・ヨンガ;恋歌》はよくても《冬のソナタ;奏鳴曲》 はおかしいのです。 「秋のドラマ;番組」がよくて「秋のテレビ;家電」がおかしいように。 《冬のソナタ》は《君の名は》、《君の名は》は《哀愁》のパロディ。 「冬ソナタ、春夏すぎれば秋ソナタ」 ── 与太郎・評句 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20040531 《冬のソナタ 200201..-03.. 韓国KBS 》200304.. NHK BS2 200412.. 再放送 《君の名は 19530915 19531201 19540427 松竹》19520410-19540410 NHK ラジオ 《哀愁 1940-196112.. 英》 (Day'20040917-0918)
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