与太郎文庫
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2002年12月04日(水)  月命日の賠償

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021204
 
 (1)
 
 女児殺害の山田被告に「毎月命日」賠償支払い命令
 2002 年 12月 4日 Yomiuri-On-Line
 東京都文京区の若山春奈ちゃん(当時2歳)を殺害し、東京高裁で懲
役15年の実刑判決を受けた主婦山田みつ子被告(38)に対し、女児
の両親が総額約1億3700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が4日、
東京地裁であった。宮岡章裁判長は「愛する幼子(おさなご)の命を奪
われた原告らの驚きと苦痛は容易に認定することができる」と述べ、山
田被告に約6133万円の支払いを命じた。
 賠償額の一部の約1975万円については、20年間にわたり、毎月
22日に約8万2300円ずつ支払わなければならないとした。女児の
命日が11月22日で、原告側が「山田被告に罪の意識を持ち続けても
らいたい」と分割払いを請求していたためで、判決も「分割払いを求め
ることは原告の権利の範囲内にある」と認めた。
 女児が事件で死亡しなければ得られたはずの逸失利益など計約415
7万円については、一括支払いを命じた。
 両親は「被告の刑事裁判での理不尽な言動で傷つけられた」とし、そ
のことへの賠償も含めて慰謝料を求めたが、判決は「刑事被告人には弁
解の機会が認められており、意図的に感情を害するものでもなかった」
として請求額を減額した。
 犯罪の事実関係について争いがなかったため、口頭弁論は8月の提訴
からわずか1回しか開かれなかった。
 被害者感情に配慮し、死亡した被害者の遺族への分割払いが認められ
るのは珍しいが、最近では、加害者にしょく罪の気持ちを持ち続けても
らうために、同様の請求が相次いでいる。今年10月には、東名高速道
路の事故で女児2人をなくした両親が、加害者の元運転手らに対し、1
5年間にわたって命日に損害賠償を分割払いするよう求める訴訟を東京
地裁に起こした。
 4日の判決については、女児の父親は「自分の犯した罪の大きさ、重
さを感じて、深く反省してほしい。『一生かけて償いたい』という被告
の言葉がどのような形で実現されるのか、期待も含めて見守りたい」と
するコメントを出した。
 
 (2)
 
 [分割賠償] 遺族感情に配慮 命日などに支払い
>>2002 年 11月 25日 [毎日新聞 2002-11-25-15:01]
 「一生かけて償ってほしい」。死亡事件・事故の遺族が加害者側に起
こす民事訴訟で、損害賠償を命日ごとなどに分割で払う「定期金方式」
の請求が相次いでいる。定期金賠償は従来、将来の介護費用など金額が
確定しない場合に限り認められていたが、遺族の気持ちに沿った新しい
請求方法として、増加を予測する法律関係者は多い。その先駆けとなっ
た東京・音羽の女児殺害事件の山田みつ子被告(38)を相手取った民
事訴訟が、来月4日に判決を迎える。
 最高裁の判例解説集によると、戦後、被害者死亡の事案で定期金賠償
を命じた判決は41年前に1件しかなく、請求自体もなかったとみられ
る。
 しかし今年8月、音羽事件の提訴後、10月に東名高速での2女児死
亡事故で東京地裁に、今月8日には歩道に乗り上げた車による小4男児
死亡事故で札幌地裁に、それぞれ一部を分割払いにする損害賠償訴訟が
起こされた。原告側代理人は「遺族側から提案があった」と口をそろえ
る。
 月命日ごと30年間の慰謝料を求めて札幌地裁に提訴した男児の父の
土場一彦さん(44)=北海道北広島市=は「払うのは保険会社だろう
が、振り込むたびに加害者は連絡を受ける。事件と向き合い続けること
につながると思う」と話す。音羽事件の志賀こず江弁護士は「一括で受
け取るより利息分を損するが、金額の問題ではない。まとまった賠償額
が出て『これが命の値段』と示されるのも、遺族にとってはつらいこと
だ」と訴える。
 また、東名高速事故では、両親は女児が将来得られたはずの収入を想
定した「逸失利益」を、16年間の分割で請求した。
 逸失利益は通常、先払いする分、運用利息をあらかじめ差し引くが、
控除率は複利計算で年5%が慣行。「低金利時代の実態に合わずおかし
い」との批判が出ているが、毎年の支払いにすれば「目減り」はなくな
る。代理人の松村太郎弁護士は「本来の趣旨に合った逸失利益の受け取
り方と言えるのではないか」と定期金賠償の正当性を強調する。
 一方、東京地裁のベテラン判事は「理論的には『毎日払え』『100
年先まで払え』といった請求も可能になり、正直あまり歓迎はできない。
請求の妥当性の線引きは必要だ」と指摘する。定期金の請求に対し、一
括払いの判決を出すことは民事訴訟法上、難しいともされており、裁判
所が遺族感情をどこまで配慮できるかが注目される。 【清水健二】
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→20030724


♀若山 春奈 1997‥‥ 東京  19991122  2 /絞首
 土場 俊彦 1992‥‥ 北海道 20010818  9 /轢死
♀井上 奏子 1996‥‥    19991128  3 /轢死/東名高速
♀井上 周子 1998‥‥    19991128  1 /轢死/東名高速

 
 (3)
 
 祥月命日が11月22日であれば、各月22日を月命日という。もとは
仏教的習俗である。過去帳では、六親等までの命日が記されていて、毎月
おなじ日に灯明をあげ、経を読むことになっている。
 陰暦の日付であれば、月のかたちが同じだから(カレンダーがなくても)
月をみるたびに、その日の出来事がしのばれる。
 しかし太陽暦においては、月の日数は便宜上のもので、ことし満月なら
来年の今月今夜は下弦(十日おくれ)となる。実際に月を見るかわりに、
新聞の気象欄で月齢(図)を確認するか、旧暦のカレンダーをひもとくの
が確実である。
 旧暦のカレンダーは、古式ゆかしく独自に計算されているのではなく、
東京天文台に毎月の朔(月の出)を問合せてから、陰暦のルールにそって
編集される。同じデータベースに依存するから、どの版本も同じである。
 
 現代人、あるいは都市生活者にとっては、今宵の月のかたちに拘束され
ることはほとんどなくなった。満月であろうが闇夜であろうが、巨大な照
明のもとで野球やサッカーを観ることができる。いまや現代人にとって、
カレンダーは天文現象を知るためでなく、集団生活のスケジュールに追従
するためのものである。
 わずかに漁業だけが、潮の干満を中心に日程を組んでいるのである。
 ただし、ここでいう現代人とは、われわれ日本人からみた人々であって、
いわばキリスト教文明圏に属する人々でもある。仏教や神道の関係者も、
ローマ・カトリックのグレゴリオ暦にしたがっていることは、経済活動に
おいても、ほとんど支配されているのである。
 日本の暦は、仏教とともに伝来したので、もとは中国暦である。中国に
太陽暦が出現しなかったのは不思議であり、古代インド暦が太陽暦だった
と推測されているが、たしかな物証がない。
 イスラエル国家のユダヤ暦も、中国暦や天保暦(旧暦)とおなじ構造の
太陰太陽暦であるが、古来ローマ・カトリックの宥和策によって、非公式
のまま温存されてきたのである。
 ところが、イラン・イラク・パキスタンなど、イスラム文化圏に属する
人々は、なによりも月の出を尊重してやまない。原始太陰暦ともいうべき
イスラム暦は、閏月を置かないために、ユダヤ暦と一致する周期が生じる。
太陽暦を使わないわけではないが、太陽を崇拝しないのである。
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 別稿《暦日点描 〜 西暦元年元旦の曜日 〜 19910923 》参照。
 九星には二通りの流派があるが、節分の日付を(東京天文台に)依存す
るかしないかの違いで、その他の天文現象とは無関係である。
 
 (4)
 
 遺族が被告を裁くことはできないが、賠償金の払い方を特定して、毎月
墓参りをして仏壇に線香をあげろ、というようなことにならないか。法の
精神は、個々の遺族感情を代行するのではなく、普遍的公共性を重んじる
べきではないか。
 また、司法の独立などは声高に尊重されるが、それは判決までの議論で
あって、判決後の結果責任が問われないのはおかしい。すべての判決が、
当初の予定どおり執行されたかどうか、死刑なら、いつどこで責任を果し
たかを公開すべきであり、有期刑なら、その後の更正履歴(個人名が人権
侵害なら、統計だけでも)を明示すべきではないか。
 このことと同時に、遺族もまた精神的に回復したかどうか世間に向けて
報告すべきである。きびしいことを言うなら、遺族の受けとった賠償金が
どのように消費配分されたかをチェックしなければ、社会的な合意を得た
とは云えないのである。
 
 本来、刑事犯罪の被告は、刑事責任をつぐなえば人権を回復されるはず
である。そのうえで、さらに民事責任を負って、毎月8万円も賠償できる
ような仕事に就くことは、きわめて困難であり、一般的には不可能である。
 かりに公務員の場合、罪をつぐなって出所した殺人犯を、おなじ条件で
ふたたび元の職場に復帰させるなら、その責任は担保されるかもしれない。
現実は、社会復帰にあたって差別され、家族が離散することも予想される。
 
 山田みつ子が、満期で出所すれば五十才になる。まじめに服役すれば、
刑期のなかばで仮釈放されるという。すぐに就職できるとはかぎらないが、
前歴をかくして働く中年女性が、とぼしい給料から毎月8万円もの支払い
ができるのだろうか。失業や病気の場合、あるいは生活保護の申請が認め
られたら、この判決はどのように修正されるのだろうか。
 実行不可能な判決は、それを下した者に責任がないのだろうか。
 被害者と遺族のかなしみは、なんびとも理解できる。だが犯罪者とその
家族への配慮は、成熟した市民社会の課題であり、歴史的にみれば、いつ
の時代も犯罪者は被害者と共存していたのである。
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 与太郎の親族には、さいわい過去百年間に犯罪者は居ないが、友人知人
をふくめれば思いあたるケースがある。犯罪統計をみれば、自分をふくめ
ての可能性は充分にあり得る。紙一重であるかもしれない。


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