与太郎文庫
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1958年10月03日(金) |
高等学校新聞と生徒会役員 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581003 予算会議の反省 評議員 阿波 雅敏 こんどの予算会議が終って、九名の評議員が辞任を申出ました。それ は、決して評議員同志の感情的なもつれとかではなく、予算会議のルー ルというものが、毎年同じ矛盾を指摘されるだけで、一向次の年に改善 されない習慣を、こんどこそゆすぶってみようとしたのです。 差出がましい気もするのですが理由もなく返ってきた辞表を前に次の 予算会議にはこうしたらどうか、という僕の思いつきを、なるべく具体 的に挙げてみたいと思います。 まず、本会議のまえに、各部の説明会をもちたいものです。 できれば申請〆切の直後にでも申請内容について詳しい説明を各部評 議員がするのです。各部の仕事は専門的なものですから、いきなり本会 議で聞いても知らない言葉があったり、判断に迷う場合も少くありませ ん。また、各部がどんな申請の仕方をしているかを一とおり聞いておく ことは必要なことだと思います。 今年のある部は、生徒会予算が、補助金であると云われていたので、 支出総額のうち補助してもらいたい分だけ申請しました。ところが、他 の部はたいてい支出総額をそのまゝ申請しているので、原案委員に質問 すると、それは申請しなかった方が悪いとのことでした。その結果がど うなるか、いうまでもありません。これは決して見解の相異ではなく、 言葉の定義が不徹底だったのです。こんなことは本会議で議論しても実 際には手おくれです。 なお、今年は時間がないとかで品目に対する細かい申請額を、省略し て議事を進められたのですがこれは各部の云い分を、半ば無視したやり 方で、許されるべきではありません。 また、各部の立場は、それぞれ異っていて、各々が積極的な主張をも っているので、お互いの間に充分な理解と思いやりがなければなりませ ん。 それには、例えば学年のはじめに、その年の計画や抱負を発表しあう とか、前年度の会計報告をするなど、お互いの活動を刺激することにも なって、よい結果が得られると思います。 特に、会計報告は、次の年の予算の、重要な目やすとなるものですか ら、申請の内容とあわせて、一目でわかるよう、ぜひ印刷してほしいも のです。要するに、数日前には必要な資料が手もとにあって本会議まで に各評議員が質問を用意できるようにすることが、大切なことなのです。
従来の予算の議決方法は、図のようなグラフを用いています。 これによると、同じ一人の評議員でも、運動団体と学術団体では数字 の上の発言力が異っていることが判ります。 運動団体のA君──3.3% 学術団体のB君──2.9% これは両団体の、部の数に差があるからてす。(今年は15対17で比較 的近寄っているのですが、三年前などは実に 12 対 17 でした。) ◆(図=採決グラフ) 即ち、このグラフは、常に運動団体 50 %、学術団体 50 %の発言力 をもつようにしてあるので、それぞれのまとまった意見が必要なときに は有効です。 しかし、先のA君の部の予算を決める時と、B君の部の予算を決める 場合とでは、明らかにB君の部の方が不利です。数字の多少にかゝわら ず、早急に改められねばなりません。 ある年、一方の団体に予算が流れすぎる、との理由で、まえもって運 動団体に何割・学術団体に何割と分けてしまう方法が採られ、以来ずっ と実施されていますが、原因を究めないうかつな方法だったと思います。 両団体の割合を決めた以上、先のグラフは使えないのです。 この種の均衡が、どうしても必要なら、それぞれの団体毎に審議させ、 互いに承認しあうことが考えられます。承認の方法は、国会の二院制を 参考にしたらよいでしょう。 要するに、グラフの問題も、この問題も、運動団体と学術団体という、 生徒会規約にもない区別が原因です。予算会議のときだけ、習慣的に出 てくるこの「団体」意識は、この際はっきりと処理すべきです。即ち、 クラブ活動の本質からは、こんな区別は全く根拠がありませんが、事務 的な面で必要なら、正式に設けてほしいと考えます。 いまゝであまり問題にならなかったのですが、評議員が欠席したり、 代理人が来たりすることは、やはり考えておかねばなりません。従来は、 代理人は何となく認められ、欠席の際は、例のグラフを書き直すことが 平気で行われておりましたが、大切な会議だけにもっとけじめがあって よいと思います。 即ち、代理人を寄越す場合は、部長と連名の委任状を求めるとか、本 人・代理人にかゝわらず、本会議中は同一人物であること等の原則は、 却って代理人を公平に扱うことにもなりましょう。 また欠席者の票は、「原案承認」として扱うことが正しいようです。 予算会議では、棄権は認められず、原案承認か否か、が常に先決とされ ているのです。 「原案」がきわめて有力な立場にあることは、いまの例でも明らかで すが、それだけに原案作成は大変な仕事に違いありません。 まず、各部の申請用紙にある、こまごまとした内訳に対して、一つず つ金額をわりあてていく「ていねいな方法」か、それとも、前年度の決 定額を中心として、総額をわりあてていく「大まかな方法」のどちらを 選ぶかが問題です。 実際には、この二つの方法を、適当に組合せてやるのが普通ですが、 不注意にやると、次のようなことになります。 例えば、「ボール代が少なすぎるではないか」という質問があると、 「それではバットの分を少しボールに回したとして考えて下さい」とい った種類の答弁が、しばしばありました。 原案委員会としては、「大まかな方法」だけで、原案をこしらえたら しいのですが、本会議で審議するには、どうしても「ていねいな方法」 でないと議論にならないのです。そして、一つ一つの品目について、原 案委員会としての一貫した方針と見解が示されてこそ議論が成立するの です。 ことしの会議で、とくに意外だったのは、各部での部費の負担が、ほ とんど無視されていたことです。例えば、同じ条件で予算を与えられた 二つの部で、一人あたりの部費が、月五十円と百円であったら、これは 不公平といってよい場合が多いのです。 僕は、各部予算というものは、大ざっぱに考えて、部員の負担に比例 して分配されることが正しいと考えます。たヾ、技術的にどう扱うかは、 とても難かしい問題です。しかし、資料を集めることはできるのですか ら、今後は少くとも、こうした考え方が重視されてよいと思います。 以上は、毎年会議が終ってから指摘され、会議中にも問題となったこ となどを、できるだけ具体的な案として、まとめたものです。これらは、 会議が始まってからでは、なかなか取りあげにくいので充分注意してほ しいと思います。 ── 阿波 雅敏《予算会議の反省 19581003 同志社高等学校新聞・第34号》 編集人:門戸 良彦/発行人:猿橋 庄太郎(時事問題・教諭) ──────────────────────────────── 予算会議「採決グラフ」の考案者は“カスミ”こと上田 堅一郎(数学) 教諭と伝えられる。 辞任を申し出た評議員は、器楽部・文芸部・聖歌隊・英語部・宗教部・ 新聞部・放送部などの学術団体、運動団体では山岳部・バレー部など、 すべて利害連帯がある。たとえば、山岳部には竹内康がいて、バレー部 は宮田昌洪・立石義雄など有力OBの親友である。かくて器楽部の獲得 予算は飽和状態に達していた。 この年の予算会議々長すなわち生徒会長は、野球部キャプテン飯田勤 君。野球部が甲子園に出場するためにはブラス・バンドの応援が不可欠 であるから、なるべく友好関係を保ちたい。ところが、議事運営に矛盾 ありと辞表を突きつけられることになった。実際の審議は終っていて、 予算成立後の単なるパフォーマンスにすぎないが、これを議長不信任と すれば、ひいては生徒会長の弾劾要求になるので、いわば声明文を公開 するための環境づくりであった。 この号(編集人・関戸良彦)では、のちに京都大学医学部紛争の総帥 となる田原明夫君のエッセイ《ものは見よう》がある。「あの田原が!」 と驚いた同窓生も、これを読むといくぶん納得できるフシがある。 ── 役員自身が気力を失ってゆくしくみになっていないか/環境の力 は大きい。しかし我々はなりゆくまゝに放置すべきではない/有志は集 おうではないか。── 《走れメロス》は太宰治の作品。豊田勝義君のYMCAネットワーク を見込んで約四十日間の下宿先確保を依頼すると、東京都台東区御徒町 の商人宿・喜又旅館をさがしあて、まさに有言実行であった。 担任の杉井先生はホームルームで、同時に新聞に登場した教え子二人 を愛でて「かくいう私も、このほど礼拝の時間に話をする予定である」 と公表された。しかるに与太郎は、当日サボって聞きそびれた。 >> 衆議院小選挙区 一票格差 一九九四(平成六)年八月一一日に衆議院議員選挙区画定審議会が首 相に勧告した小選挙区区割案も一票の価値の平等を実現することはでき なかった。その時点で人口格差が二倍を超える選挙区が三〇〇選挙区の うち二八選挙区で、最大格差は二・一三七倍であった。ところが自治省 が同月一九日付けで発表した九四年三月三一日現在の住民基本台帳に基 づく人口によると、二倍を超える選挙区は四一選挙区に及び、最大格差 は二・二三倍になるとのことである。また、九五年八月一一日付で発表 した九五年三月三一日現在の数字では、二倍を超える選挙区は四六選挙 区になり、最大格差は二・二五六倍と広がった。九六年三月三一日現在 の数字では、二倍を超える選挙区は五二選挙区、最大格差二・三一倍と なった。さらに、九七年三月三一日現在では、二倍を超える選挙区は五 九選挙区、最大格差二・三六倍となった。一般に何が平等で何が不平等 なのかは判然としない場合が多いが、選挙区間の一票の価値の格差は、 理念と現実との間のギャップを数字的に明確にするので、理解しやすい 貴重な例である。 ── 《現代用語の基礎知識 19980101 自由国民社》P736 << ── 岡野加穂留氏(おかの・かおる=元明治大学長、比較政治学) 7日午前9時25分、がん性脳髄膜炎のため自宅で死去、76歳。東京 都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。7月20日午後1時から東 京都港区芝公園3の3の1、東京プリンスホテルでお別れの会を開く。 喪主は妻論江(ときえ)さん。 明治大政経学部長を経て1992−96年学長。著書に「政治風土論」 「多党制政治論」など。明治大ラグビー部部長も務めた。 ── 《訃報 20060608 共同通信》
太宰 治 作家 19090619 青森 東京 19480613 40 /情死遺体発見 /19480619桜桃忌/籍=津島 修治〜《桜桃/走れメロス/人間失格》 ──────────────────────────────── 竹中 正夫 組織神学 19250906 北京 京都 20060817 80 /同志社大学名誉教授/米思想史 岡野 加穂留 政治学 19290622 東京 20060607 76 /明治大学長 麻田 貞雄 日米史 19360129 京都 /同志社大学教授 杉井 六郎 日本史 19230613 静岡 京都 20111008 88 /京都女子大学教授 上田 堅一郎 数学教諭 1926‥‥ 京都 20060515 80 /1979-1986同志社高校長“カスミ” Griesy, Paul V.英会話 19281227 America 20131010 84 /同志社高校講師/グリーシー“ポール先生” ──────────────────────────────── 宮田 昌洪 排球部 1939‥‥ 京都 /ミヤタ喫煙具店 立石 義雄 排球部 19391101 大阪 京都 /オムロン会長 竹内 康 NHK局長 19400930 京都 20090311 68 /同志社高校文芸部“DHS”旧暦1028-0215“如望忌” 飯田 勤 生徒会長 1940‥‥ 京都 /野球部主将 田原 明夫 1940‥‥ 京都 /京大医学部紛争の総帥 豊田 勝儀 1940‥‥ 京都 19950905 54 /同志社中学教諭
>> 我が信念、我が友情 三年 豊田 勝儀 『宗教部のくせに』『偽善者よ!お前は』とひやかされながら三年間。 反省と奮発の材となってきた。「人の事なんかかまってられるか」と三 年にもなると人間が利己的になるのか、ひやかすその人も自分の不誠実 を悟った為か、どうかは知らないがあまり此の頃は云う人もなくなった。 とにかく辛かった、頑張った、然し楽しい高校生活を送って来た。入学 時に思う「最も楽しい最高の思い出を持つ−卒業後いつ思い出しても− 思い切りやった。我が高校生活に悔いなし」と確信を持って語れる岩倉 時代を送ろうと。然してその大半は過ぎ去った。《恵まれボケ》の環境 に揉まれながらにも拘らず「同志社に学びし故に我が三年間悔いなし」 と云わしめる少くとも二つのものを得た。その一は、『俺の命は俺が生 きる』その最大に生きる生き方の原動力となるものである。「人もし全 宇宙を得るとも、その霊魂(ギリシヤ語で生命)を失はば何の益あらん や、また人は何を以てその霊魂に易へんや」実にこれなり。私と云うも のは私の他に無い。私に多少似た者はあるだろう。しかしながら私の半 身とか、第二の私とか称して全然私に似て正確にこれの代用をなし得る 者は宇宙永遠に渡り一人もない。自分の生命の貴尊、それに基ずいて幸 福の何たるかを学び得た。山のあなたのなお遠くに幸福を探る必要ある なし。今日はその第二、《友情》について少しく私見を述べる。 悲しい時の慰めとなる友を持つ人にとって、喜こぶ時に共に喜こびあ える友を持つ人にとって友情の如何に尊く、なくてはならぬものである かは自明の理である。ヨキ友ある故に有意義なる高校生活を日々体験す る。打算的友交、単なる遊び友達、己れの利ばかり求めて与える事の満 足を知らん友人関係については今日は問題外。「私を待っている人があ るんだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は 信じられている。私は信頼に報いなければならない」(走れメロス)求 めるべくして求めたのではなく、自然にあらゆる機会を通りて心と心、 人格の触れ合いにより成立。真の友情−卒業後も消息を知り急用あれば いつでもとんで行く。真の友情の続くことを互いに確信している友情を 得たこと。これだけは声を大にして云える−持つべきものは友なりと。 金でもない。いわんや名でも位でもない。信頼出来、信頼されている友 なりと。 << >> 時の人 麻田 貞雄 君 〜 カルトン大学三大賞受賞 〜 エールでは神学校に居るポール・グリーシーに度々会えるのを楽しみ にしています。彼は去る三月カールトンに数日間戻って来た時に会い岩 倉の話にはずみました。ポールは礼拝の時にこちらの学生に彼の体験談 を語り、スライドを見せたりして「日本におけるカルトン」の意義を説 き、学生教授にも、日本への関心を湧かせるにに成功でした。四月には 同志社大学の竹中助教授が同志社の代表としてチャペルで話され、深い 印象を残されました。(グルー奨学生・受賞挨拶状の一部) << (20060608)
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