与太郎文庫
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2003年04月06日(日) |
迷辞苑 〜 おえん 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030406 >> 先日、公民館でのホワイト作業(原稿を印刷機にかける直前の段階ま で仕上げて、コピーの汚れなどを修正液で消してきれいにする)の最中、 一人が、フリートークの中に誤字?を発見。 A「『続けざるおえない』の『お』は『を』の間違いちゃう?」 B「えーっ、それは絶対おかしい、『お』って学校で習った。それに、 今に なって言われても…。」 C「漢字で書くと『続けざるを得ない』やから、やっぱり『を』やで。」 B「そんなん、初耳。」 投稿者の原文は?と調べると、「続けざるお得ない」となっていまし たが、 A「それはワープロの打ちミスとちゃうの?」 と、カンカンガクガク。大議論の末、公民館の中の情報図書室に3人 で調べに行くことになりました。『広辞苑』で調べると、「やむをえな い」の場合は「やむおえない」という書き方もあるとのこと。でも、そ れ以外の「〜お(を)えない」の例はどちらも見つけることができませ んでした。今回のフリートークのワープロ担当(B)は「〜・を・得な い」の意味にようやく納得。他の2人は、「やむおえない」も許容とは 初めて知りました。いやー、勉強になる。 で、今回、どうする? 1、「を」に直して『続けざるをえない』にする。 2、投稿者の原文のままにする。 3、担当者の打ったとおり『続けざるおえない』にする。 もう時間的余裕がないこともあり、結局、3の考えで行くことに。皆 さん、どう思われました?いやはや、たった1字でもおろそかにできな いという今回の事件でした。 教訓は、「くれぐれもチェックは早めに、しっかりと」です。 (くげあけみ) ── 《こぼれ話 2000年秋号 まめっこ通信(No.29)》 ── http://www.d3.dion.ne.jp/~thats/mamekko/old/new29.htm << >> このサイトは中井雅之さんのファンで、やしきたかじんさんのファン でもある管理人・まめこが運営しております。(略) 関西のテレビが映りません。代わりに、ラジオで中井さんの活躍を聞 いています。唯一テレビで活躍を見られるのは三重テレビで10日遅れに している『たかじん胸いっぱい』だけです。 あとはラジオに頼らざるおえません。 ── 《中井雅之非公式ファンサイト−Let's enjoy NAKAISM!! 〜やっぱたかじんさんも好きやねん!〜》 ── http://www9.ocn.ne.jp/~radio.tv/nakaifan/nakai/what.html Since 2002.10.30 Last Update:2003.3.30 << ついに、「やむおえない」を認めざるを得ないのか? 上記の「頼らざるおえません」が、いかにも不自然なのは、いままで 読んだことも聞いたこともない用例だからである。 広辞苑では、形容詞として「どうすることもできない。手にあまる。 しょうのない」の意を掲げているのであって、助動詞として「せざる+ おえない」を許容しているわけではない。 「を得ない」も「おえない」も否定形であって、肯定形の「を得る」 は存在しない。さらに「了える」「負える」との関連も不明である。 一説に「日本語には、国語学者の数だけ、国文法がある」という。 浅草喜劇の長門勇が連発した「おえりゃーせんのう」は、1970年代の アドリブがもとであり、出身地の岡山弁そのものではないという。 岡山では「おえる」を、つぎのように用いる。 同僚に「これで、ええかな?」と同意を求められて、「どうかな?」 と思った場合には「おえまぁ」と答える。「おえまぁなぁ」といえば、 さらに消極的な否定となって、相手も「おえまぁか」と引きさがる。 生意気な部下に「これで、どうでしょうか?」と承諾を求められたら、 強く「おえん!」と断言する。積極的な否定である。 頭をかかえた社長が、弱く「おえん」とつぶやくようなら、まもなく 倒産するにちがいない。あるいは医者が、患者の身内をふりかえって、 「おえん」といえば、手に「負えない」ことを意味する。 三十年間にわたって与太郎が見聞したかぎりでは、もっぱら岡山県下 の男性特有の慣用であって、女性が用いた記憶はないのである。 以上は“アナウンスの退潮”と題するメモ(Day'19991004)による。
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