与太郎文庫
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2004年06月13日(日)  白百合忌

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040613
 
 Ex libris Web Library;太宰と富栄の遺体(Wikipedia)
 
── 太宰 治《如是我聞 19480300-0700 新潮》口述 0227 脱稿
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1084_15078.html
http://homepage1.nifty.com/yasuki-a/toku-nyozegamon.html
 
── 山内 祥史《太宰治の年譜 20121206 大修館書店》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4469222267
 
>>
…… なんとも奇妙な情熱にとらえられてしまった人、といっていいだ
ろうか──文芸評論家と呼ばれるわけでなく、作家でもなくて、太宰治
の“実像”を追うこと三十余年、長篠康一郎さん(本名康煕=やすひろ)
は、ついに、永年勤めた東京・目黒雅叙園をやめてしまう。二年前のこ
と、停年まで六年を残していた。ポストは営業課長だった。
「太宰さんだって、ぎりぎりを生きたんですね。私だって余技としてや
っていたら、いままでの範囲を抜けられない。徹底的にやろう、と思っ
たんです」
 はじめのうちは失業保険があった。次に退職金、それからは家族全員
の保険も解約してしまった。いま、長女は嫁にいって、二児の母。妻の
美代子さんと次女もそれぞれに職場を持っているが、長篠さん自身の固
定収入は月に九千円。『路』という観光ガイドの研修用雑誌に“太宰
文学散歩”を連載して、その原稿料だそうである。
 長篠さんの氏素性は、由緒正しい。愛知県南設楽郡鳳来町に跡が残る
長篠城主の直流なのだという。
 が、大正十五年、東京・大森山王に生まれてからの有為転変も激しい。
手広くゴム靴問屋をやっていた父が事業に失敗し、母は家を出た。残さ
れた長篠少年のその後は徳島や下関を転々。東京高等鍼灸学校、官立無
線(今の電気通信大)を出、中国大陸で陸軍航空隊の暗号係をやってい
るうちに終戦を迎える。十ヶ月ほどの捕虜収容所生活を終えて帰国後、
同志社大系の徳島外語専門学校に学んだ。
 「あれは昭和二十三年の春、徳島外専の二年生の時でした。友達から
『新潮』に掲載された太宰さんの『如是我聞』を読ませられたんです。
身につまされました」
 つまり、国のためと思って戦場にあった身が徳島に復員してみると、
復員兵に対する世間の目は冷たい。そればかりか「ものごとはすべて一
転して、アメリカ、民主主義、文化国家でなければ夜も日も明けない、
といった具合」だった。そんな世相を前にして、『如是我聞』の、いっ
てみれば“反時代的考察”に長篠さんは強く共鳴した、らしい。太宰と
の出会い、である。
「この人なら分かってもらえる、と思いました」
 で、上京を決意するが、実際には、上京する一ヶ月ほど前に入水自殺
してしまった。
 一般的にいって、太宰文学にひかれるのは、青春の一時期にすぎない。
“太宰熱”は一過性なのが普通なのである。ところが、長篠さんの場合
は、そうならなかった。子供の頃に去った母親が東京に住んでいるらし
い、という話にひかれたためでもあるが、ともかく予定取り上京した長
(以下、欠=URL 不詳)
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♀田辺 あつみ バー女給 19121202 広島 鎌倉 19301129 19 /服毒心中/籍=田部 シメ子
♀小山 初代 芸妓=紅子 19120210 室蘭 中国 19440723 33 /病死/太宰 治の前内妻
 太宰 治     作家 19090619 青森 東京 19480613 38 /玉川情死/籍=津島 修治〜《桜桃》
♀山崎 富栄 戦争未亡人 19190924 東京   19480613 28 /玉川情死〜《愛は死とともに》
♀太田 静子 太宰の愛人 19130818 滋賀 東京 19821124 69 /計良 満里子の母〜《斜陽日記》
♀津島 美知子 太宰の妻 19120131 島根 東京 19970201 85 /旧姓=石原〜《十二月八日》
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 長篠 康一郎 太宰研究 19260526 東京   20070216 80 /白百合忌主宰〜《雨の玉川心中》籍=康煕
 山内 祥史  太宰研究 19320619 香川          /神戸女学院大学長〜《太宰治の年譜》

 
 山崎 晴弘  富栄の父 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /東京婦人美髪美容学校設立
── 山崎 清吉・山崎 信子・共著《技術原理 詳解婦人結髪術(全)
19190101 東京婦人美髪美容学校出版部》1930‥‥ 山崎 晴弘(?)
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