与太郎文庫
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2004年09月14日(火)  死刑願望 〜 絶望の果て 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040914
 


 宅間 守   19631123 兵庫 大阪 20040914 40 処刑
 嶋崎 末男  1945.... 福岡   20040914 59 処刑/暴力団組長1988熊本保険金殺人
 野沢 太三  19330506 長野  /20040914処刑執行/20030922法務大臣
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 Cagney,James 18990717 America  19860330 86 /異説0617〜

 
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 一九三八年の『汚れた顔の天使』も話題を呼んだ映画だった。暗黒街
の顔役にのし上ったギャングのロッキーは、彼がむかし住んでいた貧民
街の不良少年たちの偶像になったが、逮捕され、死刑の宣告を受ける。
ロッキーの幼な友だちの神父は死刑囚監房に彼を訪ね、電気椅子へひっ
ぱって行かれるときに臆病風に吹かれたふりを装って子供たちの抱いて
いる不健全な憧憬を打ち消してやってくれ、と懇願するが、ロッキーは
神父のこの頼みを鼻でせせら笑う。
 サテ、その結末は──それまで人もなげな態度をとっていたロッキー
が、電気椅子へ引き立てられて行く途中、急に大声で泣きわめき、死の
恐怖から逃れようとするのである。
 この映画のラスト・シーンは、のちのちまでずっとくり返されつづけ
た質問のタネをまくことになった。というのは、その後何年にもわたっ
て、道で会う子供が、かならずといっていいほど、彼に聞いたからであ
る。
「おじさんは、神父さんのために、ああしたんだろ?」と。その質問に
対するキャグニーの答えは、こうだ。「あの映画を見て、ロッキーがど
ちらの行動をとったか、そしてわたしがどちらを演じたかったか──と
いうことを見きわめるのは、実際のところ不可能だ、とわたしは思う。
わたしは、あれをわざとあいまいに演じた。観客は、どちらを選んでも
いいのだ。わたしが思うに、あれはどちらにとっても通用する。だから、
どちらかにきめるのは、あなたなのだ」。
 
── 山田 宏一&宇田川 幸洋・訳《汚れた顔の天使 〜 J.キャグニー自伝 〜 出帆社》
── 《世界をつくった人々の伝記・自叙伝の名著総解説 19780301 自由国民社》P294
 
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 黒沢 明・監督《天国と地獄 1963 東宝》のラスト・シーンは、死刑囚
の泣声が採用されている。最近のドキュメンタリーによると、処刑現場
の実態はさまざまで、おおくは伝聞にすぎないことが分る。
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030913
→ 《処刑前後 〜 事件・判決・執行 〜》
 

19631123 兵庫(朝鮮人部落)に生れる
19900614 A子(45)大阪大学研究所技官と最初の結婚
19900626-0926 離婚(12日間の結婚? 16日後に再婚?)
19901012 B子(46)小学校恩師=小松 左京の実妹と再婚
19940921 離婚
19951127 Z子(75)と養子縁組(改姓)
19970107 養子縁組解消(復姓)
  0330 C子(36)と3回目の結婚
199806.. 離婚調停成立
  1018 D子(31)と4回目の結婚
199902.. 実兄(42)自刺自殺(34歳で結婚、離婚直後)
  0312 伊丹市立池尻小学校同僚教師に精神安定剤いりの茶を飲ませ傷害事件
  0331 離婚
  0712 D子との長女、出生
20010608 大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件
  0914 起訴
  1227 初公判(大阪地裁)
20020107 弁護側冒頭陳述「心の軌跡を語り尽くす責務がある」
20030522 死刑求刑
  0828 死刑判決(被告人不在の法廷)
  0910 弁護団が大阪高裁に控訴
  0926 控訴取下げ、死刑確定
  12.. 獄中結婚(同年代のE子と5回目の結婚)
20040914 処刑(法務大臣=野沢 太三)

 
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar.html
── 相田 くびを《宅間守資料》
 
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 宅間の妻たち
 
最初の結婚は、平成2年6月で宅間より18歳年上の大阪大学研究所の
女性技官だった。だが、わずか3ヶ月間で離婚。二度目は、小学校時代
の担任だった19歳年上の女性(この女性は、作家の小松左京氏の実妹)。
三度目の結婚は二歳年上。最後の四度目の結婚で初めて年下の女性と結
婚したが5ヵ月後に離婚。離婚の原因は全て宅間のウソが露見。さらに
異常な暴力に耐え切れず女性から逃げ出した。宅間は逃げ出した女性を
執拗に追いかけ、逆に女性からストーカ行為をしない見返りに数百万円、
なかには1000万円の慰謝料を得ていた。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage203.htm
 
 1990年10月(26歳) 離婚後16日後に二回目の結婚。相手はまたもや
19歳上の小学校時代の担任教師(偶然にも大阪教育大学出身)。「宅間
容疑者が6年のとき、伊丹市立神津小学校に赴任してきたという」
「赴任当時、宅間が『あの先生きれいやな』といって、さかんにまとわ
りついたのを覚えています」。
  この結婚相手は、小松左京の妹との情報あり。この作家の事務所は
「だいぶ前に離婚しているし、プライベートなことで答えられない」と
のこと。「彼女は宅間の小学校時代の担任でした。当時、中学校の国語
の教師だったが独身。彼は、街なかでばったり再会した、と嘯いてい
ます」「現在、兵庫県内で中学の教師をしている」
 「二人は箕面市内のマンションで暮らし始めたが、近所の住人によれ
ば『奥さんはしょっちゅう暴力を振るわれていたようです。彼はろくに
仕事もしてないようで、昼間はずっと家でブラブラしていました。で、
夜になると、“殺してやる”とか、“死ね”と言って、モノが壊れる音
がしていました』」
http://www.dryamasaki.com/Article/2001/2001-06.html
 
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