マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (日記) 東京滞在日記 (かなり長文)


「マキさん、23日の月曜日に、お店なんか休めないかなぁ・・・・・・。実はね(H)さんが新宿のシャンソニエに今回はメインで出場するので、こっちに来ないかって言ってるんだわ・・・。マキさんこの所、色々な事が重なり過ぎてしんどいでしょう? 偶には大好きなシャンソンでも聴いて息抜きしに来れば良いよ・・・。お金の事は心配しないでいいし、私の家に泊れば良いんだしさ・・・、ねね、おいでおいで・・・」

ぷあぞんからこんな電話が掛かって来たのは今月の中頃だった。
行きたい・・・でも、こんな状況の時に店も休めない・・・、でも行きたい・・・・いや、どうしても行きたい・・・・・・。
アタシの心の中はもう行く方向に瞬時に向っていた。

(H)と言う女性と知り合ったのは7〜8年ほど前の事。
癌を克服したものの、金も無く、パートを転々と渡り歩いていたアタシは、その時も色々な事が重なり、人生に深く絶望しており、やはりアタシの精神状態が生死を彷徨っていた時の事だ・・・。
とあるバイト先のスナックの終わり掛け、突如ドアが開き「ねぇねぇ、まだやってる? 五人くらい居るんだけどさ、一人3〜4千円くらいで飲ましてよ!」
と、勢い良くなだれ込んで来たのがHである。

時間が時間なのでママは渋い顔付をしていたけれど、アタシは「良いじゃない、少しでも売り上げになれば・・・」と彼女等を「どうぞどうぞ」と勝手に中に入れてしまったのだ。
それがアタシと(H)との初めての出会いだった。

アタシ一人が彼女等に着き、接客を担当した。
アタシは一目で彼女が只者ではなさそうな事を察知し、興味津々で先ずは「どちらからですか?」と聞いた。
(H)と連れの男性とは横浜から来たと言い、他の女性達は松本在住だと言う。
一見、彼女等は何処かのアングラ劇団員か出版関係社の人たちかな? と感じたのだ。兎角(H)は異質な雰囲気がプンプン匂う女性だった。
豪快で姉御肌で懐が深そうで、何か特別なオーラを目一杯に発生している。
飲みっぷりも話しっぷりも半端じゃない。
聞いてみれば彼女は、以前、市原悦子さんの劇団に所属していたと言うので、満更アタシの読みは外れてはいなかった。
今はもう女優は辞めており、カウンセリング関連の仕事を本業としていると言う。
松本にも彼女のお客が大勢居るのだそうだ。
そんな会話で話も弾み、歌を歌おうよ、と言う事になり、彼女の歌(確か、中島みゆきの誕生だったかな?)を聴いた瞬間、アタシはザワザワと鳥肌が立ったのだ。(やはり只者じゃない!!)
その後は、涙があふれ出てあふれ出て仕方がなかった・・・。
そしてアタシも歌が好きな事を告げると「何か歌ってよ!」と言うので金子由香里の(時は過ぎてゆく)を歌ってみたのだ。
そしたら「松本にこの歌をこんなに上手に歌える人が居るなんて信じられない!」と、とても誉めてくれたのだ。
歌い合ったそのホンの僅かな瞬間に、何か二人の魂同士が交信をし合った・・・。アタシはそんな不思議な気持ちがした・・・・・・。

そんな出会いから今日までの8年間、アタシは(H)におんぶに抱っこの、甘えっぱなしのお付き合いをさせてもらっているのだ。

日記に良く登場する(ぷあぞん)は、松本在住の(H)のお仲間で、やがてアタシが店を持つようになり、Hたちも折に触れ来てくれるようになり、ぷあぞんは独り立ちして通ってくれるようになったのだ。
(H)は月に一度は松本に来ていてカウンセリングを行っている。
彼女はパドとシャンソンを習っているので、たまに東京のシャンソニエに出演なんかもしている。それに夫婦で招待を受けた事などもある。
そして、アタシにも「本格的に歌をやれば良いのに」と勧めてくれているのだ。
彼女が色々な店にアタシを連れて行ってくれるのは、きっといつか何処かでチャンスを探して掴んでほしいと言う母心なのだろう・・・。
年はかなり下だが、そんな面倒見の良い、懐の広い女性なのである。

サテサテ・・・、今回はアタシがあまりにも凹んでいた為、アタシの日記を読んだぷあぞんが(H)と噂でもし合っていたのだろう。
アタシの赤信号を感じ取ってくれたのだと思う。
それで(H)が出演するシャンソニエに呼んであげようよと言う事になったらしい。
「もちろん行く!! 喜んで行く!!」とアタシはぷあぞんに返事した。
その時点では、まだ6重苦くらいの時で、後に夫がまさか入院する嵌めになるなんて事は想像すらしていなかった。
その後夫が入院し、しかし軽症で済んでくれた為、今回の東京行きに踏み切った訳だ。

もう一人のHのお仲間である松本在住の清ちゃんの車に乗せてもらい、一路新宿のシャンソニエQIe(樹)へ。
http://music.geocities.jp/chansonqui/
この店は地下と二階に二つ店を持つ有名なシャンソニエらしい。
この日(H)は二階の店で歌を歌うと言う事だった。
(H)がメインで、前歌が二人。
いよいよライブが始まり、Hの魂の歌に触れ、心の故郷的なシャンソニエの空気に触れ、アタシが大好きなシャンソンナンバーも数多く聴く事が出来、アタシは歌を聴きながら色々な思いがこみ上げてきて、始終泣きっぱなしだった。

ショーの合間にマスターにも紹介され、話をしている内、アタシの従兄弟の元妻(名を淳子と言う)も、何度も出演しているのだと聞いて驚き、しかもライブの合間、トイレの順番待ちをしていた時ふと見たポスターに、その淳子の後の連れ合い(ピアニスト)の名前があるではないか・・・・・・!!
マスターに「○△さんも良く出演されるんですか?」と聞いたら、「今、地下の店の方でピアノを弾いているよ」と言うはないか・・・。
彼はエポック時代、アタシの店で淳子のライブをやった時、一緒に来て伴奏をしてくれたその人なのだ。
な、な、な、なんたるシンクロニシティー!!
まさか同じ日に同じビルの地下に元義従姉妹の連れ合いが居るなんて・・・。
ライブが終わった後、一目会おうと電話をしたら、残念ながらもう帰る途中だったらしく、電話だけでの挨拶になったが、こんな偶然を引き起こしたのも、何かの筋書きが働いていたような気がする。

ショーが終わり、(H)のお仲間達と老舗のオカマbar(蠍)へ連れて行ってもらう。
(大抵Hはいつもオカマbarへ行く)
http://www.masudayutaka.com/home.html
此処は一見さんお断りの店らしく、オカマバーの中でもとてもハイクラスで高級な店なのだそうだ。長い長い歴史を持つ店だと言う。
アタシも東京時代からオカマbarが大好きだったので、もうワクワクドキドキ。
その店で散々飲んで歌って、笑って、泣いて、次の日も(H)は四谷のシャンソニエに出る事になっていたので、その日は珍しく早く(二時半)切り上げ、横浜に帰った。
アタシはぷあぞんの新居に泊めて貰い、翌日の午後一のバスで松本に帰るつもりで居たのだが・・・・・・。
「どうせお金は足りないんだろうから、こんな雨の日に店をやっても大した売り上げは望めないんでしょうよ・・。休む時は一気に休んで、楽しむだけ楽しんで思い切り発散してから帰りなよ」と言われ、楽しいこと好きのアタシは甘えついでにもう一日お世話になる事に・・・。

サテサテ翌日は四谷のシャンソニエ(ウナ・カンツォーネ)へ。
http://una-canzone.com/
四谷は親戚の家が有った場所なので、なんとも懐かしい。
此処では(H)のシャンソンの先生(伊藤はじめさん)がメインで(H)達は前歌を担当。
(H)のステージでは、いつもいつも感動させられるのだが、今回のステージは一際良かった・・・。と、アタシは感じた。
上手い歌を歌う人は五万と居るが、ソウルフルな良い歌を歌える人は中々居ない・・・。
彼女はそんな歌い手なのだ。
(H)の歌もさることながら、先生の歌がまた素晴らしく、やはり此処でもアタシは大泣きだった・・・・・・。

そしてこの日もシャンソニヘを引けた後、再び昨日行った(蠍)へ連れて行ってもらう。
丁度お客を送り出していたマスターに店の外で会い「あら、お帰りなさい。毎晩毎晩、アンタ達も物好きだわねぇ・・・」
「あら、アンタも又来たのね。この女、初めて来たくせに常連みたいな顔してさぁ〜」などとからかわれながら、店の中へ。
此処のマスターは女装をしているわけではなく、かなり躾や接客に厳しい人だそうで、その業界ではかなり名の通ったキレ者と言う事である。
人を見る目も厳しく相当な辛口だそうだが、やはりとても面倒見の良い懐の大きな人で、だからこそ長年と勤めるオカマ様達も多く、確固たる地位を占めている有名なマスターだと言う。

サテこの日はアタシも本腰を入れて真剣に歌を歌ってみた。
清ちゃんがリクエストしてくれた桑田圭介の(月)と言う歌だ。
そうしたらマスターが駆け寄ってくれて抱きしめられ、ホッペにチューをしてくれた。
アタシ達のテーブルに着いていたオカマ様が「あら・・・アナタ、こんな事って滅多に無い事なのよ〜。珍しい・・・・・」と言っていた。
(わ〜い!! やったぁ〜♪)
マスターに弄られたぁ〜♪
アタシはそれが飛び切り嬉しかった。
この日はその他に金子由香里の再会も歌わせてもらった。

オカマ様の人生論を聞かせてもらい、とても楽しいひと時が過ぎ、店が引けた後、アタシはネットカフェにでも入って朝まで時間を潰し、朝一番のバスで松本に帰る予定だったのだ。
そうしたら(H)が皆を帰し、アタシにとことん付き合うよ、と言ってくれるではないか・・・。
HはHのお客さん達にも引っ張りだこの人なので、中々二人だけで飲む機会などには恵まれなく、アタシは申し訳なく思いながらも天にも登る想いだった。

と・・・、今度は蠍のOBであるプリティーケンちゃんと言う、やはりオカマ様のbar連れ行ってもらった。
http://www.nightwalker.jp/
その店でしばし飲み、歌い、その頃にはもうベロンベロンで、(H)に話を聴いてもらいながら、怒られたり励まされりした記憶はあるのだが、あまり覚えていない・・・・・・。
そしてもう帰るのかと思いきや、「もう一軒行くよ」と言う事で、今度連れて行ってもらったのは、(残念な事に名前は忘れてしまったが)ケンちゃんの店と確か同じビル(?)にある、老齢のマダムが一人で営んでいる、小さいけれども、とても不思議な雰囲気を放つステキなbarだった。
ケンちゃんも一緒に来て、お客なのにカウンター内で飲みながら一生懸命働いていた。(まるでアタシの店みたいだ・・・・・・笑)
ここのママさんもかつてシャンソン歌手だったらしく、なんとも言えぬ雰囲気を持ったステキな女性である・・・。
彼女を見た時(亡き母に良く似ている・・・)アタシはそう思った。
彼女の店は老若男女のお客で溢れ反っていて、如何にママさんが皆に親しまれている存在かが窺い知れた。
きっとかなり有名なシャンソン歌手だったのではないだろうか・・・・・・。
そのママがアタシにも気さくに話しかけてくれ、懐かしいシャンソンの話で盛り上がれた。

アタシはこういう雰囲気や空気や匂いが本当に大好きなのだ・・・。
もしかしたらアタシが好きなのではなく、アタシの魂がそれを望んでいるのかも知れない・・・・・・。
なぜか東京の深夜の喧騒の中に居ると、母体に包み込まれているような安らぎと癒しを感じる・・・。
アタシは先祖代々の性分や感性を受け継いでおり、根っからの遊び人なのかもしれない・・・。そんな気がした。

散々飲み疲れ、遊び疲れ、朝の5時ごろ、Hとタクシーで横浜まで帰り、この日はHの家に泊めて貰った。
Hの家には二匹の猫と、二匹のパピオンが居る。
それ等もアタシを充分に癒してくれ、夢心地のまま眠りに着いた。

そして3日目の午後、Hのカウンセリングを受け、アタシのご先祖様たちに「くれぐれもこの子を守ってやってください」と交信をしてくれて、アタシはたくさんの栄養と喜びを貰って松本に帰ってきた。

この3日間、アタシは良く泣いた・・・。
アタシは東京に泣く為に行ったような気がする。
日常の色々な出来事で鬱積して溜まったチリや澱を、良い涙と共に一気に流し出して来たと言う感じだ。
疲れ切って弱りきった心が、目には見えぬ何か大きな神のような存在の慈悲と慈愛に触れ、その時に出る、何とも心地良い嗚咽の涙に良く似ているような気がする・・・。

今回、思い切って東京に行かせてもらえて、本当に良かったと思う・・・・・・。
そんなステキな時をくれたH達に心から感謝している。
この経験を無駄にせず、店に活かし、書く事や歌う事への勉強に活かし、いつか反対の立場になり、アタシのようなストレスを貯めた人間を、こういう素晴らしい場所へ連れて行ってあげられるような人間になれたら良い・・・・・・。
そんな魂の洗濯が出来た貴重な3日間だった。


2009年02月27日(金)

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