与太郎文庫
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1989年03月18日(土) |
実録土下座作法 〜 俺に向かって土下座しろ! 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19890318 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19890318 Ex libris Web Library;神垣 清水 検事正 http://spysee.jp/%E7%A5%9E%E5%9E%A3%E6%B8%85%E6%B0%B4/1314216/ ── 眞藤さんと式場さんと三人で築地の「吉兆」で会食をした。 「吉兆」には私が先に着いて、部屋の隅で座って眞藤さんの到着を待っていた。やがて眞藤 さんが来られ、私が上座に座っていただくようお願いしたところ、眞藤さんはおっしゃった。 「いや、リクルートさんはNTTのお客様だから、江副さんに上座に座ってもらわないと」 「いいえ、年齢が違いますよ。眞藤さんに上座に座っていただかないと……お願いします」 「僕は石川島播磨の時代から料理屋で上座に座ったことは一度もない。鉄鋼会社など石播が ものを買っている会社からも接待を受けたことは一度もない」 私は、リクルートでも接待をして仕事をもらうことを禁止し、「お得意先から接待される ような営業マンになるように」と社内で呼びかけてきたので、眞藤さんの考えに共感を覚えた。 結局、女将の勧めで、眞藤さんに上座に座っていただき、会食が始まった。 眞藤さんは「江副さんのご心配は伺ったが、電気通信改革三法で電電公社が民営化された ものの、長年にわたって独占の上にあぐらをかいてきて、競争会社が出てこないと、社員の 意識が変わらない。外圧があると社員の意識は変わる。競争相手がいることで、社員のコス トダウンに対する意識改革が始まる。大いにやってもらいたい」と話された。 そして会食の終わりに「失礼してこれからここで喪服に着替えて社員の葬儀に行く。僕は 石播時代、社員が職務中に命を失ったときには、何を差し置いても葬儀に出席した。電電公 社では工事中に事故で亡くなった社員の葬儀に、総裁はむろん支社長も出ていなかった。社 員に申し訳ないと思い、私が行くようにしたら、支社長以下幹部も出席するようになった」 といわれ、喪服に着替えて先に出て行かれた。 だが、このような話に、検事はまったく関心を抱かなかった。(P186-187)
真藤 恒 NTT会長 19100702 福岡 東京 20030126 92 /19881212 辞任/19890306 逮捕 式場 英 NTT監査役 1934‥‥ 新潟 横浜 19970407 63 /1991 懲役1.5年(猶予 3年) 神垣 清水 検事 19‥‥‥ ‥‥ /20090401 公正取引委員会委員 http://rightaction.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-d027.html 宗像 紀夫 主任検事 19420112 福島 /元名古屋高検検事長/弁護士 樋渡 利秋 検事 19450804 兵庫 /検事総長24 江副 浩正 リクルート創業 19360612 愛媛 大阪 /甲南中高、東京大学教育学部心理学科卒。 http://ameblo.jp/takapon-jp/ ♀湯木 □□ 東京吉兆女将 19‥‥‥ ‥‥ /貞一の長女/義夫の母 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B5%C8%C3%FB
三月一八日の午後六時一八分、夜の取調べが始まってすぐ、神垣検事が突然取調室を出て いった。二〇分ほどして、取調室のドアを勢いよく開け、再び中に入ってくると、バタン! と大きな音を立ててドアを閉めた。私はただならぬ気配を感じた。 検事はすぐに私のそばに寄ってきて、声を荒らげて言った。 「おまえは嘘をついていた。眞藤はさっき落ちた! 眞藤はお前から直接電話を受けたと話 している! これまで俺に嘘をついていたな! 俺にこんな態度をとったのはお前が初めて だ!」 言うや否や、私の椅子を窓側の横から蹴り上げた。その勢いでキヤスターが横に滑り、私 は頭から反対側に転げ落ちかけたが、素早く検事が反対側に回り私の身体を支えた。その身 のこなしから、検事の動作は計算ずくだ、と思った。身も心も揺さぶられるような体験だった。 検事はたたみかけるように怒鳴った。 「立て! 窓側に移れ!」 取調室の窓側で、私は検事と向き合う形となった。 「俺に向かって土下座しろ!」 検事は私に殴りかからんばかりの剣幕であった。恐怖心から抵抗できず、私は屈辱的な思 いで床に座った。命じられるままに、検事に向かい手をつき、頭を下げた。そのような姿勢 を続けているうちに、私は検事のマインドコントロール下に入っていった。 「お前は眞藤に直接電話している。忘れているだけだ。思い出したか。……思い出したなら 席に着くことを許す」 私はこれまでずっと真実を述べてきていた。だが、恐怖心に駆らわれた(ママ)私は、悲しいこと に、小声で「分かりました」と答えてしまった。 すると、検事は事務官に口述をして次のような調書を作成した。 「私は、検事に土下座してお詫び申し上げます。いままで検事に対し、眞藤さんに直接声を かけたことはない、村田さん個人にお譲りしたものであるなどと嘘を申し上げてきました」 抵抗する気力を失い、私は言われるままに調書に署名した。私が署名を終えると、「よし、 これでよい」と、検事は急いで取調室を出ていった。 二時間ほどで戻ってきた検事は満足げな表情で言った。 「よし、調べは終わりだ。下がってよい」 悪夢のような体験だった。房に戻されたが、房はいつもより寒々としていた。 保釈後、房内ノートを見ながら新聞記事のスクラップファイルを繰っていたところ、「江 副の株譲渡持ちかけ 眞藤に直接だった 収賄罪成立、確実に」という、毎日夕刊の一面ト ップの大きな見出し記事が目に留まった。 「今までの調べや関係者の証言で明らかになった」との記事だが、日付は三月一四日。私が 土下座させられ調書を取られた四日前の報道である。合同会議あたりでそのようなシナリオ があらかじめできていた、と私は思った。 しかし、眞藤さんは本当に私から電話を受けたという調書に署名されたのだろうか。私は その後も疑問を抱いていた。 NTTルートの裁判が始まってから、私が土下座させられた日と同じ日に作成された眞藤 さんの調書が開示された。そこには「江副から連絡を受けた村田秘書から知らされた」と書 かれていて、私から直接電話を受けたという記載はまったくなかった。 保釈後に弁護士に言われた。 「検事は、眞藤さんが江副さんから電話を受けたと供述したように告げて江副さんから調書 を取り、眞藤さんにはその調書があることを告げて自供を迫ったのでしょう。このような取 調べを“切り違え尋問”と言い、違法な捜査手法ですが、思うように調書が取れないと、検 事はそんな手段も取らざるを得ないんです」(P187-190) http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4120040763 ── 江副 浩正《リクルート事件・江副浩正の真実 20091023 中央公論新社 20100810 中公新書》 http://www.sinkan.jp/special/recruit/invest.html …… 俺に向かって土下座しろ!↓昇る太陽にひざまづけ ── コールドウェル/大橋 健三郎・訳《のぼる太陽にひざまずけ Kneel to the Rising Sun 》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19640120 《世界短編文学全集(全17巻集英社》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4641030650 ── 渡部 保夫&大野 正男《刑事裁判の光と陰 〜 有罪率99%の意味するもの 198901‥ 有斐閣》 海野 義雄 Violin 19360214 東京 /N響コンサートマスター/1975‥‥東京芸大教授/石田 真二の娘婿 /19811201“ガダニーニ”芸大バイオリン事件 1208 逮捕/198504‥ 収賄免職、懲役一年半、猶予3年。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700331 よど号の人々 〜 赤軍派ハイジャック事件 〜 (20120511)
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