与太郎文庫
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2004年06月14日(月)  幻の弦楽技法 〜 失われた本をもとめて 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040614
 
 先月“でーやん”こと出谷啓氏の同僚だった文字武氏から、36年前
の録音テープ数巻が送られてきた。当時(与太郎が)十字屋楽器店役員
にインタビューしている情景が、まざまざとよみがえって感無量だった。
 
 そもそも出谷啓・文字武両氏が出会った後、文字武・高芝義和両氏が
倉敷で与太郎と33年ぶりに再会したのが発端である。“でーやん”と
与太郎は(電話で話しただけで)いままでのところ会っていない。
 
 以下は、彼が六十四歳となる誕生日を祝して、処女原稿を返却するに
あたり、5年前の未完草稿(書簡初稿)が出てきたので、再録する。
(このほかに、彼の本に直接書きこんだメモもあるが、いずれまた)
 
 昨年公開した未投函書簡《与太郎文庫 20030115 他》と重複する部分
もあるが、電話でのやりとりなど、後日の誤解をおそれず勢いあまった
あたり、一気に書きつけたので、それなりに捨てがたい。
 
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 高校生だったぼくは、十字屋に売れのこっていた一冊を買って帰るや、
数ヶ月くりかえして読みふけった。この本は、擦弦楽器(弓でこする=
打つ・叩く・擦る・弾く)奏者、数十人を訪問したものである。
 室内楽に限定していて、独奏者はとりあげていない。
 たとえば、第二ヴァイオリン奏者としてシュナイダーハンには、次の
ような質問ではじまる。
「いつも第一ヴァイオリンが弾きおえたあとで、おなじ旋律をもう一度
くりかえすのは、音楽家としてつまらない仕事ではないか」
 シュナイダーハンは、予想どおり、これを否定して、一席ぶつ。
「そんなことはない、第一ヴァイオリンが奏したとおりに反復すれば、
音楽としての輝きは失われるだろうが、わたしは反復することによって、
新しい生命を受けつぐのだ」(なんたる格調の高さ!)
 ヴィオラのプリムローズも登場する。
 
 ヴィオラ・ダモーレという六弦の楽器もはじめて知った。どんな素晴
らしい音が出るかと夢想すること数年、ようやく放送レコードで聴いた
ところ、とんだ期待はずれの響きだった。
 その後いくたびか聴く機会があったが、四度調弦の古楽器で、いかに
五度調弦が理にかなっているか、論より証拠である。
 クレモナ産のヴァイオリン属が完成する以前の“種族”らしい。
 
 ごく最近も、古楽器ばかりのクヮルテットで、ハイドン《皇帝変奏曲》
を聴いたところ、まるでちがう形態の弦楽四重奏なのだ。
 当時は、この曲でさえ、とても前衛的な趣向であったことが判る。
 おそれおおくも、ぼくは無理やり他の三人をあつめて、この第二楽章
を文化祭で演奏しようと試みたが、あまりにも地味なので《ひばり》に
変更した経緯がある。
 ベートーヴェンの《Op.135》なども、当時の聴衆にとっては、まるで
チンプンカンプンの作品だったにちがいない。
 
 それはともかく、高校生は考えた。自分でチェロを弾くよりも、この
ように熟達した弦楽器奏者を歴訪して、話を聞くようなことができたら、
あるいは生涯つづけることができないだろうか、と考えたのである。
 しばらく後に《カザルスとの対話》を読むと、これは大変だ。まずは
秘書になって寝食をともにしなくてはならない。だが、いくらカザルス
が偉大でも、とくに偉大な人物のそばで何年も暮すのはかなわない。
 あとからだんだん分ってきたが《カザルスとの対話》は、あきらかに
《ゲーテとの対話》をモデルにしている。それほど神格化せずに、風格
あふれていて、自由自在に主題が飛躍するのが絶妙である。
 
 たとえば、こうも考えたりした。
 高校を中退して上京し、この本の翻訳者である佐藤良雄氏を訪ねて、
チェロではなく、インタビューの技法を教わることはできないか……。
 当時のぼくは(十字屋の音楽教室で)才能教育研究会から派遣された
チェリスト・野村武二氏に教わったから、佐藤良雄氏の孫弟子にあたる。
ならば“カザルスの曾孫弟子”を自称しても許されるはずだ。
 下鴨の下宿先をふくめて合計5回のレッスンで挫折してしまったが。
(Let'19570322)
 
 (後日註)
 その後の最新情報によると、このころ野村先生は亡くなられたらしい。
 上野達弘氏のチェロで《野村武二メモリアルコンサート 20010825 》
 
 《月刊・アルペジオ》のころ、インタビュー・シリーズを企画したの
は、この本が拠点である。その途中で迷いが生じたときなど、もう一度
読みかえしたくなった。
 この本は、最後にコントラバス奏者数人が登場して、それぞれ室内楽
における役割を述べる。松本清張が「究極の文学形式は“供述調書”に
尽きると述べているが、まさに同感だ!
 こんなに面白い本が、市場から絶滅するとは思いもよらなかった。
(東京時代に、他の文学書にまぎれて売っぱらってしまったらしい)
 
 売り払ったのではなく、後輩の誰かに貸したままではなかったか、と
思いなおして、若林通夫と杉林博子の両君に電話すると、彼らは「ボク
も(ワタシも)そんな本は覚えていない」と強く否定した。
 不当に催促されたように感じたらしく、両君とも不機嫌な反応だった
が、後日むかしの書簡目録をひもといてみると、貸した日付は記録され
ている。(Let'19600225 from Mr.Wakabayashi,Michio)
 こんなことを書くと、古い証文をもちだして、相手かまわず催促する
ように見えるかもしれないが、まったく本意ではない。失なわれた時を
求めているだけで、その物を惜しんだわけではないのだが……。
 カンヌ管弦楽団に在籍する若林君に「むかしの手紙を公開したい」と
伝えたところ「恥ずかしいから勘弁してもらいたい」と返答された。
 この問題については《ラブレターの著作権 20021203 与太郎文庫》他
でも言及しているが、いままでのところ考えがまとまっていない。
 
 こうして数十年たつと、かつての高校生も還暦を過ぎて、回想の世代
に入ってしまった。
 そして、今朝(19990630)目ざめてすぐにこの本のことを思いだし、
今日こそは、この本を探しだそうと決心したのである。これほど有益で
格調たかい書物なのだから、どこかの図書館に保管されるか、かならず
や再版されたにちがいない。
 
1.倉敷中央図書館 086-425-6030
  購入ソフトを検索。1982コンピューター導入時の内容、絶版を含む。
2.音楽之友社 03-3291-7811
  むかしとは社風が変ったらしく、口の利き方がぞんざいになった。
  翻訳書の再版は、書名を変えることもあるらしい。
 (辻修編集長のことなど。当時の社員は岩崎かずお氏だったらしい)
3.神田書店 03-3261-1239(音楽之友社の紹介による古本屋)
4.図書新聞社 03-3234-3471(音楽専門の図書館はない)
5.白水社(心当たりなしの返答。他の出版社かもしれない)
6.全音楽譜出版社
 (最初に電話すれば解決したはずだが、いくつかの不運が重なった)
7.国会図書館 03-3581-2331 → 検索担当者
  隣席のオペレーターと(皆既日食のことなど)私語が聞こえる。
  「所蔵してないですね。もうちょっと(くわしい)情報を得てから
  問合せてください」ここは、まったく時間のムダだった。
8.東京芸大図書館 03-5685-7500 EX.7 図書館利用 → 検索担当者
 
 かつて《音楽100年表 19680801 十字屋楽器店》の寄贈に対して、
激励の手紙を下さった小川 昂氏の大著《日本洋楽書索引》はどうか。
おどろくべきことに、この本もインターネット上で発見できなかった。
《日本書誌大系(全4巻)日外アソシエーツ》にも掲載なし。
 
 ママよ“でーやん”なら知ってるはずだ。
 なにしろ彼は、つねづね“カタログが背広を着ているような人物”を
尊敬していたから、彼自身も相当なカタログマンにちがいない。
 いままで聞かれたことで知らないとは決して云わなかった男である。
 よし、これで判明するぞ。
 
「もしもし、出谷センセイのお宅でいらっしゃいますか」
「さようでございます」
「倉敷のあわ、と申しますが、センセイはご在宅ですか」
「少々お待ちくださいませ」(彼もエラクなったもんだ)
 
 前回の電話はムダ話ばかりだったので、今回やや簡略に口上を述べる。
 ところが、その彼も、そんな本は知らないという。
「キミが知らないということは、日本中で誰ひとり知らないことになる
ぞ!(ぼくを除いては)」
「そんなことはないやろ、ガチガチの物識りは、あんがい方々に居るで」
「この本を知っていそうなのは誰か、教えてくれんか」
「岩手の古本屋に一人いるが、その彼も知らんやろな」
「するとぼくは絶望すべきか。もしこの本が実在しなかったら、ぼくの
幻だというのか」
「カナダ発信のインターネットで、相当くわしいページがあるらしい」
「たとえば、キミの本でも載っているのか、いやこれは失礼かな」
「まさか、オレの本まで載っとらんやろが、漢字の本でも研究的文献は
網羅しているらしい」
「しかし何だね、出版社はともかくとして、図書館などもともとは商売
じゃないのに、蔵書以外の情報にはトンと無関心なのはけしからんね」
「それが現実やろな」
 
「しかし何だね……。(以下、ひとりごと)
 コンピューターだインターネットだのと騒いでいるが、結局じぶんの
所有物しか目に入らないのは困ったものだ。かつて、ぼくの描いていた
未来図書館のイメージは“蔵書をもたない図書館”だったのだ。
 どこに在るか、誰が持っているかを知ることのほうが、現物を扱うこ
とよりも有益なのだ。いまでいう情報の管理と機能である。
 結局、ぼくの存命中には理解されないだろうが……」
 
「ところで、もしキミが本気でこの本を探すとすれば、どうするかね」
「ボクの信念は、とことん探しあるく。日本中の古本屋を徹底的に歩く」
「カナダはどうした?」
「そこまでは行かん」
「しかし、キミが数枚の原稿を書いている途中、ひょいと調べたい本が
あれば、いくらもらうか知らんがそれでも北海道まで歩いていくのか?」
「依頼原稿は別や。本気で読みたいと思ったら岩手県まで出かけていく」
「すると、依頼原稿のときは調べもしないで適当に書く、というわけか」
「そうや、ワリきって書く!」
「なるほど二刀流か、かくしてセンセイに成りあがることができたんだ」
「そらま、そんなとこや。ワッハッハ」
「ま、結果は、そのうち手紙でも書こう」といって電話を切った。
 
── 《幻の弦楽技法 〜 出谷 啓君への電話 〜 19990630 Awa Library》
 
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Let'20040617 for Mr.Detani,Kei 同封資料
 
 19690510 リヒャルト・シュトラウスかく語りき
 19690616 ラフマニノフの遺産
 19700303 プロコフィエフ/ガーシュウィン/ショスタコーヴィッチ
 19700303 ジャズを読む(別稿)↓ 
 20001231 抜刷《虚々日々 20001231 阿波文庫》P202-203
 
 はじめ、これら処女原稿(正しくは処女期の生原稿)を現物そのまま
送るつもりだったが、編集上の技術的な印刷指定などが書込まれていて、
別の目的で参考になる部分があるので、コピーだけ送ることにした。
 
 できれば誕生日前日の夕刻に届くのが一番だが、いつもながらに手間
どってしまった。とくに前日が誕生日の杉井先生には、力が入りすぎて
不首尾のまま「来年でもいいか」と今年も見送ることになった。
 
 くどいようだが、5年前の電話のやりとりをメモするのはまだしも、
その走り書きを公開することには疑問もある。かりに録音テープが存在
しても、かつての“塩爺ぃ”みたいに「忘れました」と云えばよい。
 
 このあと、思いがけず篤志家があらわれ、ついに幻の《弦楽技法》に
めぐりあうことができた。しかし奥付をみると、すくなくとも15年後の
再版である。再版されながら埋もれていたのは、いかにも解せない。
                   (Day'20040612-0617)
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19680707
 あとがきにかえて
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030217
 幻の《弦楽技法》
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030115
 幻の《弦楽技法》 〜 出谷 啓氏あての未投函書簡より 〜
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030309
 《弦楽技法》目次(画像目録)
── マーテンス,F./高杉 忠一・訳《弦楽技法 19720310 全音楽譜出版社》
────────────────────────────────
── 出谷 啓《クラシック この演奏家を聴け! 19960410 音楽之友社》
             (蔵書目録によれば 19980306 購入)


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