与太郎文庫
DiaryINDEX|past|will
1992年09月30日(水) |
九月丗日の架空暦 〜 ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920930 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from Our Picture;Robinson Crusoe(初版本) http://wyeth.artpassions.net/crusoe5-8.html Chapter VII Robinson's Mode of Reckoning Time 架空の人物が、架空の日付で活躍するとき、作者の思いつきによる、 でたらめの日付であっても、年月日そのものは歴史上もしくは未来に実 在する。しかるに矛盾が生じるのは、どんなケースか。 子供向けの絵本や抄訳で知られすぎて、大人の読者に忘れられた架空 の主人公に、《ガリヴァー旅行記1726》や《ロビンソン漂流記1719》が ある。 漂流記・続編の序文によれば、省略する者は「宗教的および倫理的思 索」すなわち「最も輝かしい飾りものを奪い去る」のである (平井正穂 訳19710916岩波文庫) 。 当初ノンフィクションとして出版された《ロビンソン・クルーソーの 生涯と冒険》は、ついには著者自身の隠喩“not story,but History ” と釈明せざるを得ないほど売れつづけた。 清教徒革命 (1640〜1660) 以来の煩雑な勢力抗争のもとで、いかなる 虚構もみとめない非英国教会派への迎合から、わざわざ《ロビンソン・ クルーソーの反省録1720》に「嘘をつくことについて」の章をたてた実 作者こそ、御用論客ダニエル・デフォー(1660/1661〜17310424/0426J) である。 ことは十五年前、スコットランドの水夫セルカーク( Alexander,1676 〜1721 )が、船長と争ったのがもとで無人島に残された( 1704〜1709 ) ところを、大海賊ダンピア( William,1652〜171503 )に救出される。 船主ロジャーズ( Woodes, ? 〜1732 )編《世界周航記1712/1718 》は、 その記録をふくむ膨大かつ詳細な航海誌である。 これを読んだデフォーは、四十五年前の年代にもどし、一人称ロマン に塗りかえてしまう(ときに五十九才)。 二十七才の誕生日にあたる「一六五九年九月三十日に私はここに上陸 した」と誌す十字架を海岸に立て、毎日刻み目を付けて「七本目の刻み 目は倍の長さにし、月の第一日はその長い刻み目よりも更に倍に長くし て」「一週間、一カ月、又一年の経過を知った」(吉田健一訳19510531 新潮文庫) つづく「日記」が絶妙の展開であるが、奇妙なことに日付と曜日が一 致しない。 十一月「十一日は日曜だった」とあり、でたらめの日付にしても「九 月三十日」はおなじ日曜日でなければならない。 ところが実在の「ユリウス暦」は金曜日であり、かりに「グレゴリオ 暦」でも火曜にあたる。これを不注意とみるか、意図的なトリックとみ るべきか。 英国教会と清教徒派は、旧暦を固守することでは呉越同舟で、カトリ ックの改暦を容認しない。しかし、キリスト教徒として共通する点は、 日曜日が「聖なる安息日」あるいは「主の日」なのである。 つまり異教徒であるユダヤ教の土曜日やイスラム教の金曜日に重複し ないことは、たがいの対立と世俗をはなれて祈るための歴史的配慮によ る。 ユダヤ教では、やむを得ない事情のため安息日が不明になった場合、 任意の七日目ごとに定めてもよい。イスラム教の断食も他日に繰りのべ てよいとされる。 しばしば無節操を非難されたとはいえ、反カトリックの論客が、曜日 に無頓着ではあり得ない。のちに経済小説と目されようとも、主人公の 信仰がテーマなのである。 無教養で信仰のうすい青年ロビンソンが「神の摂理」に目ざめ、絶望 にたちむかう経過は、われわれ異教徒も胸をうたれる。 書いているデフォー自身も、深い感動とともに昇華しはじめ、ついに カトリックや異教徒の共存国家を出現させる。君主臣民あわせて四人、 なかんずく金曜日に従者となった黒人フライディの名は、邪教からの改 宗を象徴するウィットである。 さきの曜日の不一致をトリックとみて、推理的空想をめぐらせると 「ユリウス暦」の金曜から木・水・火・月と逆にもどり、「グレゴリオ 暦」火曜から水・木・金・土の順に、おのおの五日づつ歩みよるならば 両者は日曜日において合致する。妥協的な中間の「架空暦」が成立する のである。 つぎに、一年後「計算による島で過した日数が、実際よりも一日か二 日足りない」と自覚し、二年目のなかば(16610628)には「たしかに一日 たりない」と確信する。 その理由として、病気で翌ー日まで眠りつづけたことや、赤道を何度 も通過すれば数日の誤差が生じるなど、あり得ない自問自答が、全編に わたって繰りかえされる。 この説明は容易で、救助船が世界一周の帰途であり、日付変更線の知 識がなければ航海誌の日付は一日ずれているのである。 マゼラン(Ferdinao de Magalhaes,1480?〜15210426/0427J) 憤死後の ヴィクトリア号帰還(15220906J) 以来、地球を一周すれば一日の時差が 生じることは立証された。 ほぼ二百年のちの、ダンピアはともかくロジャーズまで知らなかった のだろうか。 むしろ、デフォーは読者を試したのではないか。些細な矛盾が読みと ばされるのは魅力あふれる長編として不思議ではない。 謎につつまれているのは、デフォー自身の生没年月日である。 《西洋人名辞典1981岩波書店》によれば[ 1660〜17310424 ]、《学習 人名事典1978 三省堂》では[1660? 〜17310426 ]とする。さらに、生家 の看板は“1660〜1731”であるが、墓標には“1661〜1731”とある。 生年月日の対象となる期間は、一般的に[16601222J/16610101G〜1661 0101J/0110G]の十日間(土曜〜火曜)に限定できる。 当時イギリスの年初が「聖母マリア受胎告知の日0325」であったこと を考慮すると[16601222J/16610101G〜16610324J/0403G]の九十三日(土 曜〜土曜)に拡大される。 晩年の流行作家は、若き日の借金を返せないまま出奔している。その 隠れ家で遺体が発見されたのが四月二十六日、死亡推定四月二十四日 (土曜)、生涯日数七十一年一カ月以上、五カ月と二日未満であった。 (19920525) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090930 漂着記念日 〜 The 350th anniversary of landing 〜 原題=九月三十日の架空暦。のち「三〇」→「丗」(Jis追加により)。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19871001 ルサコフ 〜 九月三十一日生れ 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090311 如月の望月 〜 花のもとに生れて死なむ 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090920 露越同舟 〜 此岸から彼岸過迄 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19671127 晩秋小雨の宵 〜 文化勲章 vs 人間国宝 〜 (20090930-1123)
|