与太郎文庫
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1971年04月01日(木)  弓弦十話 (その1)

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710401
 
 〜 組曲《動物の謝肉祭》によせて 〜   阿波 雅敏
 
 ■ 序奏と獅子王の行進曲
 
 サン=サーンス (1835〜1921) の発表した評論集《和声と旋律》が、
時のワーグナー派に、さんざんけなされて、苦りきっていた頃の作品が
《組曲・動物の謝肉祭》である。 
 ちょうど、その 101年前にはモーツアルトが、ディヴェルティメント
《音楽の冗談》を書いており、主として作曲技術上のルール違反やあや
まりを、わざと誇張して、世の愛好家や、知ったかぶりの素人どもを、
暗に皮肉っているのに対して、サン=サーンスのこの曲は、もう一歩踏
みこんだところに、その意図が感じられる。
 この種の、いわば聴衆の博識に依存、あるいは迎合する試みは、たと
えば山本直純氏の《交響曲・宿命》などのように、衆知の名曲を安易に
メドレーした例もあるが、率直にいって、二度と聴くに耐えるものでは
ない。
 それでは《組曲・動物の謝肉祭》が、再度聴くに価するか、というこ
とになるが、全14曲のうち、第13曲目の《白鳥》だけが、何のてらいも
ない、真面目な気品と格調を備えており、作曲者が生前に出版を許した、
唯一の作品であったことを、まず確認したい。
 この組曲、もし《白鳥》の用意がなかったら、たとえ小さな地方都市
でのコンサートにせよ、51才の大作曲家の、書きおろし新作として発表
するに至ったかどうか。
 おそらく《天国と地獄》のテーマによる、あの軽薄なフィナーレの前
に、満々たる自信のもとに、絶妙の佳品を配したのは、すでに後世に残
す効果を、図ってのことかもしれない。
 ヨーロッパの俗説に、白鳥は、死の直前にひとたび鳴く、と伝えられ、
たとえばモーツアルトの《クラリネット協奏曲》や、シューベルトの
《白鳥の歌》があることを、51才のサン=サーンスが意識しないはずは
なかった。
 おりしも謝肉祭、作曲家あるいは演奏家として、あぶらの乗りきった
年代にありながら一時的にもせよ、楽壇から閉めだされた彼がその傷心、
自尊と自重のうちに、結局は才気の向かうところ、諧謔でしかなかった
のであろう。加うるに、卓抜した社交的神経、友人であり音楽会の主催
者でもあったチェリストへの、《白鳥》は無類のプレゼントでもあった。
 わたくしごとで恐縮ながら、《白鳥》をこの手で弾きたいばかりに、
17才の時チェロを買いもとめ、以来3年間というもの、無法を百も承知
で《白鳥》ばかり弾いたものである。
 私が音楽について、何かを述べようとするには、どうしても《白鳥》
から始めなければならないし、チェロないしは弦楽器でなければならな
い。
《動物の謝肉祭》における各曲の題名を借りての十話、以下に閑話九題。
 
 ■ 雄鶏と雌鶏
 
 かりに、白鳥ファンという人たちが、他にもいるとすれば、往年のア
メリカ映画《カーネギー・ホール物語》に登場したチェリスト、ピアテ
ィゴルスキーの雄姿を、とるものもとりあえず記憶されているはずであ
る。
 その演奏もさることながら、舞台後方に、ずらり居ならぶ美女数人、
いずれも薄衣をまとってのハーピストたち、まさに百聞一見、この曲の
優雅な雰囲気を、いやが上にも高めていた。
 原曲は、独奏チェロと二台のピアノ、これだけでも豪華なのに、輪を
かけたぜいたく。ちなみに、この羨望さるべきチェリストは、希代のヴ
ィルティオーゾであるとともに、全米三美男のひとりとして、時のアイ
ゼンハワー大統領および俳優のアンソニー・クインと並び称された男で
ある。
 もっとも、ピアニストのカーメン・キャバレロを筆頭とする、もう一
組の三美男もいたわけで、いずれがいずれであったのか。
 
 ■ ロバ / カメ
 
 ……すぐれた作曲と指揮の才能を怪し気な 理論でそこなっている彼。
 ……うんざりさせる彼。
 
 米誌《タイム》によれば、その彼こそは、かの伊達男レナード・バー
ンスティンだそうである。うんざりさせる連中として列挙されているの
は、たとえば《プレイ・ボーイ》編集長、レノンとヨーコ、バートンと
テーラー、等々で、バイロンによれば、世にうんざりする種族と、させ
られる種族とがあるそうな。
 それはともかく、バーンスティンは、この《白鳥》を、こともあろう
に、コントラバスで弾かせることを思いついた。
 たぶん彼は、全14曲をことごとく戯画化し、その統一を図ろうとした
のであろう。その種のサーヴィス精神でもあるし、その意図は成功した
とみえて、レコードは売れているらしい。
 だがサン=サーンスが聴いたら、何というだろうか。
 ある作曲家が、ある楽器に関して、固有の反応あるいは指向性を脱す
ることができないと断定すれば、たとえば《チェロ協奏曲イ短調》《チ
ェロ奏鳴曲》、小品の《アレグロ・アパッショナータ》等を通じていえ
ることは、あくまで中音域を主とする、運弓の美しさ、耳ざわりのよさ、
旋律の明快さ、などにその特徴がある。いわゆる困難な部分は、見あた
らない。単に奏法上のランクからいえば初級どまりである。したがって
《白鳥》を3年間練習してみても、技術的には何の上達も得られない─
─再び、わたくしごとでいえば、だから私は、たった3年間で、チェロ
をあきらめてしまった。
 その《白鳥》を、コントラバスで弾くとどうなるか。教科書風の解釈
でいうと、この曲の描かんとする情景は、浄々とした湖面にうかぶ白鳥
一羽、ふとみるうちに、たおやかに飛びたちゆく瞬時の絵姿であろう。
 そもそもコントラバスの音色はくすんでいて、もし軽妙たらんとすれ
ば、おどけて聴えるし、イキがってみれば、ヤボに近づく。甘い旋律を
甘々しく奏でるには、どうにも不向きなのである。
 これをバーンスティンは、逆手にとったのであろう。しかも、彼ほど
の知性派である。議論好き、といってもいいだろう。これほど人気の定
着している佳品を、あえて曲げたからには、それなりの、こみいった理
由があるやも知れぬ。かといって本人に確かめる手だてもなく、他愛も
ない推測にすぎないのだが、《白鳥》の前の、第12曲《化石》への仲間
入り、ではなかったか。
 彼自身の語りによると“これはちょっと違うコントラバスです。歌う
コントラバスなんです。これはゲーリー・カー君の演奏です。カー君は、
20才にしてすでにこのめんどうな楽器の大家です”とことわっている。
 
 ■ 象 / カンガルー
 
 ……音の高さの差を音程といい、二つの音の振動数の比を表わす。振
動数の比が1のとき1度音程、2のときを8度音程またはオクターブと
いう。オクターブの音は基音と同じ感覚を与える。……某百科辞典から

 同じ感覚とは、おそらく他に表現しようがないのであろう。まったく
同じではないし、同じような感覚でもないのである。電気的な純粋音と
か、ピアノのような減衰音の場合でも判別できるのだから、ヴィヴラー
トにつつまれた弦楽器では、さらに顕著である。
 十数年も前の記憶であるが、ラジオの《こども音楽会》とかで、小学
の演奏による、《白鳥》を聴いたことがある。
 それは、まさしくノン・ヴィヴラートで、しかも1オクターブ下げて
いた。たぶん4分の3か、4分の2の小型チェロで、演奏者は習いはじ
めて1年か2年の、豆チェリストと思われた。
 この段階では、ファースト・ポジション、つまり左手の親指がいちば
ん低いところで、位置を変えることなく《白鳥》を弾こうとすれば、1
オクターブ下げるのは当然である。
 たしかに当然なのだが、先にあげたコントラバスよりもさらに、鈍重
な響きになることも避けがたい。浄々たる湖面が、泥々たる泥沼になっ
てしまう。
 かたいこと、をいえば、女声の低音域と、男声の高音域は、同じ音程
であっても、似て非なるはずである。そのあたりを巧みにごまかす面白
さが、物真似の淡谷のり子であったり、美空ひばりであったりする。余
談になるが、たとえばバーブ佐竹の唄う《女心の歌》とか、菅原洋一の
《知りたくないの》などの歌詞は、あきらかに女声語で書かれていて、
野太い男声で、女々しく歌いあげるところがミソであるらしい。
 先の例と逆で、1オクターブ上げた例は、かなりあった。
 交響曲から《枯葉》まで、アメリカ随一の器用な指揮者、コステラネ
ッツの演奏した組曲は、当時最盛期のマントヴァーニ・スタイルによる、
ヴァイオリン群の華麗なさざめきに代えていた。全曲、英語詩の朗読を
付してそれなりに雰囲気をもりあげていた。
 原曲以外の音域で演奏してはいけない、という法はないのである。
 
 ■ 水族館
 
 盲目の作曲家、宮城道雄 (1894〜1956) の回想に、こんなエピソード
があった。筝匠があるとき、楽屋で琴を奏でていると、誰かがじっと聴
きいっている気配がする。やがて、それがチェロのピアティゴルスキー
であると察しられたが、彼は何かを探しはじめて様子である。何を探し
ているのですか、とたずねれば、ここにチェロは置いていないか、とい
う。あなたのような大家に、弾いていただけるような楽器は、どのみち
ございません、と師が恐縮するうちに、彼はどこからか、古いコントラ
バスを代りに見つけだしてきた。
 そして、筝匠をうながすや、悠然と《春の海》を弾きはじめたという。
 《春の海》は、もともと昭和7年に来日した女流ヴァイオリニスト、
ルネ・シュメーによって、ヴァイオリン用に編曲された尺八と筝の二重
奏曲である。
 これをコントラバスで弾くには、かりに3オクターブ下げても、相当
なハイ・ポジションと、困難な運弓が要求される。いわば東西両巨匠に
よる、まことに珍らしい、かつ崇高な楽興の時が、その場に展開された
こと、と思われる。
 実はこの話、何かで読んだ記憶だけが頼りで、出典を明らかにできな
いのが残念だが、宮城師には《雨の念仏》その他の随筆集もあるとかで、
あるいはこれに収められているかもしれない。
 因みに、ピアティゴルスキーの来日は、昭和11年と31年の二度にわた
っており、おそらく、最初の来日の際のエピソードではないかと想像さ
れる。ともに若き日の巨匠、として躍如たる面目がうかがえる。
 そして、31年といえば、筝匠の没年、かの悲劇的な事故、列車からの
転落の年に当っている。
 
 ■ 耳の長い登場人物
 
 めったに見かけなくなったが、演奏会場で楽譜をひろげる人たちがい
る。
 バリトンの、ゲルハルト・ヒュッシュが来日した際には、すでにかな
りの老眼であったにもかかわらず、歌詞のノートを手にしていながら、
やっぱり歌の文句をまちがえたそうである。楽譜と首っぴきで聴いてい
た、ある音楽学校の学生が、あとで先生に、ミス・プリントがあります、
と訴えたそうである。
 オーケストラの場合には、この連中は当然フル・スコアを追うのだろ
うけれども、コンチェルトの場合には、どうしても欠落した部分に出く
わすこともある。
 カデンツァの部分がそれである。少数の例を除いて、本来は独奏者が、
即興風に奏するために、フェルマータが記されているだけである。
 だが今日では、その独奏者が、ほんとうに自身の感興にのって、即興
演奏をさしはさむ、ということはなくなってしまった。
 ベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》を例にとれば、ヨアヒムと
か、クライスラー、稀にはアウアーなど、往年の大ヴァイオリニストの
作曲(!)したものを、忠実に再現するのが常である。つまりクライス
ラー (1875〜1962) あたりまでのヴィルティオーゾ健在期を最後に、演
奏家の即興的かかわりは失われてしまった、のではないか。
 もうすこし昔、すなわちベートーヴェンの時代では、コンサートのプ
ログラムに、即興演奏そのものが、ひとつの曲目として売りものになっ
ていたし、たとえば《ピアノ協奏曲第3番》の初演のときなど、作曲家
みずからの独奏用楽譜は、ほとんど真白に近い、メモ程度のものであっ
た、と伝えられている。
 さらにその昔、フルートの名手を自任する、かのフリードリッヒ大王
が、延々と続くカデンツァを、得々と奏している図も思い出される。楽
員たちが、はたしていつ終るのだろうか、という表情で待ちかまえてい
るわけである。
 音楽の、とくに演奏の歴史で、数々の進歩を立証するならば、こうし
た即興性の退歩もあわせて究明しなければなるまい。
 たしかに、西洋音楽の古典的遺産としての意味は、音そのものの体系
化に成功した点であるといえなくもない。それに関しては、もうそろそ
ろ切りあげる時期じゃないか、という主張だけでも、百年来のものであ
る。現にいまどき、ベートーヴェンのカデンツァを、自分でこしらえて
みよう、などという演奏家がいるとしたら、たいへんな変りものにちが
いない。
 だからクラシックは過去のものだ、という人たちのいるのも当然なの
だ。
 では、近年とみに流行しているインドの、いつ果てるともわからない
音楽、これなどもやがては整備され、進歩して、同じコースをたどるこ
とになるだろうか。
 記録の練達が、体系化に向わせる、という論法でいけば、これまで口
づたえ耳づたえであった音楽が、録音技術の出現で、いったいどれだけ
変化していくか、想像もつかない。
 変化とは、変貌とは、はたしてそれ自身の究まる方向にだけ進んでい
くものだろうか。
 いまどきの流行歌手は、主としてテレビなどで人気を決定しているけ
れども、実際にテレビ局で歌うのと、アテレコの場合が、ほぼ同じわり
あいになっているらしい。
 冗談だろうけれども、月亭可朝という落語家のレコードがヒットして、
評判になったものの、ときどき自分のレコードを聴いて練習しないと、
人前でいつも同じように歌えないなどと伝えきく。
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 ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲》のカデンツァを作曲した例で、
キドン・クレンメルの自作自演がNHK交響楽団で放映(VTR'20010826)
された。ティンパニはじめ、オーケストラの伴奏もあって、ユニークな
試みだが、どうしても物珍しさが先だってしまう。ある前衛的な作品で
(独奏者に動作を任せるとの指示があり)諏訪内晶子が楽団員のヒザに
腰かけたため、エロティックな趣向として、それなりに話題になった。
 


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