与太郎文庫
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2002年10月11日(金)  無事 〜 恩師の消息 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021011
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 二年前の日記より。
── 夕6時、金谷先生より電話「朝いちばんに電話したんやが、まだ
寝とったみたいやね」大原美術館や競馬のことなど。
 
「わしは軍隊でも馬を可愛がっとったし、眼ぇみると分るんやで」
「そうは云うても、たまに手ぇかまれることもありまっしゃろ?」
「そこやがな、たまにあるさかいに困るんや」
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021001 ヴァンデミエール
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20021011
 Ex libris Web Library;無事
(Let'20021009-1011 from Mr. Kanatani, Akira)
 
 金谷先生から(重ねて)はがきをいただく。落款に「金谷」とあって、
(妻が、近くの書道教授にみてもらったところ)「無事」と読むらしい。
 察するに、なにかの折にまとめて印刷されたらしい。年賀状など返事
を書くのが面倒なとき、そのまま出しても用は足りるのである。
 
 かくのごとく、金谷先生の才能は、とどまるところなく多彩である。
 こういう発想が、なぜ貴重であるかというと、受けとった者までさま
ざまなアイデアが湧いてくるからである。
 
 三年前の日記より。(Day'20010830)
 ろ組のセンセ 〜 金谷先生のこと 〜
 思いだしたエピソード(1)
 
 戦時中、幼い病弱な娘を疎開させるにあたって、父は数十枚の葉書を
与えた。その葉書には、あらかじめ父への宛名が書かれていた。
「元気な日には“○”を書いてポストに入れなさい」と、父は云った。
 
 こうして毎日一枚づつ、娘からの葉書がとどいた。しかし、だんだん
“○”に元気がなくなり、“○”が小さくなっていく。そして、ついに
父は、最後の一枚を手にして、娘の死を知った。
(向田 邦子《字のないはがき》より)
 
 もっと有名なのは、野口英世が、故郷の母のためにエアメールの封筒
に(ロックフェラー・センター宛)ゴム印で捺したという。
 タレントの神田うのも、在英中の父が、祖母のために用意したという。
(“うの”の名は、持統天皇に由来する)
 
 海外居住の高齢者では、母国語の話し相手が少ないため、ストレスが
生じるという。海外でなくとも、与太郎も京都弁で話せる相手がいない。
「ほな、さいなら」と云えるような幼馴染が居ないのである。
 
 カナダやカンヌにいる二人の楽友を思いうかべる。
 彼らは、その地に骨を埋めるつもりなのか。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060608 海を越えた友 〜 港が見える日々 〜
(別項に後述)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080822 (二次言語)
 Triplingual ? 〜 母語・父語・兄語・弟語・姉語・妹語 〜
 
「給食の時間に、みんなといっしょに食べる先生の姿を、いまでも思い
だします。いまだに、あんなにおいしそうに食べる人を見たことがない」
「親戚のおばさんに“皿まで食べるんか”言われたこともあるで」
 
「ボクも、ときどき真似して褒められることがあります」「貧乏人やか
ら、ガツガツ食べたんやろな。うまそうに食べるのは母親の影響やが」
「ボクにも貧乏人の知りあいはいますが、それとは違うんですよ」
 
 もう一つのエピソードは(とっておきなので)一向に筆が進まないが、
後々推敲するとにして、ここでは走り書きのメモを、そのまま転記する。
(これも三年前の日記に重複)
 
 たちまち先生は、梁川博之くんの目に入ったゴミを、舌で舐めとった。
 当時22歳の青年教師が、10歳の教え子を抱きかかえる姿は、ユージン
・スミスやミケランジェロの“母子像”にせまる鮮烈なシーンだった。
 


 Michelangelo, Buonarroti 14750306 Italy   15640218 88 /〜《Pieta 1499》
 Smith, W. Eugene     19181220 America  19781015 59 /誤=19181230 69
♀上村 智子        19560613 熊本 水俣 19771205 21 /当時15歳
────────────────────────────────
── 《入浴する智子と母 19700612 アサヒグラフ 197212‥ Minamata》

 
「先生は、どなたかに、そんなときの救急処置を学ばれたんですか?」
「そんなことがあったかなぁ」
「こういう敏捷な判断は、IQ(知能指数)の高さですかね」
 
「いや、IQとはちがう。せんだってNHKで、PDとか云うとったが、
情動反応やったかな、認識能力のようなものらしいで」
「それじゃ、早速インターネットで調べて、プリントを送りましょう」
 
 かつての教え子が(半世紀を越えて)恩がえしできるかどうか。
 残念ながら、PDでは検索できなかった。たぶんEQとみられる。
 ひさびさの長電話、贈り物より電話料が高くついたのではないか。
 
 その後、プリントを送るつもりだったが、量のわりに内容が乏しい
資料ばかりで、そのままになってしまった。(20041029-20051030)
 はてなに質問があったので、その一部を紹介する。
 
(20110306)
 


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