与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


2003年03月22日(土)  生没諸説

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030322
 
■2003/03/22 (土) 死せる軍師たち

 ラマダン副大統領爆死でフセイン重大危機 (夕刊フジ)
 2003 年 3月 22日 【ワシントン21日=夕刊フジ特電】
 フセイン側近3人が爆死−。米ABCテレビは21日、米当局筋が明
かした話として、フセイン大統領の重要な側近3人が、19日の米軍に
よるバグダッド第1波空爆で死亡したとみられると報じた。大統領の側
近中の側近3人が死亡したのが事実なら、フセイン政権は重大な危機に
直面することになる。
 死亡したとみられるのは、タハ・ヤシン・ラマダン副大統領(64)、
イザト・イブラヒム革命評議会(RCC)副議長(60)、アリ・ハッ
サン元国防相(64)の3人。
 米当局筋は、最初のバグダッド空爆後の通信傍受記録や、フセイン大
統領ら主要メンバーの会議に3人が出席していないことが、死亡の根拠
になっているとしている。
 ラマダン副大統領とイブラヒム副議長は「1968年のクーデターで
バース党政権が誕生して以来の大統領の盟友で、フセイン政権を支えて
きた側近中の側近」(米軍事筋)。イブラヒム氏はイラクの憲法上、大
統領に次ぐナンバー2で、国土を4分割したイラクの防衛体制のうち北
部司令官を務めている。
 また、アリ元国防相は、バスラを含む南部地区の司令官を務め、大統
領の実父系のいとこ。88年、バース党北部支部長だったアリ氏はクル
ド人5000人の大量虐殺事件を指揮し、「ケミカル・アリ」の異名を
持つ。親族が亡命事件を起こし、一時は要職を離れていたが、その後、
復権。
 「フセインへの忠誠心から、身内の首も差し出す残虐性の持ち主」
(米政府筋)とされ、今回の対米英戦では、生物化学兵器の責任者とし
て南部の指揮官となった。
 3人の死亡説について、米軍事筋は「事実なら、フセイン政権に重大
な痛手になるのは必至だ」と話している。


────────────────────────────────
タハ・ヤシン・ラマダン 副大統領 1939 Iraq 20030319/64“側近中の側近”
イザト・イブラヒム RCC副議長 1943 Iraq 20030319/60 北部司令官
アリ・ハッサン     元国防相 1939 Iraq 20030319/64“ケミカル・アリ”


■2003/03/22 (土) 生ける軍師

 米英軍司令官は「百戦錬磨の指揮官」 (夕刊フジ)
 2003 年 3月 22日
 米英軍によるイラク攻撃が3日目に突入したなか、米軍の前線司令部
があるカタールのアッサイリア基地で「イラクの自由作戦」の指揮を執
るのがトミー・フランクス米中央軍司令官(57)だ。ブッシュ大統領
が全幅の信頼を寄せる、無骨で不言実行型の「軍人の中の軍人」(米軍
関係者)。「成長するため」大学を中退、軍人になった“熱い”過去と、
「兵士ほど戦争を憎む者はいない」と断言してはばからないクールな面
を合わせ持っている。
 開戦以来、戦況説明のためメディアの前にしばしば登場しているフラ
ンクス司令官。陸、海、空、海兵隊など米英軍約28万人を束ね、01
年10月に開始されたアフガニスタンでの「不朽の自由作戦」に続き、
米の威信をかけた戦いを指揮する。
 同司令官は45年、オクラホマ州で労働者階級の家庭に生まれ、テキ
サス州ミッドランドで育った。1歳下のブッシュ大統領とは同郷の間柄
だ。
 高校時代は「目立つところのない平均的な生徒」(地元関係者)だっ
たが、進学した地元テキサス大を中退、67年に陸軍に入る。その動機
は、「自分を鍛え、成長するため」だったという。
 64年に始まったベトナム戦争に砲兵として従軍、3度の重傷を負っ
た。戦うことの恐さ、難しさを熟知しており、常々「兵士ほど戦争を憎
む者はいない」と断言している。
 68年にベトナムから帰国。テキサス大に復学して経営学を学び、西
独(当時)や米国防総省などで勤務。91年の湾岸戦争には、第1機甲
師団長補として参加した。
 00年に大将に昇進、同時に中東や中央アジア、アフリカエリアの2
5カ国での軍事作戦を統括する中央軍司令官に就任した。
 実力を見せたのは、米中枢同時多発テロを受けて行われたアフガニス
タンでの軍事作戦だ。アル・カイーダを支援していたタリバン政権を短
期間で崩壊に追い込み、ブッシュ大統領の絶大な信頼を得た。
 その性格は「地味で堅実」(米軍関係者)、「無骨で気さく」(別の
関係者)。不言実行タイプだが、「言うべきことは上官に対しても言う」
(同)。今回の作戦に際し、中規模兵力による早期攻撃を主張するラム
ズフェルド米国防長官に意見、「大規模展開」を唱え、認めさせた。
「軍人の中の軍人」と評価される所以だ。(略)
 部下や同僚からの信頼もあついという。
 ただ、目立つことは嫌いで、マスコミとの接触も「極力避けている」
(同)とか。
 アッサイリア基地のメディアセンターには、世界中から数百人の報道
陣が詰め掛けており、今後は戦況などを説明するため、メディアの前に
姿を現す機会も増えることになる。
 同司令官はフセイン政権を倒した後、今度はイラクの統治責任者とし
て“戦後政策”を遂行する立場となる。母国には妻、娘を残しているが、
ゆっくり再会できる日は、まだまだ先になりそうだ。
 
 
■2003/03/22 (土) 生死不詳

 イラク作戦は今のところ順調=フセインの居場所と生死は分からず
 2003 年 3月 23日 〔AFP=時事〕【アッサリヤ(カタール)22日】
 米国のイラク戦争を指揮するフランクス中央軍司令官は22日、当地
の連合軍前線司令部で記者会見し、これまでの作戦に満足していると述
べたが、フセイン・イラク大統領の居所や生死は分かっていないことを
認めた。同司令官は「彼が今現在どこにいるか見当がつかない。生きて
いるか死んでいるかも分からない。しかし数日たてば分かるだろう」と
述べた。また、この戦争の全体的な目標はフセイン氏の権力基盤を全面
的にマヒさせることであり、一個人を標的にしたものでないと指摘した。
 フランクス司令官は、米英軍がイラク南東部の戦略的要衝の港町バス
ラを攻撃する計画はないと述べた。同司令官は「我々の意図はバスラに
進撃し同市内で軍事対決することではない。イラクは同市に大規模な戦
力を集中している様子は見られない。我々は米英軍を歓迎する同市の民
間人たちと協力する方がよいと考えている」と語った。
 英軍スポークスマンも先に、連合軍はバスラを防衛しているイラク軍
の平和的投降を図るために努力していると述べている。
────────────────────────────────
 湾岸戦争のとき、イラクのおばさんが叫んだセリフは秀逸だった。
「ブッシュ(Sr.)よ、地図を見なさい。フセインはあっちよ!」
 これに比べて、ブッシュ(Jr.)陣営の司令官の発言(新聞報道)は、
まるで精彩がない(同時多発テロ以後)。
「彼が今現在どこにいるか、生きているか死んでいるかも分からない。
しかし数日たてば分かるだろう」
 NHKの同時通訳は(与太郎の記憶では)こう言っている。
「彼が生きていようが、死んでいようが、予定どおり作戦を遂行する」

 同時多発テロを命令した、お尋ね者のビン・ラディンも、同じ場所に
座っているはずがない。居所がわからないままに(予定どおり)空爆を
つづけたのは、暴走族の“空ふかし”や“あおり走行”のような衝動で
あろうか。
 今度も、フセインの生死がわからないまま終ってしまうだろう。
 彼らは最期に“身元不明の遺体”として再登場し、未確認のまま焼却
されてしまうのではないか。
 身元不明のとき“死体”といい、身元が分っていれば“遺体”という。

 


与太郎 |MAILHomePage

My追加