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■ (日記) 死について思うこと。
まだ志半ばの芸能人や著名人が亡くなったり、アタシよりもずっと若い友人知人が、事故や病気などで突然亡くなったりすると、自ずと自分の死についても時々真剣に考えることがある。
死がタブー視されていることもあるし、死はあまり明るいことではないし、ほとんどの人々は命を大切にし、一生懸命に生きることが美徳と感じていると思うので、あまり死がテーマの日記は極力書かないようにはしているが、アタシたちの年代になれば、本当なら最もちゃんと考えて、周りの人間くらいには、多少の意思を伝えておかないといけない気もする訳で・・・・・・。 アタシは今が楽しいに付け、辛いに付け、自分がもしも死んだりしたら、絶対にこうして欲しい・・・と思うことが幾つかある。 アタシ は死をタブー視していないし、死は生を授かることと同じくらいに、神聖で神秘的なものだと思っているので・・・・・・。
赤ちゃんや、少年少女や、若い人達が亡くなると、本当に家族は辛く、友人知人も辛く、周りにいる人たちにとって、こんなに哀しいことはない。 人間は本来死ぬことが一番の恐怖であり、それを避けたいがため、頑張って希望に向かって生きるものだし、中には、犯罪や盗人まで犯しながらも生きようとする人も居るのだと思う。
でも、お年寄りになると、「あぁ・・・、早くお迎えが来てくれないかなぁ・・・」などと本気で願う人が徐々に増えてくる訳で・・・・・・。 ハテ・・・? お年寄りは、本当に願って死にたいと思うのかなぁ・・・・・・。お年寄りは死ぬことは怖くなくなってくるのかなぁ・・・・・・。と、若い頃からとても不思議だった。 でも、この年になると、本当にお年寄りは死が怖くなくなるのでは・・・?と、何となくわかる気もするのだ。
その理由として考えられるのは、何かの理由で日々があまり幸せではないと感じている人。病気か何かを抱えていて今が辛い人。大好きだった連れ合いや友人、尊敬している人たちがどんどんとアチラ側に旅立ってしまった人などなど・・・・・・。 そんな人たちはきっと、ああ、向こうの世界の方がきっと楽しいだろうなぁ・・・って真剣に思うのだろう・・・・・・。
人間いつどうなるか本当にわからない。 今日は元気でも、明日はわからない。 神様が唯一平等に生き物全てに与えてくれるのは、いずれは確実にやって来る死だけなのだから・・・・・・。 だからいつ何が起こってもいいように、死に対するアタシ のささやかな願望を書いておこうと思う。
もしもアタシに突如そんなことが起きたら、お葬式などは絶対にあげて欲しくない。(ココ、一番の強調ね!!) そんな事に無駄なお金は一切使わないで欲しい。
アタシの死を本当に心から悲しんでくれる人や、アタシの事を好きだった人は、どこかで飲み食べするついでに、アタシ用の小さなグラスを用意し、それに酒を満たし、心の中で乾杯し、語りかけながら、涙の一筋も流してくれれば、もう、それだけで充分だ。他には何も望むことはない。 可能であれば、アタシの好きだったシャンソンかハードロックでも掛けて聴かせてほしいな・・・。 お葬式などをして、アタシの死を大して悲しまない人達の手足を煩わせたくもないし、義理や人情で人に来て欲しくなんかないもの・・・。 本当にアタシの事を好きだった人だけが数人、愛しんで悲しんでくれる方がよほど嬉しい。 多分アタシのことだから、上から見下ろして、「アンタ本気で悲しんでないでしょう・・・」なんてホクソ笑でるかも・・・(笑)
そして保険金の中から、ご迷惑をかけた人や、応援してくれた人たちに借りたものはきちっと返金し切り、(コレも上から見てるから、ウソついてもダメよww)綺麗な身で旅立てるようにだけは必ずして欲しい。(計算に弱いアタシ だから解らないけど、足りなくなることは先ず無いと思われる・・・ww) ただし、火葬場だけはちゃんと連れてってよね(笑)
後は、お墓もゴールデン街のそばにあるのだが、中山家の墓はもう複雑怪奇な人々がたくさん入ってて満杯で入れないし、お墓は要らないので、アタシの縁の地(世田谷の等々力・多摩川・幡ヶ谷・中野・九段・松本)等の一部に、耳掻きいっぱいずつほどの骨をコッソリ散骨し、残った骨の粉は海にでも蒔いて欲しい。(これもコッソリね) そしてお金が少しでも余ったら、チョンのお小遣いに・・・・・・。 コレ等がアタシの、自分の死に対する願望の全てだ。
ちゃんとこういう事を書面にして手書きで書いておくことも必要なんだろうなぁ・・・・・・。 と、フト感じた今日この頃。
2012年10月30日(火)
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