与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/20021001 ■2002/10/01 (火) さらば、耳鼻科 20020924 耳鼻咽喉科医院3600円借りる、薬局で1700円。 20021001 耳鼻咽喉科医院(再診) 初診では「運動不足と食欲不振は関係がない」と、まことに論理的だ ったが、一週間後の再診は、まるで非論理的だった。 「薬の効果はありましたか?」 「たしかに、慢性鼻炎であったかもしれませんが、このたびの薬で、 快方に向ったような実感はありませんね」 「そうですか。それじゃあ、もう二週間分出しておきましょう。この 薬は副作用がありませんから」 この種の三段論法は、許しがたいものがある。かといって、その場で 争うに価しない気がする。断われば済むのだが、ほとんどの場合、これ までの人生で、与太郎は容認してきたのである。 ときに争うことは、愉快でストレス発散できる。しかし、論理的であ るべき相手が、あまりに非論理的であるのは、なにかしか事情があるに ちがいない、と同調してしまうのかもしれない。あとで、どんなに悔ん でも、その時は争う気分にならないのである。 ──────────────────────────────── ノート・パソコンを常時オンにしていると、耳鳴りのような現象が続 くので、これが味覚障害の原因になるのではないか。 (Day'20021002-1005) ──────────────────────────────── ■2002/10/01 (火) 曇、台風前日 十月の記、教え子の賦 十月四日は、横井軍平の命日。 十月五日は、やしき・たかじんの誕生日。 十月六日は、芝山先生のお誕生日。 十月九日は、一昨年本宮先生が下さった書簡の日付。28年前参照。 十月十日は、金谷常延氏の命日(当時、体育の日)。 十月十五日は、祖父・阿波保申の命日(五十七歳)。 十月十七日は、佐々木敏男君の命日(大沢善夫は十六日客死)。 模写 〜 ピカソ《葡萄とギター 19591017 美校レポート》、出典不詳。 ポスター《サービスに明日はない! 19801022 岡山鉄道管理局》 十月二十九日、曽祖父・阿波直三郎(五十九歳)客死。 一昨年、金谷先生への電話で。 金谷常延氏の命日は十月十日(享年不詳)。 「りっぱな人でしたね」「そうやったなぁ」「あんな立派な人に、生涯 を通じて、何人も出会えると思うてたら、ただひとりの立派な人でした」 「わしも、そう思うで」(書簡、同封せず。《葉隠》引用)Day'20021003- ──────────────────────────────── ■2002/10/05 (土) 右肩あがり 落語家の桂ざこば(雑魚場)は、同期同門の桂文珍のことを、あまり 好ましく思っていないふしがある。 両人のパーソナリティは、それぞれ別のところにあり、とやかく云う のも大人気ないが、落語家としてのキャラクターからすると、文珍は、 あまりに常識的でつまらない。 たとえば早くから自家用飛行機を持っているが、誰も乗せないという (家族をはじめ、誰も乗りたがらない、というのが実情らしいが)。 ざこばいわく「みんなでワーッと騒ぐのんが芸人ちゃうか」 (谷本先生もHP《ざこばの「らくだ」20021023》で激賞されている) 文珍は、もはや芸人などという意識はなく、空飛ぶビジネスマンだと 思っているのだろう。一部の関西人は、エラクなると言葉つきが微妙に 変化することに気づかない。“右肩あがりのアクセント”になる。 一種のチック症状のようだが、はなし家としては致命的なのだ。 ──────────────────────────────── ■2002/10/06 (日) ことし“十月の葡萄”を、杉井・谷本両先生を加えた七人に贈る。 天満屋でピオーネを選ぶ。マスカット・巨峰とのちがい分らず。 1006-1008発送依頼。《古い賛美歌》《悪友四重奏》《門庭再訪》同封。 20021009 夕6時、金谷先生より電話「朝いちばんに電話したんやが、 まだ寝とったみたいやね」大原美術館や競馬のことなど。 「わしは軍隊でも馬を可愛がっとったし、眼ぇみると分るんやで」 「そうは云うても、たまに手ぇかまれることもありまっしゃろ?」 「そこやがな、たまにあるさかいに困るんや」 ──────────────────────────────── ■2002/10/08 (火) ピオーネ ── ピオーネ 収穫期は巨峰よりやや遅い8月下旬から9月上旬。静岡 県の井川秀雄氏が、昭和32年に、巨峰にカノンホールマスカットを交配 して育成した欧米雑種で、48年にピオーネと命名されました。 果粒は、巨峰より一回り大きく、ときには20gを越すことがあり、ゴ ルフボール大となってジャンボブドウとよばれることもある。果皮は濃 黒色でつやがあり、やや剥きにくい。果肉は締まって、肉質はよい。糖 度はかなり高く、酸が少なく渋味はなく、風味は上品で、甘味の強い味 わいで人気があります。貯蔵性は短いほうですが、巨峰より日持ちがは るかによく、全国各地で栽培が増加している品種です。 最近はたね無しのものが多くなり、食べやすくなっています。またた ね無しは冷凍庫に入れて凍らせると、おいしいシャーベットとしても楽 しめます。(主な生産地は岡山、山梨、広島、香川) ── http://www.packet.ne.jp/fruit/syurui/budou/kuro.html ──────────────────────────────── ■2002/10/09 (水) 夕7時、金谷益子未亡人より電話。昨年11月ごろに倒れて、 手紙が書けなくなったので。昔のままの住まいは、数段の階段があって (週二回のリハビリに)車椅子の出し入れ困難とか。常延氏は、国鉄を 退職されて、夫婦で旅に出ることになった。その日、三台ものカメラを かついでいたためか、急に気分が悪いといってベンチに座りこんだのが もとで、昭和五十四年十月十日(体育の日)六十歳で亡くなったという。 当時その一ヶ月前、与太郎の起死回生の大作(B全)となるポスター 《ダイヤは眠らない! 19790912 岡山鉄道管理局》の下書きが完成して いる。いま、奥様は七十八歳、氏が健在ならば八十三歳である。 Mai'20021010 16:19 from:tbc00346 to:awalibrary ありふれた菓子折や、しおたれた特産物のごときは趣向がない。−−− ミスター・同中 昨日はしおたれていない”ニューピオーネ 1箱頂戴し、感謝します。 まだまだ新品種の開発が進んでいるのですね。学問の世界と同じですね。 今朝は”いま考えていること”に異色のノーベル賞をめぐって一言書い ておきました。昨日から我が家はフレッツB100が入り一段とブロー ドバンド化は進みました。これでこれからの映画の配信も十分利用でき そうです。 目下手元にある古いlpで少し面白いもの例えばOistrakhとRichterに よるBrahms:Violin Sonata No.1 in G major など演奏の便宜を図って CD−R録音もボツボツやっています。 お元気で。また面白いDay is Dayを待ちます。お礼旁々 早々 谷本岩夫
──────────────────────────────── ■2002/10/10 (木) 杉井先生 夕6時半、杉井先生より電話。 弘前高等学校は本当だったが、石坂洋次郎《青い山脈》モデル説は、 「風説にすぎない」とのことだった。 「きみの《門庭再訪》は、なかなか推敲されていて、よくできていたね。 芳醇な果実に、きみの誠実な態度がうかがわれて、感謝している」など まるで高校生にもどって誉められたような気になって、うれしくてしょ うがない。 「他の諸先生は引退されて悠々自適ですが、杉井先生は学者として現役 でおられるので、お時間を取らせてはいけないと遠慮しておりました。 名実ともにご引退されましたら、ふたたび河原満夫と一緒にお邪魔して、 その後のマルクシズムについて論じたいと願っています」 その折は、ぜひ《ゲーテとの対話》のように、格調高く記録したい。 「お電話いただいて、まことに光栄です。奥様はお元気ですか?」 「うむ、元気だよ」「高校時代に二度もお邪魔して、夕食までご馳走に なりましたので、どうかよろしくお伝えください」 「そうか、そんな事まで覚えてくれていたか」 (おぼえていますとも、当時めずらしかった電気炊飯器のご飯!) 長居して、とっぷりと暮れた夜道を駅にむかう教え子に、帰途を案じ た先生は、懐中電灯まで用意してくださったのである。 いったい、何事を相談していたかといえば、最初は、第一学期はじめ に、芸大受験するなら徹底的に学力をつけること、その決心をかためる ための確認である。 その効果はてきめんで、中間考査ではビリから一転して平均点に迫る 勢いだった。ところが、これで気を抜いたため、期末考査でリバウンド して、せっかくの勢いも自滅してしまったのである。そこで与太郎は、 「なに、一浪すれば何でもない」と、ふたたびタカをくくった。 二度目の訪問は、いったん武蔵野に入学して、予備校に通いながら、 翌年もういちど芸大に挑戦するという決意表明だった。 要するに、このころの与太郎は、おおくの無能な青年とおなじように、 自信がもてない不安を、信頼すべき人に語りたかったのである。 先生は、与太郎の話を、辛抱づよく聞いてくださったのである。 Let'20021010 08-12 -1011 芝山 マツ 気候不順な昨今ですが、今日は秋晴れのさわやかなお天気になりまし た。お変わりもなくお過ごしのようで何よりです。 本日は誕生日のプレゼントに、岡山の郷土の香りをお届け下さり、持 つべきものは教え子と、ご好意に感謝しています。自分の誕生日も忘れ てしまっていましたのに、阿波君が覚えていて下さるなんて……本当に 有難い事だと……厚く御礼申し上げます。旬のフルーツ、ネオピオーネ は、今仏壇に供えてありますが、後程賞味させて頂きます。 同封して下さいました Day is Day を拝読し、阿波君は昔の先生や友 人を大事にしておられる様子が伺え、感心しました。 私は、満七十五歳を迎えた今、担任の先生は、小学校も女学校も、師 範学校も亡くなられましたが、同窓会や、グループで定期的に会ったり、 自由に会ったり、旅行をしたりして、旧交を温めています。会う度にし ょうもない話がいつまでも続き、タイムスリップして楽しんでいます。 お元気で阿波君らしく自由に、今後もご活躍下さい。ご健康を祈って います。 先は御礼まで かしこ Let'20021010 18-24 -1011 金谷 泰典 ありがとうさんでした。姉にもネ。みどりさんにもよろしく。 (画像「無事」) ──────────────────────────────── Let'20021010 12-18 -1012 本宮 啓 いつもいつも愉快な文章と素敵な果物有難とう。 今日は同中教諭三筆ならぬ一筆の悪筆で失礼。 ワープロばかり使ってると漢字が書けなくなって困ってます。 同志社中高生管弦楽の歩み(略史)は来春第廿五回定期プログラムに 一応書く事にしました。略史ですが出来たら送ります。 ──────────────────────────────── ■2002/10/11 (金) 才筆 芝山先生から、はがき。お手本のような矍鑠たるペン字は、昔とかわ らない。ことし二月ごろ、かねての疑問を電話でたしかめた。 「書は、どなたに学ばれたのですか」 「ただの我流よ」(おどろいたなあ) 「ぼくの人生を通じて、先生は二番目です。一番の能筆は、父ですけど」 「お父さんは達筆やったね」 「もうひとつ伺いますが、 “♪もろともに いや健やかに いや栄に 暮しまほしく 祈る初春” の出典を教えてください」 「あれは、私が勝手に作ったんや」(おどろいたなあ)(Let'19520104) 金谷先生から(重ねて)はがきをいただく。落款に「金谷」とあって、 (妻が、近くの書道教授にみてもらったところ)「無事」と読むらしい。 察するに、なにかの折にまとめて印刷されたらしい。年賀状など返事 を書くのが面倒なとき、そのまま出しても用は足りるのである。 かくのごとく、金谷先生の才能は、とどまるところなく多彩である。 こういう発想が、なぜ貴重であるかというと、受けとった者までさま ざまなアイデアが湧いてくるからである。 ──────────────────────────────── ■2002/10/13 (日) 左伝について 杉井先生へのメモ、また会える日のために。 《春秋左氏伝》には、暦に関する三つの主題がみとめられる。 1、「三月、蒸ス」の記述。三月にして暑いのは、気候不順ではなく、 閏月を置きすぎたことが原因である。 2、孔子は、しばしば「閏月は年末に置くべし」と言っているが、その 理由はあきらかでない。最後の旧暦にあたる天保暦では、中気が無 い月に(途中で)置くルールを設けているが、これとても天文現象 に即しているとは言えない。 3、孔子は、五十にして易を学びたいと言ったのか。あるいは易に凝る ような友人は好ましくない、と言ったのはなぜか? 以上、いずれにせよ、暦の専門家である司馬遷の登場によって、初の 史書が完成する。 (Day'20021013-1019) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ↓=Non-display><↑=Non-display ────────────────────────────────
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