与太郎文庫
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1906年07月14日(土)  丙午の女 〜 永井 荷風の女たち 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19060714
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19650714
 丙午の女たち(推定1965以後の誕生日不詳)
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19660714
 丙午の女たち(1966以後)

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19060125
 丙午の女たち(1906以前)旧暦元日を含む

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19060101
 丙午の女 〜 川端 康成の女たち 〜 (1906以前の新暦)
 
 ◇ 永井 荷風の“最初の女”
 
── 『すみだ川』作りし頃の事、かの富松といひし芸者と深間になり
互に命といふ字を腕にほりし頃の事など夢のように思返さる(19400312)
── 永井 荷風《断腸亭日乗 19950127 岩波書店》19170916-19590429
 
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/bungaku/kahuu.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1862331
(↑)“丙午の女”に関する、わたしのノートから。
 
 昭和10年(1935)のエピソードによれば、生年月日や干支(数え年)
は荷風本人である。しかし偽名を名乗っているので、27才下の若い女が
実在し、はたまた自作の小説中にある「雪」であるとは断定できない。
 
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「無職業か。年はいくつだ。」
「己の卯です。」
「いくつだよ。」
「明治十二年己の卯の年。」それきり黙っていようかと思ったが、後が
こわいので、「五十八。」
「いやに若いな。」
「へへへへ。」
「名前は何と云ったね。」
「今言いましたよ。大江匡。」
「家族はいくたりだ。」
「三人。」と答えた。実は独身であるが、今日までの経験で、事実を云
うと、いよいよ怪しまれる傾があるので、三人と答えたのである。
「三人と云うのは奥さんと誰だ。」巡査の方がいい様に解釈してくれる。
「嚊ァとババァ。」
「奥さんはいくつだ。」
 一寸窮ったが、四五年前まで姑く関係のあった女の事を思出して、
「三十一。明治三十九年七月十四日丙午……。」
 若し名前をきかれたら、自作の小説中にある女の名を言おうと思った
が、巡査は何も云わず、外套や背広のかくしを上から押え、
「これは何だ。」
「パイプに眼鏡。」
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 永井 荷風 明治12(己卯) 18791203 東京 19590430 79 /大江 匡(58)
♀□□ □□ 明治39(丙午) 19060714 □□ 19‥‥‥ ? /1936(31)
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♀吉野 こう 新橋芸者=富松 19‥‥‥ 東京 1927‥‥ ? /190909‥“入墨の女”
♀斉藤 よね(ヨネ)政吉の次女 19‥‥‥ 湯島 19‥‥‥ ? /1910-1913結婚。材木商の娘
♀藤蔭 静枝 新橋芸者=八重次19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /1914-1915結婚/籍=内田 ヤイ/日舞藤蔭流家元
♀□□ □□ 桜木芸者=八重福19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /1918落籍せず。
♀清元 秀梅 #12      19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /19220830欷歔啼泣
♀□□ お富 芝桜川の私娼  19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /1926恋愛す。
♀関根 歌 #13 麹町三番町芸者1907‥‥ 東京 197510‥ 68 /192709‥身請「幾松」経営/幾松幾代?
♀米田 みよ 新橋芸者=□□ 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /1927身請(待合経営)
♀渡邊 美代 #16(本名不明)1911‥‥ □□ 19‥‥‥ ? /1934暮-1935秋(24)
♀□□ 雪子 明治44(辛亥) 1911‥‥ □□ 19‥‥‥ ? /1936(26)流連
♀□□ □□ “女ターザン” 19‥‥‥ 東京 19‥‥‥ ? /

 
 このあと登場する雪子は、辛亥生まれの“最後の女”である。
 梅雨のころ出会ってから「もう三月になるわネェ。」(P51)
 そして、昭和11(丙子)19361030「丙子十月三十日脱稿」(P79)
 
── 年は二十四五にはなっているであろう。なかなかいい容貌である。
(略)寺島町七丁目六十一番地(二部)安藤まさ子方雪子。(P29)
「あなた、口がうまいから駄目。二十六だわ。」(P49)
「わたしの年は水商売には向くんだとさ。」(P50)“辛亥の女”
── 永井 荷風《●東綺譚 19511225 新潮文庫》●=シ+墨
 
── 新藤 兼人《●東綺譚 19920606 近代映画協会/東宝=ATG》
(↓)津川 雅彦・出演録
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0286410.htm
 
 ◇ 荷風の女たち
 
 十六人の女 〜 帰朝以来馴染みを重ねたる女 〜
 
 昭和十一年一月三十日、五十八歳の荷風はリストをあげている。その
末尾に「此外臨時のもの挙ぐるに遑あらず」と付記しており、『日乗』
にその名を明記している者だけでも数十名もいる。19360130
 
── 「一生家庭を持たなかったわたくしが、振り返ってみて、先生と
の十年に満たない年月こそ、わたくしにとって一番楽しかった家庭的な
時期だったと申せましょう」 
── 関根 うた《荷風全集 月報20 19‥‥‥ 岩波書店》
http://homepage1.nifty.com/B-semi/koiku/nagai.htm
 
 「昭和三十二年三月六日/晴。関根お歌来話。午後浅草食事」
 三十四年四月三十日、稀代の奇人は自宅書斎で布団から身を乗り出し
こと切れている。享年七十九。
── 《断腸亭日乗』昭和十九年)
 *
『荷風全集』(岩波書店)
『永井荷風傳』(秋庭太郎 春陽堂)
→「恋歌 恋句」目次へ
(20051230-20061219)
 
 ◇ 匡を名のる男たち
 

 大江 匡衡 文章博士  0952‥‥ □□ 10120806 60 /天暦 6.〜寛弘 9.0716
(おおえのまさひら)“大江用水”赤染 衛門の夫
 大江 匡房 文章道   1041‥‥ □□ 11111207 71 /長久 2.〜天永 2.1105
(おおえのまさふさ)/故実〜《江家次第》
────────────────────────────────
 大江 匡  →永井 荷風 18790121 東京 19‥‥‥ ? /匡衝&匡房(月日不詳)
 永井 荷風(籍=壮吉) 18791203 東京 19590430 79 /明治12(己卯)
 藤井 丙午“丙午の男” 19060223 岐阜 19801214 74 /参議院議員/自民党
 浜  勇治 元海軍大尉 19060120 長野 19450316 39 /広匡の父19320515事件
 浜  広匡 勇治の長男 19311013 長野 /パソコン英語塾長

 
── 濱は六年十月十三日生まれた長男に大江 匡房・廣元の名からと
って「廣匡(ひろまさ)」と命名した。大江家は民生を重んずる、権藤
のいう「制度学」を家学としていた。匡房は八幡太郎義家の兵法と民政
の師であり、廣元は寄り頼朝によって鎌倉幕府政所別当に招かれ、貴族
政治を改革し、土地支配を地頭制の下に置いて民力を豊かならしめたの
である。
── 濱 廣匡&五味 幸男・共編《五・一五事件の謎 19961130 鳥影社》P125
 
(20061219)(20110507)
 


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