与太郎文庫
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2003年12月04日(木)  食前食後 〜 酸っぱいは成功のもと 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031204
 Ex libris Web Library;柳亭 痴楽 1960 だから手紙をカキクケコ
http://art-random.main.jp/samescale/072-2-1.html
 人生のセイムスケール 72年6ヶ月と1日の生涯
 
 料金不足のラブレターを送ってみて、受取拒否で返送されたら脈なし。
戻ってこなければ脈あり、もしくは保留か黙殺で、望みをつなぐ。
 ダメもとで、リトマス実験? ── 《女給の文 〜 痴楽綴方狂室》
 
http://q.hatena.ne.jp/1443952442#a1252019(No.2 20151005 04:14:02)
https://www.youtube.com/watch?v=BeWXn6_I0aI(20120516/05:09)
http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/63315745.html
 
 はてなスタッフ日記へのコメント投稿
 
>>
 
>疲れやすいのは「酢」が足りないのではないだろうか<
 staff diary @ reikon 2003-12-02 酢(原文参照)
http://d.hatena.ne.jp/reikon/20031202
 
[コメントを書く]
# adlib 『 さらわれて、サーカスに売られた子が(体を柔らかくする
ために)、まいにち酢を飲んでいるというのは、根拠のない俗説です。
わたしは、一日一粒の梅ボシを十年来つづけていますが、何の成果もあ
りません。』(20031202 22:57)
 
# adlib 『 つぎの往年の傑作落語を面白いと感じたら、まずもって健
康です。「朝は朝星、夜は夜ボシ、お昼に梅ボシいただいて、あ〜ぁ酸
っぱいは成功のモト。痴楽青春手帳より」(注:酸っぱい=失敗)』
(20031202 22:58)
 
# reikon 『adlibさんアドバイスありがとうございます。傑作落語、笑
えましたので安心しました。』
 
<<
 
 コメント補釈(投稿後の独白)
 
 Web日記の特徴は、ふだん忘れていることを思いだして、ひとこと
発言したいときには、即座にコメントを投稿できる。これに対する作者
の応答も公開されるので、原則としてフェアなルールが存在する。
 別名「ツッコミ」とも呼ばれ、読者Aのコメントに対して、読者Bが
反論することもある。昔ならば、演説や授業の合間に「ヤジ」を飛ばし
たり、関西弁の会話で「チャチ」を入れるようなものである。
(もちろん、ほとんどの読者は、おとなしく黙読するだけだが)
 
>一日一粒の梅ボシを十年来つづけていますが、何の成果もありません。
 「あいかわらず、硬骨漢です」と結ぶつもりが、これでは不得要領。
 サーカスの俗説については、あまりに信者が多いようなので、これ以
上は論じないことにした。ここで改行するつもりで Enterキーを押すと、
すぐに送信されてしまった。基本どおり、エディタで下書きを完成して
から再挑戦するが、うまくいかない。
 この「はてなスタッフ日記」では、Enter を押すと改行マークが入り、
それ以後が消えてしまうことが分った。二三度しくじったあとで、二回
に分けて送信することにした。書きたかったのは、つぎの後半である。
 あまり長文になるのを回避するための設定かもしれない。
 
>「お昼に梅ボシいただいて、あ〜ぁ酸っぱいは成功のモト」
 「朝に星を戴きて出で、夕には月を踏て歸り只念佛三昧(明意 上人)」
が出典らしいが、もっぱら勤労精神の賛美に曲釈されていたのである。
 それまで校長先生などが、もっともらしく引用していたフレーズが、
「あ〜ぁ酸っぱい」の大流行で、たちまち使えなくなった。これこそが
“ギャグ”であり、風刺文学の真骨頂なのだ。
 
 「お昼に梅ボシ」は、白い飯に赤い梅干を一個のせた「日の丸弁当」
をイメージしている(貧しくて、ほかにオカズがないことが多い)。
 朝からしくじって、またもや上司に叱られたが、昼の弁当をひらいて、
梅干を口にいれた瞬間、つい涙ぐんでしまう、という状況が目に浮かぶ。
「失敗=スッパイ」と聞えるのも(東北出身だろうか)切ない。
 七五調の最後に題名をそえるのも、まじめくさっていておかしい。
 俳句のあとの「読人しらず」のように、ひとこと云ったあと「NHK」
とつけ加えるジョークも(テレビ以前のラジオ時代には)あった。
 《痴楽綴り方狂室》シリーズには「恋の山の手線」「笑道一代」とか
「ラブレター」「青春日記」などの演題があてられている。与太郎は、
「痴楽青春手帳より」と記憶していたが、たぶん「痴楽青春日記より」
と結ぶのが正しいようだ。
 
 もとは戦前戦後の二度にわたる「作文ブーム」に関連がありそうだ。
 痴楽は、青春時代(十七歳)に映画《綴り方教室》を観て、ヒントを
得たのかもしれない。やがて戦後第一号の真打(二十四歳)となって、
柳家 小三治(のちの小さん)や三遊亭 歌笑にならぶ“若手三羽ガラス”
と期待された。
 その絶頂期に、不慮の死をとげたライバルの《歌笑純情詩集》を継承
したともみられる。翌年には《山びこ学校》がベストセラーとなった。
 かくして「七五調の綴り方」が完成(三十歳)したのである。
 
 戦前の、朝はやく弁当をもって出かけ、夕方おそく帰ってくる小作農
のライフ・スタイルが、戦後は都会の町工場や勤め人に受けつがれた。
 やがて郊外のマイホームから通勤するサラリーマンが、コンビニ弁当
にパクつく高度成長期に、痴楽は半身不随となって引退、あの七五調は
聞かれなくなった。
 
 晩年を過ごすことになった台東区老人介護福祉センターで、リハビリ
に励み、弟子の楽輔に助けられて最後の高座をつとめる姿がテレビ番組
で紹介された(車椅子で、五分間だけ寄席に立ったとも伝えられる)。
→ 日本テレビ《ルックルックこんにちわ》


 豊田 正子/大木 顕一郎・編集《綴方教室 1937 中央公論社》
 豊田 正子/山本 嘉次郎・監督《綴り方教室 19380620 東京東宝》
 無着 成恭・編《山びこ学校 1951 岩波文庫》
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 柳亭  痴楽 1 落語 19720412 東京    19530325 81 /→柳亭 左楽 5
 柳亭  痴楽 2 落語 189309‥ 東京    19410114 49 /“エヘヘの春風亭 柳枝 7”
 柳亭  痴楽 3 落語 189402‥       193,‥‥ ? /籍=関根 弁次郎
 柳家 小さん 5 落語 19150102 長野 東京 20020516 87 /1995 人間国宝/剣道範士
 三遊亭 歌笑 3 落語 19170922 東京    19500530 32 /交通事故/銀座で米軍ジープに
 柳亭  痴楽 4 落語 19210530 富山 東京 19931201 72 /1973 入院〜《痴楽綴方狂室》
♀平賀  みき 元歌手 19‥‥‥ 大阪   1985‥‥ ? /1988 死亡公表/柳亭 痴楽の妻
 柳亭  痴楽 5 落語 19511130 北海道 /196801‥入門/籍=沢辺 幸三/1996 襲名
 柳亭  楽輔  落語 19530125 静岡  /1972‥‥入門/籍=笹本 邦雄
 1973柳亭痴楽が病に倒れ三笑亭夢楽の預り弟子に197611‥二ツ目198705‥真打昇進

 
 ついでに、「梅ボシ婆さん」とか「梅干ばばぁ」というのはなぜか。
 梅干が酸っぱくて、口をすぼめた表情が、歯のぬけた老人の顔つきと
似ているところから連想したのだろう。すなわち、いつも口をすぼめて
いるから、梅干を口に入れているように見える。
 しからば「梅ボシ爺さん」とか「梅干じじぃ」といわないのはなぜか。
 ふるく年季のはいった梅干は、シワが多くて色がくろい。シワと色黒
は女の天敵であって、男にとってはダメージにならない。したがって、
「塩じぃ」と呼ばれた財務大臣は笑っていても、都知事が「ばばぁ」と
いえば猛反発されるのである。
 こんなことは誰でも知ってると思う一方で、もはや死語となっている
可能性も高い。いまどき総入歯があたりまえになって、歯のぬけた老人
をみる機会はないのである。やがて、ハゲ頭も絶滅するにちがいない。
(Day'20031205)
 
── 尾崎 士郎・原作《ホーデン侍従「欲」19580624 松竹》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B00DW5SM5A
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040109 老友諸君!「梅干爺」の典拠?
 
http://q.hatena.ne.jp/1108489263#a260968(No.7 20050216 06:17:13)
── 夏目 漱石《永日小品》から、林 芙美子《放浪記》まで
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html
 
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@amneris84 @dave_spector
 一、江戸時代まで、朝食と晩食しか食べなかった(柳田説)。
 二、明治時代から、中食(ちゅうじき)が出現した(漱石)。
 三、農業より工業人口が増え、お昼のドンで他人と会食した。
 四、中食を昼食(ちゅうしょく)に呼びかえた。
 
 ここまでは、すこし退屈なウンチクだったが、絶妙のオチにつづく。
…… 朝は朝星、夜は夜ボシ、お昼に梅ボシいただいて、あ〜ぁ酸っぱい
は成功のモト。痴楽青春手帳より。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031204 食前食後
 
https://twitter.com/awalibrary/status/843375135067275264
 

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http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20031204
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)

 
(20170319)
 


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