与太郎文庫
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1987年10月01日(木) |
ルサコフ 〜 九月三十一日生れ 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19871001 >>
ルサコフ Konstantin V.Rusakov (19090931〜) ソ連元共産党書記 1943 入党 1948〜1957 の間3回にわたり漁業次官 1958〜1964 外交畑 勤務 1968 党中央委員会社会主義諸国連絡部長 1971 中央委員 1977〜 1986.03 党書記 ── 読売年鑑別冊《分野別人名録 1985〜19870301 読売新聞社》 <<
Let'19870518 読売新聞社 読売年鑑編集局 御中 拝 啓 初夏の候、ますます御清栄の御事と、お慶び申しあげます。 当・アィピー協会では、古今東西200ヵ国22000人の著名人を、 誕生日・命日ごとに網羅した《WHO'S WHO SERIES》を編集 しておりますが、下記の点について御教示ねがいたく存じます。 1.ルサコフ氏(Konstantin V.Rusakov) の生年月日は《読売年鑑》 人名録によると、1909年9月31日となっていますが、正しい でしょうか? 2.その場合は、旧ロシア暦の日付けと思われますが、現在ありえない 日は他にもあるのでしょうか? 3.さらに、ロシア暦に関する日本語の文献があれば、御教示ください。 これまでの当方の資料を同封いたしましたので、なにとぞ御高覧の 上、御高配賜りますよう、お願い申しあげます。 恐縮ながら御返信用切手を添えましたので、下記宛に御返送ください。 敬 具 >>
Let'19870526 お問い合わせのルサコフ氏の生年月日についてですが、御指摘の通り、 九月三十一日というのは、確かにおかしいので、ロシア語の専門家にい ろいろ調べてもらいましたが、ルサコフ氏の生年月日には、九月三十一 日のほか、十二月三十一日というのもあることがわかりました。 九月三十一日をとっているのは、ロンドンのヨーロッパ・パブリケー ションズ社のインターナショナル・フーズフー第五十版などですが、日 本語の現代ソ連人名辞典は十二月三十一日です。そこで、最も信用でき るソ連で出したロシア語の人名辞典等を調べたのですが、いずれも一九 〇九年とあるのみで、月日の明記してあるものは見つかりませんでした。 両日付について、それぞれ根拠はあると思いますが、どちらが正しいの か断定するに至っていないのが現状です。 御承知の通り、ロシアが露暦からグレゴリオ暦に移行したのは革命後 の一九一八年ですので、ルサコフが生まれた一九〇九年には現行より十 三日遅れた露暦だったわけですが、この暦法移行が二つの日付と直接か かわっているとは思われません。ロシア暦法については、三省堂のロシ ア・ソビェト・ハンドブックにありますが、くわしいことはちょっと分 りません。 ルサコフについては、十二月三十一日の方が正しいようにも思われま すが、露暦九月十八日生まれに、単純に十三日を加えて、九月三十一日 にしてしまったことも考えられ、いずれも二次的資料だけでは断定でき ない次第です。 回答としましては、誠に頼りないことですが、外国の場合、こうした ケースの確認も簡単にはまいりませんので、その辺の事情ご賢察いただ きたいと思います。なお、ルサコフにつきましては、今後とも、確認す べく、外報部に調べを依頼してあります。 読売新聞社・読売年鑑編集デスク・情報調査部 武田 <<
Let'19870529 懇切な御回答、ありがとうございました。 露暦に、単純に十三日を加えたのではないか、という御推察は、私の 経験からも、あり得べきことで (年によっては十二日を足しますが) 、 それなら、なぜ十月一日としなかったのか、微笑を誘われます。 別の推測ですが、13が左右転倒して31の誤植になった、とも考え られます。 しかし、ソビェト連邦という大国が、膨大なロシア文化を継承したに もかかわらず、ごく日常的な事柄が、すぐ分らないのは不思議ですね。 中国の場合も、生没年月日については、伝統的な無関心が感じられま すが、今後は、外交対策としての対応変化に期待されます。 もうひとつの重要な暦法に、イスラム暦もあり、今後の課題ですが、 暦法が異なる国同志は、どうも仲が良くないようです。 御精励のほど、祈りおります。 Let'19870425-0518 以下の宛先からは返信がなかった。 156 世田谷区経堂1-11-2 日ソ協会 御中 (19870425) 100 千代田区麹町2-3麹町ガーデンビル 日ソ親善協会 御中 (19870518) 106 港区麻布台2-1-1 ソビエト連邦大使館 御中 (19870518)
──────────────────────────────── 当初13000人の誕生日別人名録《BirthDays 366 19851001》にはじまっ た《生没総譜》は、十六年後には100,000行のデータベースに成長したが、 インターネットで公開するためには、いまひとつ困難がある。 もっとも奇妙な日付だったが、真相は不明のまま削除された。 (20030930)
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