与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030211 与太郎さん宛てにメールが届きました。00:14 < 11:21 ------------------------------------------------------------ 名前:河童(本名 堀江公麿) 件名:インターネットも捨てたものではありませんね 偶然に若林君の名前で検索をしたら、「私の後輩」と言う記事が目に 付きました。それが何と阿波さんだったとは。 私は現在は絵(抽象平面)をやってますが、個展会場に来てくださった Flの西村さんとシンホネッタの同窓会が出来たらいいが、名簿も無く連 絡先も判らないから困った事だ、と話していました。2,3の人を通じ、 多分名簿を持っておられるであろう馬場さんに名簿のコピーを頼んで有 ります。 阿波さんの所在は簡単に判るはずがないと、何人かと話し、決めてか かってしまったのが、それも可成り以前から、思いこんでいたのは迂闊 でした。 本当に久しぶりに阿波さんのお名前を発見し、一寸興奮しています。 ------------------------------------------------------------ IP : 219.180.134.38 REFERER : http://www.enpitu.ne.jp/tool/formmail.cgi?id=87518 AGENT : Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98) このメールはエンピツの自動メールシステムから送信されました。 http://www.enpitu.ne.jp/ ヤッホー! 河童くんへ 君が絵を描くとは知らなかった。個展の案内状を送ってくれないか。 (音楽家では、晩年のヒュッシュが、風景画を描いていたらしいが) いずれ、ぼくの印刷物も送りたいので、郵便アドレスも知りたい。 ともあれ委細後日。 Viva Sinfonietta ! 阿波 雅敏 ──────────────────────────────── ── 《堀江公麿展 19991004-1009/20001113-1118 銀座 小野画廊II》 ── http://www.ele.co.jp/DM/GA-1/ART00/ono001113-2.html めぐり逢い フィッシャー=ディースカウは93年に歌手生活から引退したけれど、 第2次大戦でドイツ軍兵士として出兵、イタリアでの捕虜抑留から戦後解 放された47年にデビュー以来、名バリトンとして一世を風靡。その知的 で構成力の明確な歌い方は、晩年にはまさに大家として風格が滲み、フ ァンを魅了してきた。 (略) 巨匠について特に強い印象が残っているのが、83年10月に池袋の西武 百貨店六階の美術サロンで開催された油絵の個展である。自画像、夫人 のユリア・ヴァラディ像、ピアニストのブレンデルやリヒテル像などの 人物像。「リア王」をテーマにした抽象画。「東方の街」をテーマにし たコラージュ…。自然をテーマにした具象的な風景画など、線の太い、 強い輪郭での縁取りは、彼の音楽そのものであった。その実力は、美術 評論家として著名な瀬木慎一氏が認める一流の腕の持主で、倉敷の大原 美術館でも個展が開かれている。 (略) ベルリン生まれの巨匠は今、ミュンヘンから南へアウトバーンを一時 間ほど走ったシュタルンベルク湖近くに別荘を持っていて、そこで半年 を過ごしている。このシュタルンベルクはワーグナーを愛したルードヴ ィヒII世の別荘ベルク城のあるところで、II世が1886年に謎の水死を遂 げた場所としても知られている。ここで巨匠は音楽への探求の余暇に、 毎日のように絵筆を握っているという。 ── 木之下 晃《マエストロ列伝 20021217》 ── http://www.sankei.co.jp/mostly/0301/memory/2.htm ──────────────────────────────── 「晩年のヒュッシュ」は誤り。フィッシャー・ディスカウは、風景画 ばかりか、自画像や抽象画まで手がけており、映画《めぐり逢い 1957》 でケイリー・グラントがデボラ・カーの肖像を描くシーンを彷彿させる。 堀江公麿君は、同志社高校シンフォニエッタではセカンド・マスター (第一ヴァイオリンの第二奏者)として、誰よりも(みずからの愛器を) 丁寧にあつかっていたのが印象的で、心やさしい“カッパ”だった。 最近の風貌と作品は、下記のURLでみることができる。 ── http://www.geocities.co.jp/Milano/4205/kot7.html 瀬木 慎一 美術評論 19280106 東京
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