与太郎文庫
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2003年12月14日(日)  屈服と屈従

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031214
 
 フセインの生捕りは、ブッシュにとって意外な誤算だった。
 当初の予想では、すくなくとも数人の護衛が抵抗したため、やむなく
銃撃戦となって、元大統領が「戦死」するはずだった。
 ところが、たった一人で現われた敵は、無抵抗のままでウロウロする
ばかりなので、発砲のタイミングを逸してしまった。
 こんなに簡単に捕まえると、あとあと面倒な手続きが残ってしまう。
 ルーマニア大統領夫妻のように、あっというまに銃殺されてしまえば、
あとでどのようにでも説明できるのが、セルビア大統領のように、裁判
でペラペラ自己弁護されると、都合のわるいことも出るにちがいない。
 
 フセインの態度は、オウム教祖のように意味不明の外国語で話したり、
水を飲むと小便が出るので「今は呑むべきでない」などと、不可解かつ
奇矯である。また、十二月中旬の日付から赤穂事件を連想する人もいる
が、電灯発明以前のテロリストが(陰暦の)闇夜または満月を選ぶのは
当然であり、いまでも砂漠の空爆に応用されている。
(東京都心のテロならば、月齢より曜日が重要視されるはずである)
 
 追いつめられた者が、狭いところに入って身をちぢめるのは、本能的
行動で、とくに卑怯者とか小心者だとそしるほどのことではなさそうだ。
 ほとんど忘れられているが、天理研究会事件における教祖の行動は、
六十七年後のオウム教祖逮捕には参考にされていない。両者がきわめて
類似しているのに、捜索隊は数時間も他のところを探していたのである。
 いっぽう天理研究会事件では、二百二十五年前の赤穂事件をふまえて、
「布団の温もり」をたしかめるなど、いかにも古典的で忠実だった。


 Hussein,Saddam  元大統領 19370428 Iraq      /20031213穴倉で拘束
 麻原 彰晃 オウム真理教教祖 19550302 熊本      /19950516屋根裏で逮捕
 大西 愛治郎 天理研究会教祖 18810826 奈良 19581129 78 19280404屋根裏で逮捕
 吉良 上野介義央  高家少将 16411006 江戸 17030131 62 斬首/炭小屋で拘束
         (旧暦=寛永18 0902 - 元禄15 1214“赤穂事件”満月)

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 最古の浮世絵“吉良邸討ち入り”立命大 古書店から購入 

 「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士の吉良邸討ち入りの様子を描いた中で
最も古いとみられる浮世絵が見つかったと、京都市北区の立命館大アー
ト・リサーチセンターが13日発表した。1702(元禄15)年12
月14日の討ち入りから約9年後の作品で「これほど早い時期に描かれ
た忠臣蔵の浮世絵は知られていなかった」という。この浮世絵は、横大
々版(縦32センチ、横51センチ)で、墨刷りに朱色と茶色で彩色さ
れている。
 
 赤穂浪士がはしごで屋敷内に入ったり、炭小屋の前で吉良上野介を捕
らえる姿などを躍動的に描いている。
 
 同副センター長の赤間亮教授(近世文化史)によると、江戸時代は、
実際の事件を歌舞伎や浮世絵にすることが禁じられていた。この絵も架
空の物語に実在の役者を登場させる「見立(みたて)絵」で、江戸で活
躍していた歌舞伎役者21人を、大石内蔵助や吉良などなじみの登場人
物に擬している。
 
 立命大が9月に東京都内の古書店から購入した。赤間教授が鑑定し、
衣装の家紋から割り出した各役者名や役柄などから、1711(宝永8)
年の製作と特定した。作者は、作風などから鳥居派の有力な絵師とみら
れるという。
 
 これまでは1749年の浮世絵が忠臣蔵関係では最も古いとされてお
り、赤間教授は「当時の庶民が忠臣蔵をどのように受け止めていたかな
どが分かる資料だ」と話している。
 
 13日から来年1月16日まで同センターTel:075(466)34
11の「忠臣蔵と見立て」展で公開している。無料。
 
 浮世絵に詳しい浅野秀剛・千葉市美術館学芸課長の話早い時期に作ら
れた忠臣蔵関係の浮世絵が見つかったことは画期的だ。初期の鳥居派の
浮世絵研究にとっても貴重な資料になる。
 
 写真=上=忠臣蔵を題材にした最も古いとみられる浮世絵(京都市北
区・立命館大アート・リサーチセンター)下=赤穂浪士に捕まった吉良
上野介(中央)はまさに首を切られようとしている
── 《Kyoto Shimbun 2003.12.13 News》
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2003dec/13/W20031213MWC2K1A0000056.html
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 家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の
上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなりますが、当時は日の出の時
間に日附が変わっていたので14日となります)、大石内蔵助の率いる47人
が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入りました。
2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ること
ができました。
── 富山 いづみ《記念日・忠臣蔵の日 20001215 日本記念日學會》
http://www.nannohi.jp/12/14.html
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 寝こみを襲われた天理本道の幹部たちはほとんど全員検挙されたが、
肝心の大西愛治郎の姿が見えない。二階に寝ているというので、みなで
二階座敷に行って、伸べられている蒲団の中をさぐってみると、まだ温
みがあったから、たしかに彼は邸の中にいる、徹底的に調べてみようと、
天井といわず、便所といわず捜索した。すると、二階座敷の押入れに秘
密階段がこしらえてあるのを発見した。その抜け穴と、階下に通ずる秘
密階段の中ほどに、大西は縁にぶら下がるような格好で隠れていた。
── 松本 清張《昭和史発掘 04 天理研究会事件 19820810 文春文庫》P76-77

 19280404 第一次ほんみち事件、不敬罪で逮捕。0823報道解禁
 19301205 大審院判決、心神喪失により無罪確定。
 19381121 第二次ほんみち事件、治安維持法違反・不敬容疑で380人検挙。
 19451010 占領軍の命令で(政治犯として)釈放

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 だが、ついに五月十六日、麻原彰晃教祖が逮捕された。その瞬間たる
や、アサハラでなくアサハカに一千万円近くの現金を枕もとにおいて、
芝居の忠臣蔵を地でいったかのように隠れた急造の狭い部屋に寝そべっ
て隠れていたという。
── 藤岡 進《そろばん人生 〜 教育とは何か? 〜 》
http://www.asahi-net.or.jp/~bn4s-fjok/a-srbn/srbn9506.html
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 [フセイン氏拘束] 農場の穴の中に潜伏 銃と75万ドル所持
 20031215 Mainichi Interactive
 米英占領当局のブレマー文民行政官やサンチェス駐留米軍司令官は14
日、バグダッドでの会見で、フセイン元大統領の拘束時の様子を明らか
にした。
 現地時間12月13日午後8時半ごろ、ティクリートの南約15キロ
にある農場で元大統領は拘束された。周囲に民家などはなく、ひっそり
とした農場の建物内に、元大統領はイラク人2人と潜んでいた。
 
 米軍が建物内に乗り込んで捜索したところ、元大統領は地面に掘られ
た深さ約2メートル(6フィート)の穴の中にいた。穴の周りはレンガ
などで覆われていて、人1人が横になるのがやっとの狭い場所だった。
 
 発見された元大統領は抵抗することなく、米兵の指示に応じた。交戦
などはなかった。医師の検査に連行される際も協力的な態度を示したと
いう。穴の中を捜索すると、セミオートマチック銃のAK47が2丁と
米百ドル紙幣で約75万ドルが発見された。
 
 検査の結果、元大統領にけがはなく、健康状態も良好だという。拘束
された時には、白髪交じりの長いひげを生やし、少し伸びた髪の毛は乱
れたウエーブをなしていたが、拘束後にひげはそられたという。
 
 元大統領は拘束時に米兵と何らかの会話を交わしたというが、発言内
容などは公表されていない。また、米軍は現在も潜伏先の捜索を続けて
いるという。
 
 会見では、潜伏していた穴の映像も紹介され、フセイン大統領が医師
の検査を受ける様子もビデオで流された。映像が流れると会見場に歓声
が流れ、「サダムに死を」と叫ぶ声が響いた。
http://news.msn.co.jp/newsarticle.armx?id=646575
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