与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


1953年11月29日(日)  併存 〜 徳富家の人々 〜

 

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19531129
https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/(Ctrl+F)
http://awalibrary.blog.so-net.ne.jp/
 |
http://twitter.com/awalibrary(ツイッター)
http://twilog.org/awalibrary(ツイログ)
http://booklog.jp/users/awalibrary(ブクログ)
 |
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html(与太郎文庫)
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19531129

 
 Ex libris Web Library;(山陽新聞広告)
http://homepage3.nifty.com/minkei/mod/ta/tokutomi-hamaigura.htm
 
>>
 
 硬質の自己主張と柔軟な適応姿勢の併存     杉井 六郎
 
 蘇峰徳富猪一郎は文久三年一月二十五日(一八六三・三・一四)の生
まれである。明治五年(一八七二)八月、満九歳五ケ月で熊本洋学校に
入ったが、九月、年少のため退学をいいつかり、八年九月、再びこの学
校に入学する。
 当年の初級英語読本 ( Mc Guffey's New Juvenile Speaker ) に残さ
れている“ Tokutomi Iyichiro”の署名は、彼のローマ字綴りのそれを
見る早い例の一つであろう。こえて九年一月、この学校生徒のキリスト
教奉教の結盟に加わって「花岡山奉教趣意書」に署名した。彼はかしこ
まって「悳冨豬弐●」と記した。この五字はすべて、それぞれの原義か
古字、あるいは家の慣用に従って書かれている。この二つの署名は、い
まに残されている当年の猪一郎自らが表白する一等の記録である。そこ
には年わかい猪一郎の、二つの西欧文物に対する、文化形成にかかわる
極めて注目すべき「原型」が示されていると考えられる。それは硬質の
自己主張と柔軟な適応姿勢の併存といえよう。
 このような彼における「原質」というべきか「原型」の形成について
『蘇峰自伝』は次のように述懐している。
 
  予は何時頃から読書を始たか覚えてゐない。併し最初は唐詩を習っ
 たやうだ。それは母の膝の上にて、「月落鳥啼霜満天」の外、少し長
 きものでは、謝畳山の「雪中松柏愈青青」といふ小詩抔(中略)それ
 から追々『大学』、『論語』等は母から教はったやうである。
  父は概して諸方に往来し(中略)種々の用務を帯びて奔走してゐた
 が、併したまたま家にあって読書等してゐる時には、予もその傍にて
 聴いてゐたことがある。父はその時はよく日本外史を読んでゐた(中
 略)父の読むのを聴いてゐれば、少し解ったやうな気持もした。
  予の家には横井小楠先生の二姪がアメリカより送り来りたるワシン
 トンとナポレオンの肖像があった。それで予が外国人の名を知り、且
 つその人を知ったのは、この両人が始である。
  吾家には『武王軍談』、『呉越軍談』、『漢楚軍談』等の支那の通
 俗ものがあり、予はいつの間にかそれを読み習って、一通りの簡略な
 る知識はそれで得た。併しそれ等よりも予の最も好きは三国史であっ
 た。
  予が読書の力は漸次ついて来た。『四書』、『五経』は固より『左
 伝』、『史記』、『歴史網鑑』、『国史略』、『日本外史』、『八家
 文』なども読み、『通鑑綱目』等も親類の横井家から借用して読んだ。
 
 この度の蘇峰著作九巻の、その泉源を尋ね、改めてその奔流の勢い、
潜勢を知り、あわせて、そのひろがるところを逐い求めたい思念から、
彼の冊子を披繙するはじめをたどってみた。
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4896686551
── 杉井 六郎・監修《蘇峰書物随筆・全十巻 199303‥ ゆまに書房》
 
<<
 
…… 中学二年の二学期、寒風吹きすさぶ運動場にオール同志社の学生
・生徒が集められ、はるか壇上に毛布にくるまれた老人が運ばれた。そ
ばに立つ誰かが「先生は御老体であられるので、これより代読いたしま
す」といって長々しい原稿を読みはじめた。事情もわからずに震えなが
ら互いにささやく声がする「誰や、あのジジィ?」。後日、同志社中学
はじまって初の女子生徒会長・木村祥子の就任演説を、役員会で審議し
ていた。そこで「毛布にくるまって黙ってるのはどや、オレ(与太郎)
が代読するぜ」と提案すると、先生はじめ一同顔をみあわせて笑った。
── 《Day was Day 20001224 Awa Library》P045
19531128 創立記念式典(Day'19960819 杉井六郎先生の項 P067 参照)
 


 新島 襄 同志社創立 18430212 江戸 小田原 18900123 48 /客死/天保14.0114
/18751129同志社英学校創設/幼名=七五三太
────────────────────────────────
 杉井 六郎  日本史 19230613 静岡 京都  20111008 88 /誤=弘前
/同志社高校教諭/同志社大学名誉教授/京都女子大学名誉教授
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19230613 杉井文庫目録

 
…… 兄の曾て西京を出発するや、僕に約して曰く、公会へは必ず出づ
べしと。然るに未だ数月をも経過せざるに、東京の公会にもご出席なく、
しかのみならず、当会(京都第二公会)より御退会の事とは、余り約し
て速かに約に違ふに似たり。これ小生の君の将来のキャレクトル (Cha-
racter) を成し立つるに、何等かの影響を生ずべきやと、大に痛心する
所なり。一諾不変は男子の常なるも、斯くの如く速かに氷解霧散せしむ
るものは、兄には必らず見る所あるを、然かするなるべけれ共、斯くの
如く一約一諾を易々然として変ずるは、大丈夫の大いに恥づる所なるべ
し/御忠告の段、多謝の至り。何れ僕成るべく丈け注意いたし、弊校の
進歩を計るべく候。同志社生徒の自負心の点には、僕も着目しをり候へ
ば、何れ此点にも精々注意仕るべし。斯くの如く東西所を異にする共、
何なりと僕の心得となるべき事は、御遠慮無く御忠告を仰ぎ度く候。右
は貴答の為め早々此くの如きなり。(1880)九月廿一日 徳富猪一郎 君
── 同志社・編《新島襄書簡集 19880316 岩波文庫》P143-144
── 《Day was Day 20001224 Awa Library》P031
 
…… ある意味に於いて、書簡はその人の自伝なり。特に第三者に披露
する作為なくして、只だ有りのままに書きながしたる書簡は、其人の最
も信憑すべき自伝なり。── 徳富 蘇峰《蘇翁言志録 1936‥‥ 》
 

 
【徳富家の人々】
 
 徳富 一敬    漢学 18221107 肥後   19140526 91 /文政 5.0924/93?/病没/蘇峰&廬花の父/号=淇水/代々総庄屋
♀徳富 久子  一敬の妻 18290513 肥後   19190218 91 /文政12.0411/蘇峰&廬花の母/旧姓=矢島家の第5子(四男五女の母)/歌人
────────────────────────────────
♀湯浅 初子  社会事業 18600214 肥後 水俣 19350313 75 /安政 7.0123/社会事業
/旧姓=徳富一敬&久子の四女/蘇峰と蘆花の姉/1885 治郎の後妻、早逝3名を含む11人の母
/熊本洋学校ゼンス夫人の門下/海老名 美屋(弾正の妻)の従兄弟
────────────────────────────────
 徳富 蘇峰  歴史評論 18630314 肥後   19571102 94 /文久 3.0125/籍=猪一郎/廬花の兄
/187209‥ 熊本洋学校退学/《国民新聞》主宰/1945‥‥ A級戦犯/1952‥‥ 追放解除
http://www.hi-ho.ne.jp/tastevin/soho/kokuminshi.html
── 徳富 蘇峰《近世日本国民史(百巻)1918‥-193708‥ 大阪毎日新聞 1979 講談社学術文庫》
http://booklog.jp/entry?keyword=%E8%BF%91%E4%B8%96%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%8F%B2&seavice_id=1&index=All
────────────────────────────────
♀徳富 静子  蘇峰の妻 18671116 熊本   19481107 82 /旧姓=倉園/慶応 3.〜1207 ?
/1863‥‥〜/1884結婚/4男6女の母
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tokutomi_so.html
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4872364961
── 徳富 猪一郎&斎藤 弔花《わが母 徳富 蘇峰夫人 199512‥ 大空社》伝記叢書 197
http://rnavi.ndl.go.jp/books/2009/04/000002483994.php
────────────────────────────────
 徳富 蘆花  蘇峰の弟 18681208 熊本 群馬 19270918 60 /客死/明治 1.1025-伊香保没
/籍=健次郎/自然主義「芦花公園」由来/《講演 19110201 一高》
── 徳富 蘆花《不如帰 18981129-18990524 国民新聞 19000115 民友社》
 
♀徳富 愛子  蘆花の妻 18730715 熊本   19470220 74 /故18740718〜《廬花日記》
/旧姓=原田 藍/筆名=蘭芳・黄花/189405‥ 結婚
────────────────────────────────
♀三宅 逸子       1888‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /蘇峰の長女
 
 徳富 太多雄 海軍少佐 18900303 ‥‥   19310909 41 /蘇峰の長男(三男二女の父)/大尉:19241110-19251201 駆逐艦“夕顔”艦長
♀徳富 美佐尾      18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /太多夫の未亡人
────────────────────────────────
 徳富 万熊 蘇峰の二男 18921115 ‥‥   19240916 32 /国民新聞調査部長/チフス病没(萬熊)
http://wind.ap.teacup.com/tajima/30.html (後太多助、一敬)
 徳富 武男 蘇峰の三男 1908‥‥ ‥‥   19471014 39 /病没
 徳富 武雄 蘇峰の四男 19090219 ‥‥   1960‥‥ 51 /考古学/徳富家コレクション
 徳富 敬太郎      1922‥‥ ‥‥          /蘇峰の孫
http://blog.goo.ne.jp/kuro-siba/e/c5ce48e0c93ac0f4a3b3ae867d56f4b3
── 19440324 海軍少尉候補生、最初の俸給にて(筆筒)購いオクルモノナリ」
────────────────────────────────
 徳富 剛二郎  獣医学 1924‥ 神奈川 東京 20060821 82 /蘇峰の孫「蘇峰会」常務理事/宮崎大名誉教授
 徳富 健一       19‥‥‥ 東京          /蘇峰の曾孫/剛二郎の長男
────────────────────────────────
 徳富 正孚  三井鉱山 1900‥‥ 熊本   19910420 91 /元取締役
 徳富 義孝 密厳院住職 19200424 和歌山  19980725 78 /高野山真言宗宗務総長
────────────────────────────────
♀徳富 孝子       1895‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /蘇峰の次女
♀阿部 久子       1898‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /蘇峰の三女
────────────────────────────────
♀徳富 直子       18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /蘇峰の四女
http://ci.nii.ac.jp/nrid/9000005942717
────────────────────────────────
 徳富 忠三郎      19‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /蘇峰の三男/早世
────────────────────────────────
♀名和 盛子    歌人 19‥‥‥ 東京           /蘇峰の五女/長恭の未亡人/一児の母
── 名和 盛子・詞/伊藤 宣二・曲《夕もや 19‥‥‥ #03659》《白椿 1931‥‥ 歌集》
http://home.u05.itscom.net/soujutei/comp_i.htm
 
…… 邸内の別棟には四女(?)の盛子さんが住んでいらっしゃる。
 名和男爵に嫁がれていたが、ご主人を亡くされて幼児1人を連れて帰
られていた。セキズイカリエスに罹られ病床に臥していらっしゃった。
 短歌をやっていらっしゃるとかお聞きした。薄幸の佳人であった。
http://blogs.yahoo.co.jp/tiro2150/folder/982712.html
 蘇峰先生邸訪問 20070708 自分の道を……
 
 名和 長恭    男爵 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /南朝の忠臣の末裔
── 1878-1884 名和神社の宮司に任ぜられて男爵を授けられた。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nawa_k.html
────────────────────────────────
♀矢野 鶴子       1906‥‥ 東京   20070910 101 /蘇峰の六女(養女)
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4915658570
── 矢野 鶴子&渡邊 勲・共著《二人の父・蘆花と蘇峰 〜『みみずのたはこと』と鶴子 20070430 創友社》
 三宅 良彦       19‥‥‥ ‥‥          /矢野 鶴子の甥(喪主)
 
【湯浅家の人々】
 
♀矢嶋(矢島)楫子   18330611      19250616 92 /天保 4.0424/女子学院設立業
/忠左衛門直明&鶴の1男7女の6女(末子)/旧姓=湯浅 初子の叔母(蘇峰の叔母)
 
 湯浅 治郎  廃娼運動 18501124 安中 京都 19320607 83 /嘉永 3.1021
/政治家・実業家/雅号=雲外/吉郎の兄/蘇峰の義兄/三郎の父
 
♀湯浅 茂登子      18‥‥‥ ‥‥   1884‥‥ ? /‥‥ .,‥‥/旧姓=/6人の母/治郎の先妻
 
 湯浅 一郎  (長男) 18690130 群馬 安中 19310623 62 /明治 1.1218/洋画(蘇峰の義甥)八郎の兄
♀湯浅 にい  (長女) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /‥‥ .,‥‥/籍=大工原 銀太郎(同志社大学総長)の妻
 湯浅 三郎  (次男) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /‥‥ .,‥‥/安中の実家を継ぐ
 湯浅 三郎   元騎手 19360424 岡山          /JRA 栗東トレーニングセンター調教師
 
 湯浅 四郎  (三男) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /‥‥ .,‥‥/早逝
 湯浅 五郎  (四男) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /‥‥ .,‥‥/早逝
♀湯浅 ろく  (次女) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /‥‥ .,‥‥/福田 一郎(海軍少将)の妻
 
【湯浅家の人々 ↑茂登子の6子 ↓初子の8子】
 
♀湯浅 しち  (三女) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /籍=鈴木 晋(実業家)の妻
 湯浅 八郎  (五男) 18900429 東京   19810815 91 /同志社総長10,12-13/国際基督教大学学長1/昆虫学・教育(蘇峰の甥)
♀湯浅 くめ  (四女) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /浅原 丈平(教育家)の妻
 湯浅 十郎  (六男) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /宗教家
♀湯浅 かずよ (五女) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /平坂 恭介(教育家)の妻五女
♀湯浅 なほよ (六女) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /早逝
 湯浅 餘三  (七男) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /宗教家
 湯浅 餘四郎 (八男) 18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /学者
 
【横井家の人々】
 
♀横井 津世子      18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /旧姓=/(蘇峰の叔母)
 
 横井 小楠  熊本藩士 18090922 肥後 京都 18690215 59 /文化 6.0813-明治 2.0105 暗殺
/蘇峰の義叔父/儒学、政治。維新十傑の一。
 
 横井 時雄       18571203 肥後 別府 19270913 /安政 4.1017/別姓=伊勢(蘇峰の従兄)
/牧師、ジャーナリスト、元逓信官僚、元衆議院議員、同志社社長 3
/小楠の子。前妻・みねは山本 覚馬の次女、後妻・豊は柳瀬 義富の五女。妹・みやは海老名 弾正の妻。
 
【海老名家の人々】
 
 海老名 弾正      18560918 福岡 19370522 80 /安政 3.0820/旧称=喜三郎(蘇峰の義従兄)
/同志社総長 8/伝道・牧師組合教会の三元老=小崎 弘道+宮川 経輝
♀海老名 みや      18621226 熊本   19520304 89 /文久 2.1106(蘇峰の従姉)
/弾正の後妻/旧姓=横井 小楠&つせ子の娘/キリスト教婦人活動
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/ebina_d.html
 
♀久布白 落実 直勝の妻 18821216 熊本   19721023 89 /女性解放運動
/くぶしろ おちみ/旧姓=大久保 真次郎の長女(蘇峰の姪)
 
 阿部 賢一       18‥‥‥ ‥‥   19‥‥‥ ? /(蘇峰の三女の夫)
 浜田 義文 カント哲学 19221014 東京   20040910 81 /研究/籍=濱田(蘇峰の孫の夫)
 
♀竹崎 順子       18251204 肥後   19050307 79 /文政 8.1025/八十雄の祖母(蘇峰の伯母)
/旧姓=矢嶋 直明の3女“肥後の猛婦・四賢婦人”/教育家
/四姉妹=徳富 久子+矢嶋 楫子+横井 つせ子(小楠の後妻=矢嶋 源助の妹)

 
>>
 
 手紙魔・蘇峰
 
 神奈川県二宮町にある徳富蘇峰記念館には、蘇峰にあてた4万6,000通
余の書簡が保管されており、差出人は約1万2,000人にわたっている[41]。
『近世日本国民史』でも多くの書簡が駆使されて歴史や人物が描かれて
おり、蘇峰自身、『蘇翁言志録』(1936年)において、
 
…… ある意味に於いて、書簡はその人の自伝なり。特に第三者に披露
する作為なくして、只だ有りのままに書きながしたる書簡は、其人の最
も信憑すべき自伝なり。── 徳富 蘇峰《蘇翁言志録 1936‥‥ 》
 
と述べるように、書簡を大切なものと考えていた[6]。
 蘇峰自身も手紙魔であり、朝食前に20本もの書簡を書いていたという
エピソードがある[7]。
 徳富蘇峰記念館所蔵の書簡は、高野静子によってまとめられ、『蘇峰
とその時代−そのよせられた書簡から』(1988年)、『続 蘇峰とその
時代−小伝鬼才の書誌学者 島田翰』(1998年)が出版されている。
(Wikipedia)
 
<<
 
(20060822)(20120817)(20150720)(20160213)
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 


与太郎 |MAILHomePage

My追加