与太郎文庫
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2003年06月11日(水)  罪と罰

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030611
 
■2003/06/11 (水) ホテル日本閣事件(1)

 男は当時わずか二十六で四十女をひきつける力はなかったろうと弁護
士の先生はおっしゃいましたが、とんでもございません、気もちといえ
頭のていどといえ落ちついて、ようりょうがよく悪ぢえがはったつして
年上の女をだます名人でした。
 私を手なずけて主人をなきものにし、責任をとり一生めんどうを見る
からと、ねこなで声で親切にやさしくしてくれたもんで、すっかり信じ
てしまい何でも言いなりに、大学へ行かせ、テッポーを買ってやり、教
習所へ行かせ、車を買ってやり、仕事場をつくってやりました(略)。
 それなのに追い出されたから私はくやしくて、くやしまぎれに金をた
めました。その金がわざわいしてこんどの事件をおこしたのです。もし
金がなかったら、日本閣の鎌助さんも私をだましにこず、なにごともお
こりませんでした(略)。
 いくらだまされたからと申しましても、殺すなんてほんとうにたいへ
んなことをしてしまい、申しわけございません。どうしてあのときやめ
られなかったのかと、こうかいしております。
 一生刑務所でごほうこうさせていただきますから、どうぞごかんべん
おねがい申上げます。〜(19631002・小林カウの上申書)
 一九七〇年六月十一日、遂に執行の日が来た。六十一歳のカウは、近
親による最後の面会もないまま、刑場へ引かれていった。先に死刑が確
定した二人の女性は、恩赦と獄中死亡により、執行されていない。した
がってカウが、戦後初めて死刑台に昇った女性なのである。
 
―― 佐木 隆三《殺人百科[二]第五話雪の渓谷に架けた夢 19840615 徳間文庫》P000
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■2003/06/11 (水) ホテル日本閣事件(2)

 1960年2月6日、栃木県塩原温泉のホテル日本閣の管理人の小林
カウ(当時52歳)が、ホテルの乗っ取りを計画。経営者の生方(うぶ
かた)鎌助(53歳)の愛人になり、色仕掛けで仲間に引き込んだ従業
員の大貫光吉(当時37歳)と共謀して、経営者の妻の生方ウメ(49
歳)を殺害。同年12月31日には経営者本人も殺した。
 1961年2月19日に逮捕されたカウは、9年前に、当時同棲して
いた元巡査の中村又一郎(当時34歳)と共謀して夫の小林秀之助(4
9歳)を青酸カリで毒殺したことも自白。1966年7月14日、最高
裁でカウと大貫が死刑、中村に懲役10年の刑が確定した。1970年
6月11日、カウと大貫が揃って死刑が執行された。戦後における女性
の死刑執行は彼女が第1号である。(死刑の確定では3人目。1人目は
姫路市で老夫婦を殺害した山本宏子で、1951年7月に死刑確定、
1969年に精神異常のため特別恩赦を受けている。2人目は熊本市で
姑、行商人、近所の主婦など3人を毒殺した杉村サダメで、1963年
3月に死刑確定)
── 《無限回廊》
── http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/dokusatu.htm
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■2003/06/11 (水) Cannibalism(1)

 パリで知り合ったガールフレンドを殺し、死体を切り刻んで食べた
佐川一政は、小柄で痩せ細ったインテリ学生で、殺人者とは程遠いタイ
プだった。この号では、コリン・ウイルソン自らの取材により事件の詳
細を再現し、佐川一政本人の証言に基づいて、彼をつき動かした奇怪な
衝動を解明する。(P039)
 拘置所にいたある日のこと、同房の囚人の1人がアフリカで起こった
人肉食事件を報じた新聞を見せ、「兄弟」としてはどう思うかと尋ねた。
新聞の見出しには、「現代に生きる古典的な儀式!」とあった。そこへ
通りかかったエチオピア黒人の囚人に、佐川は新聞記事を見せ、
「アフリカでは本当に儀式として人を食べるのか」と尋ねたところ、そ
の黒人は、「とんでもない! 好きで食べるのさ」と応じた。(P056)
 フランスの精神病院の外に一歩踏み出した時点で、佐川は法的には自
由の身となった。釈放に、条件は付されていなかったのである。(略)
そこで、佐川の家族は、東京都立松沢病院に、佐川を自由意志に基づき
入院させる道を選んだのである。(P061)
 松沢病院の金子(嗣郎)副院長(当時)と(略)補佐をする4名の医
師は、佐川には人肉食の性癖など一切なく、フランス当局に単なる性犯
罪ではないと思い込ませるための、まったくの欺瞞だったという結論に
到達していたのである。金子副院長によれば、佐川は精神病ではなく、
人格障害として分類される状態にあり、刑事責任を問われるべきだった
というのだ。金子副院長は次のように語っている。「私は佐川が正常で
あって、有罪だったものと考えています。彼は刑務所に入れられるべき
なのです」。
(英文月刊誌『Tokyo Journal』1992年9月号「Year of The Cannibal]
より)(P062)

■2003/06/11 (水) Cannibalism(2)

 佐川の人生に変化が生じたのは、1989年に宮崎勤(当時26歳)が幼女
4人に対する、未成年者誘拐、殺人、死体遺棄などの容疑で逮捕された
ときだった。宮崎の弁護人が、彼が被害者の死体の一部を食べたと発表
すると、マスコミは先を争って佐川に電話でコンタクトを取り始めたの
である。佐川はすでに名を変えていたが、マスコミが居所を探すのにさ
したる苦労はなかった。佐川には宮崎の人肉食への衝動が理解できたし、
これをうまく説明しようと努めた。
 ただし、宮崎が一度これを経験した後、再び繰り返すにいたった理由
は、佐川にとっても理解の限度を超えていた。(P067)
 僕が仮に逮捕されていなかったとしても、2度とあのような犯罪を犯
さなかったと思う。なぜなら、僕の抱いていた幻想は、恐ろしい現実に
よって完全に打ち砕かれてしまったからだ。僕は自分のしたことに吐き
気を催した。〜 佐川の著書からの引用 〜 (P071)
    ── コリン・ウイルソン 責任監修/作田 明・日本語版監修
《週刊マーダー・ケースブック No.2 19951010 省心書房》
 


♀ルネ・ハルテベルト 1956‥‥ Olanda  Paris 19810611 25 /留学生・ハルテヴェルト
 佐川 一政 “佐川君”19490426 神戸 横浜          /1982 芥川賞
 唐 十郎 劇作/演出 19400211 東京            /
 Wilson, Colin 哲学 19310626 England London 20131205 82 /
 金子 嗣郎 精神医学 19300513 東京      19970122 66 /

 
(20210706)


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