与太郎文庫
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2003年04月07日(月)  誤辞苑 〜 亡国論 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030407
 
 ◆女子アナ天国
 
 かつて暉峻康隆(てるおか・やすたか)早稲田大学教授(国文学)は
“女子大生亡国論”を唱えた。
 以下、さる女子大仏文科の面接試験の実話(伝聞記憶)である。
 
 面接官の質問「いままで読んだ中で、いちばん印象的な作品は?」
 受験生の回答「モーパッサンの《脂肪のタマシイ》です」
 この話を伝えた教授の実名は思いだせないが、その受験生は合格した
かもしれないのである。もちろん正しくは《脂肪の塊(かたまり)》。
 
 この年代の女子大生にとって、いちばん人気の職業は“女子アナ”で、
あった。とりわけ“フジテレビ花の六人組”は、それぞれ“玉の輿”を
めざして相次いでゴールインしていく。
 
 河野景子は、結婚披露宴のあとの会見で、はればれとした表情で、
「おかげさまで、挙式を挙げることができまして…」と言ってのけた。
「女のおばさん」や「年とった老人」に類する重箱表現だが、それ以後、
女子アナの“業界用語”として定着し、さらには妊娠五ヶ月の花嫁に、
一族郎党ことごとく気づかないフリをする美風をもたらしたのである。
(19950225貴ノ花 2と婚約会見0501入籍0529挙式0927長男出産)
 
 かつて女子大生の第一志望はNHK、第二志望は東京本社のある民間
放送局、第三志望が地方民放局(以下、無限につづく)。彼女たちも、
キャリア・ウーマンとして、やがては三十代を了えんとしている。
 
 石村理香が無造作に読みとばした「ザトウ」には二通りあり、「座頭
(ざとう)」ならば盲目の按摩や琵琶法師を指し、「座頭(ざがしら)」
と読めば首座・座長のことである。いまでも存在するのは後者だから、
ニュース用語としては注釈すべきところだ。
(ほとんどの視聴者は「座頭市=勝 新太郎」を思いうかべるだろう)
 
 彼女がペアを組んだ最初のニュースでは、後輩らしき男性記者が開口
一番「団塊の世代」を「ダンコンの世代」と読みちがえたとき、顔色も
変えずに(小声で)「ダンカイ」と注意したのは貫禄十分だった。
── 《せとうちニュースアイ 199・ TSCテレビせとうち》
(Day'20030407)
 
──「一見の価値」Google 79,300件←7,820件「誤=必見の価値あり」
♀&♂(若手の前座アナウンサー)は正しい。
── 《めざましテレビ 20030616 05:40 ca フジテレビ》
────────────────────────────────
(月〜金 05:25)の女性キャスターが、3月31日に小島 奈津子アナ
(34)から“アヤパン”こと高島 彩(23)アナに交代。
 
 ◆思いこみ
 
── TBSのニュースでアナウンサー松井陽子が、ひどいリンチで中学
生が捕まった事件を報じていました。「ジョコツなどが折れ…」と記事
をすべて読みきった後、「失礼しました。ロッコツが折れ、の誤りでし
た。」と言い直しました。 
── 《第27棹 : ジョコツかよ 20031112 》
http://hpcgi1.nifty.com/%7Enaotosi/zatubun.pl?s=10&b=27
♀松井 陽子 アナウンサー 19780411 福岡 /200304‥TBS「ニュースバード」
 
 ビート・たけしの率直な告白「てっきり、ジョコツ(助骨)だと思っ
てた」←「肋骨(ろっこつ)」
── 逸見 政孝・司会《平成教育委員会 1994ca フジテレビ》
 
 デヴィ夫人「ししゅん」←「示唆(しさ)」〜 サッチー騒動で 〜
(この人の言語能力は、上品ぶって話そうとするところに弱点がある)
 上品ぶる必要がない池坊保子にも共通するのは、聞きおぼえたままで
むずかしい言葉を使おうとして、たえず「あのウ、エー、そのウ」と、
質問をさえぎるための接続詞や間投詞が多くなるのである。
 
 お前もか! 渡辺 宜嗣「ししゅんを与える」
── 《やじうまワイド20040408 08:35 テレビ朝日》
 
 地方の民放局には、ニュースよりもカラオケが得意なアナウンサーも
存在する。植松 おさみ「モリジアーニ」←「モジリアニ」始末記。
 開催までの約一ヶ月間、関係者も視聴者も誰ひとり気づかなかった。
みかねた与太郎が倉敷支社に電話すると「えッ、そういうことは本社に
お願いします」と答えるお粗末ぶり。開催直前、ようやく訂正された。
── RNC西日本放送のCM《モジリアニ展 1994ca? 高松市美術館》
 
── 1999年に高松市美術館で『モジリアニ展』が開催された時、西日
本放送は一ヶ月前からCMを放送していたが、そこで『モリジアニ展』
と言い続け、開催終了時まで間違ったままで、訂正されなかった。
── 《豆知泉450[豆4491]》
 
 ◆レポーター三傑
 
 梨元 勝「ナニソツ、よろしく」←「何卒(なにとぞ)、よろしく」
(タレントからの手紙を読みながら)Day'19990618 09:27 よみうりTV
 
 鬼沢 慶一「ボウゴン」←「暴言(ぼうげん)」を吐いた。
(Day'19990618の数日前、テレビ朝日)
 
 福岡 翼(近頃、宮沢りえが)「ノウヤカになった」←「たおやか」
のつもりか? あるいは「濃艶」をバラして、「艶やか」を「濃やか」
と混読したものか。(Day'20021213 テレビ朝日)
 
 ◆政治家三傑
 
 福田 赳夫「人の命は、地球より重い(19771001ダッカ事件)」
 いまなお論拠不明の比喩。
 
 海部 俊樹「何事も国連中心で」(1992カンボジア派兵にあたって)
 一国の首相として「何事も」とは、あまりに不見識だが、当時は人気
があったのである。自由党最高顧問・新進党初代党首を経て、いまでは
保守党最高顧問(!?)。
 
 佐藤 孝行「過ぎたるは及ばざるということで」→「過去の不祥事には、
言及しない(?)」(19970911-0922 橋本内閣・総務庁長官就任会見で、
ロッキード事件での有罪について)まことに憂慮すべき失言だった。
 ふつう政治家は、おなじ発言をあちこちで繰りかえしているはずだが、
彼の知人友人や後援会員には誰一人「それは、まずい」と教えてくれる
者がいなかったらしい。
 ときの総理も「よし、それで行こう」と言ったのではないか。
 
── 人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し。いそぐべからず。不
自由を常とおもへば不足なし。こころに望おこらば困窮したる時を思ひ
出すべし。堪忍は無事長久の基。いかりは敵とおもへ。勝事ばかり知て
まくる事をしらざれば害其身にいたる。おのれを責て人をせむるな。
 及ばざるは過たるよりまされり。
── 《家康公遺訓 16030225 慶長八年正月十五日》


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