与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030522 父、江田三郎の死
昭和五十二年五月二十二日午後八時三十分、父、江田三郎が息を引き とった時、私はふと「今日は俺の誕生日だ」ということを思い出した。 事態の急変でそれまで忘れてしまっていたのだ。 「肺と肝臓にガンがあり、おそらく膵臓にもあるだろうが、こういう状 態でも六ヵ月ぐらい生きる人もあります」と、医師が私に告げたのが五 月十九日。だが父は、医師の予想に反して病状をどんどん悪化させてい った。わざと選んだように父が私の誕生日に死んだことに、何かを感じ るべきかと思った。 この前年、十二月五日の総選挙で、父は落選した。落選の原因はいろ いろあろう。不覚とも油断ともいえよう。しかしそれだけではない。父 の人気につながっていた「社会党内にいて社会党改革を訴える」行動が、 一方では「江田さんがいくら言っても、社会党はちっとも変わらない」 という失望やシラケにもつながっていたのではなかろうか。父の落選は、 社会党内にいる父の同志たちの未来をも暗示しているように見えた。 (略) だが、落選により父は身軽になった。これを機会にふん切りをつける 決心をしたらしかった。二月の社会党大会では、「社会主義協会派」の 野次の嵐の中で、諄々と自説を主張した。「野次られるのを楽しんどる よ」とこの当時父は私に言った。負け惜しみでも強がりでもなく、本心 だったと思う。 三月二十六日、父は離党届を出し、同時に七月の参院選に立候補の決 意を表明し、「社会市民連合」の結成を提唱した。私は、父の行動に心 から拍手し、自分は裁判官だから動けないが、妻に「できる限り応援は しなきゃいかん」と話した。(略) 四月二十四日、父は菅直人君らのグループと公開討論会をやった。両 者の考えは、一致を見た。「社市連」の結成準備は、着々と整った。 離党直後から父が書き続けた著書「新しい政治を目ざして」の出版記 念会と「社市連結成全国準備会」を併せて、五月二十五日に大集会を開 催することも決まった。だが、こうした動きに反比例して、父の健康は 日ましに悪化していった。 五月二十五日の三日前に息を引き取る無念さを、父は、私の誕生日に 「駆け込み死」することで私に伝えようとしたのではないか。こういう 思いが、一時に頭の中にあふれた。私は、「後を継げ」というみんなの 説得を天の声と聞くべきだと思った。 ―― 江田 五月《国会議員 19850420 講談社現代新書》P084 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 江田 五月 衆議院議員 19410522 岡山 19930522社民連解散宣言 江田 三郎 参議院議員 19070729 岡山 19770522/69 19770525社市連結成予定
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