与太郎文庫
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2003年07月06日(日)  渡部家の人々

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030706
 
■渡部玄一 チェロ・リサイタル   出谷 啓
 
 渡部玄一は桐朋学園から、ジュリアード音楽院に留学、現在は読売日
本交響楽団の楽員として活躍している。大阪での初リサイタルで、ショ
パンの「序奏と華麗なるポロネーズ」、ブロッホの「祈り」、シューベ
ルトのアルペジョーネ・ソナタ、そしてショスタコーヴィチのソナタと
いうプログラムであった。ピアノは、松谷園子。
 渡部は優れた技巧と、自然な音楽的呼吸法の持ち主で、何よりも自然
体の演奏が魅力だったといえる。ショパンからして、ローズの改訂した
ソロ・パートを難しくした版を用い、特殊奏法を多用した技巧の冴えを
実感させた。またブロッホやシューベルトでは、旋律をたっぷりとうた
わせ、しかも自然なエクスプレッションを聴かせたあたり、音楽性にも
並々ならぬものを窺わせた。
 そしてショスタコーヴィチでは、彼のこの作品に対する音楽も入れの
深さが、ストレートに感じさせる、大変な熱演になっていた。とはいっ
ても情念だけで、曲とともに心中するような惑溺ではなく、深い思いを
表現しながらも、客観的なテクニックでコントロールしようとする、強
い意志の力をも感じさせる。渡部はそういった意味では、極めて鋭敏な
音楽性と、必要不可欠なだけの技巧を持った、高い資質の完成された音
楽家だといえよう。ただソロイストとしての「華」のようなものが、1
枚加われば鬼に金棒だろう。また第1部と第2部の冒頭に、曲目に関する
トークをしたが、ややしゃべり過ぎの感が否めなく、10以上をトークに
費やすのなら、最初から「レクチュア・コンサート」と銘打つべきだろ
う。延々としゃべられた後で、いざ演奏に入られても、聴き手としては
そう素直に、音楽には乗れないものである。演奏する場合も、本来そう
なのではなかろうか。松谷のピアノは、チェロを十分に支えていたと思
う。(7月6日・ムラマツリサイタルホール新大阪) 〜 演奏会評 〜
── http://homepage3.nifty.com/detani/new_page_1.htm
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 渡部 昇一       英語学    19301015 山形 “賢人会議”
♀渡部 □□ 昇一の妻 /ピアノ?   193・・・・・
 渡部 玄一 昇一の長男/チェロ    1963・・・・ 東京
♀渡部 尚子 玄一の妻 /ヴァイオリン 196・・・・・
 渡部 基一 昇一の次男/ヴァイオリン 1966・・・・ 東京
♀松谷 園子       ピアノ    196・・・・・
 出谷 啓 音楽評論   19400614 大阪
 熊本 幸夫    音楽プロデューサー 19・・・・・・


 
■渡部玄一 チェロ・リサイタル   熊本 幸夫
 
 リハーサルの会場は響きすぎる。ライプツィヒのピアノ「ブリュート
ナー」はよく調律されていたのだが、正直なところ、チェロとの相性は
リハーサルを聴く限り、ちょっと違和感があった。このホールはお客様
が入ると音が変わる。200席を埋めた満員の聴衆を前にした本番は、
「バランスもよく、ピアノの音も、チェロの響きも、申し分なかった」
と渡部玄一夫人のヴァイオリニスト尚子ちゃんがそう言ったから安心し
た。いつもそうなのだが、裏方はモニターでしか聴けない。
 
 ところでそのモニターだが、このホールにはいたるところにモニター
が設置されている。下の写真は、ロビーのモニターの画面を撮影したも
のだ。遅れてきたお客様やロビースタッフが舞台の様子や音楽をモニタ
ーする。年配の外人女性が僕のとなりに座った。多分、ベゼンドルファ
ーのショールームのお客様だろう。しばらく話をした。「アルペジオー
ネ」を聴いてその人は去ったが、もしこの小さなホールにお客様があふ
れたら、このモニターの外野席はさぞや楽しくなったことだろう。
 
 下の写真。これがホールのロビー。正面は、扉でもなんでもないロビ
ーの装飾である。左に見えるのがロビーモニター。この前にパイプ椅子
を5つ6つ、置いて貰った。左が楽屋入口。右が客席最後部の扉に向か
うコリドール。「ムラマツリサイタルホール新大阪」は200席の音楽
専用ホール。以前は「音楽の友ホール」と言ったが、このコンサートの
入場券を「チケットぴあ」に販売依頼したときに、彼らは「ムラマツ…
ホール」を知らなかったのには驚いた。4月に再オープンして以来、正
統派のコンサートは初めてだったみたい。使用料は格段に安いし、スタ
ッフは気持ちのいい人たちだし、申し分ない。もっと見直されていい。
喫煙場所がないので、僕のようなスモーカーには否応なく健康的なホー
ルである。
 いいコンサートだった。チェロは張りのある力強い演奏だったし、
「音楽のある知的生活」を彷彿とさせる渡部玄一のステージトークが、
ありきたりの曲目解説を遙かに越えて、客席を和やかにしていた。でも
この人のチェロはサロンコンサートよりも、大きなホールで聴くべきチ
ェロのようだ。アンコールにはカザルスの「鳥の歌」と、「白鳥」だっ
た。どんよりと曇った重い梅雨空で、湿気の多い日曜日の午後だったが、
少しは風もあって、僕はひさしぶりに、優雅な気分になったのだ。
── http://www.kcc.zaq.ne.jp/classic_house/concert/watanabe/watanabe_cello.html


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