与太郎文庫
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2003年11月17日(月) |
独学の奏者 〜 あまちゅあ・かっぽれ(追記) 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031117 >> 吉田 雅夫氏(よしだ・まさお、フルート奏者、東京芸大・昭和音大 名誉教授、本名正雄=まさお)17日午前11時19分、肺炎のため東 京都内の病院で死去、88歳。北海道出身。連絡先は東京都品川区上大 崎2の13の32の604、日本フルート協会。葬儀・告別式は20日 午後2時から、東京都港区高輪3の15の18、高野山東京別院で。喪 主は妻二二子(ふじこ)さん。 慶応大卒。会社勤めの後、1942年に新交響楽団(現NHK交響楽 団)に入団、首席奏者を務めるなど日本のフルート演奏の第一人者とし て活躍した。東京芸大、昭和音大で教え、亡くなるまで日本フルート協 会会長を務めた。80年に紫綬褒章、93年に芸術院賞恩賜賞を受けた。 http://www.kyodo.co.jp/?PG=STORY&NGID=mour&NWID=LATEST 共同通信社・訃報 Yoshida Masao 吉田 雅夫 1915年1月2日、北海道函館市生まれ。38年に慶應義塾大学法学部を卒 業後、東京音楽学校本科器楽部中退。フルートは独学だが、後年レツニ チェク、ジョネに師事している。42年〜63年までNHK交響楽団首席奏者を 務めた。63年に東京芸術大学教授に就任。 日本のフルート奏者の草分けといえる存在で、現在は演奏活動からは 退いているが、講演や執筆活動を通じて後進の指導にあたっている。日 本フルート協会会長、東京芸術大学名誉教授、昭和音楽大学名誉教授、 NHK交響楽団理事。 http://w3.kushiro-ct.ac.jp/elctro/~ym/flute/players/y.html Flute Players - Y << >> 吉田 雅夫《フルート公開レッスン》 ふるい音楽では、作曲家が書かなかったけれども演奏家がやらなくて はいけない5つの原則、テンポ・リズム・ダイナミック・スラーとスタ ッカート、そして装飾です。これらを決定することが演奏家の仕事です。 当時は作曲家がことこまやかに指示したとすれば、演奏家の権利を侵害 したことになるんです。 たとえば8分音符の連続、これを昔はどう演ったか、均等の長さで吹 くことではなく、不均等が原則だったのです。均等に吹かせるためには 作曲家は音符の上に点を書かなければならなかった。それがいつの間に かスタッカートに転化してしまった。だからふるい譜面をみるときには、 そのどちらを要求したのかを明確に見きわめなくてはならないんです。 たとえば、スコットランド民謡“ゆうぞらはれて”という曲、元来は スコッチ・スナップという特殊な地方的な色づけのあるリズムです。こ ういうものが外国に正しく伝えられるか、日本ではそうはいかない。三 味線のリズムになってしまうんです。……ほら……(笑) (19690608 十字屋楽器店・主催) ── 《月刊・アルペジオ No.4 19690701 Awa Library》 << 吉田雅夫氏は《フルート公開レッスン》のあと、すぐに新幹線に乗る ので、白昼のビヤガーデンで簡単な会食がもたれた。主催者の田中昌雄 社長に招かれて隣に坐った与太郎を、吉田氏は何か勘違いされたらしく、 レッスンの続き(バロック音楽の即興性)を語りつぐ。タクシーの窓か ら首を出し、走り去るまで、その講義は終らなかったのである(別稿)。 ── 《虚々日々 20001231 阿波文庫》P201 上のエピソードは、あちこちに書きとめているが、いまだ書きかけの “別稿”のままである。いわく「吉田雅夫氏のバロック音楽のアドリブ 演奏論」「ビヤホールからタクシーまで〜アルペジオ・追補」などなど、 「もっと聴いておけばよかった。」という感慨で共通している。 与太郎が論じたいのは、氏のフルートが独学であったことから、この ような熱心さが生れたのだ、というものである。アマチュアリズム論は 《あまちゅあ・かっぽれ》で謳歌したように、与太郎の青春論でもある。 実は、公開レッスンの会場で、山田忠男夫人にも会っている。 「ちっともお変わりになってませんねぇ」母親世代のレディに、思わず 言ってしまったほど、十年前の面影のままだった。“ヤマチュウさん” こと山田忠男教授の音楽一家については「然かざりき」に書きもらした 二、三のエピソードもあるが、きりがないので、今日はここまで。
吉田 雅夫 フルート 19150102 北海道 東京 20031117 88
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