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■ (日記) 小室さんを見ていて感じた事
これはあくまでもアタシが思うところであり、空想に過ぎないのだが・・・・・・。
アタシは小室さんのファンだった訳でもなく、彼の音楽に特別な思い入れも無かったんだけれど、エポックと言う店を経営していた頃は、正に小室ファミリーの全盛期で、常連のお客さんやバイトの子たちがこぞって彼の楽曲を歌っていた。彼の曲を聞かない日は無かったほどだ。 なのでこんな年のアタシでも、歌うレパートリーの中にほんの少しだけ彼の曲が入っている。
お金の力と言うのは恐ろしいもので、あれだけ稼ぐと(持つと)やはり完全に感覚がマヒしてしまうんだろうなぁ・・・・・・。 音楽や芸能に携わる人は、皆一種独特な感性の持ち主が多く、それは裏を返せば何がしかのコンプレックスに裏打ちされている場合が多いような気がするのだ。 特に突出した才能の持ち主は、芸能界でも物書きでも変わり者が多い。 有名になり、金を稼ぎ、そのコンプレックスである要因に自ずからケリを付ける。 そんな反骨精神のようなものをバネにのし上がって行くものだと思う。
そしてある日夢が叶い、急激に財産や、地位や、名誉などを手に入れた時、本当は、そこからが人生の大きな分かれ道になるんだろうなぁ。
彼の場合、ケチではなさそうだし、特別物質欲が強かった訳でもなかった気がする。 本当は人からきちんと評価されたいと言う気持ちの方が強かったと思うのだ。結構孤独な人だったのではないだろうか・・・・・・。
彼が贅沢を極めたのは、多分自分は此処まで稼げるようになったんだと言う自己確認の為もあり、人に認めて欲しいと言う願望もあり、本当は大して欲どうしい人間ではなく、だからこそ全盛期には母校だかに10億円をポンと寄付してしまうような太っ腹な部分も持っていたんだと言う。
ただ、お金で人が集まってくるのか、本当に自分を好きで集まって来てくれてるのか彼自身も解らず、お金なんかより人の愛情が恋しいはずなのに、きっと仕舞いには物で人を釣るしか術が無くなっちゃったんだろうなぁ・・・・・・。
その人気や地位や、財産が無くなって来て、周りから人も居なくなって、自分自身の己への評価も危うくなってきた時、彼は相当な焦りや不安や恐怖感を感じたと思う。 そしてやはり自分自身にではなく、持っているものへの評価しか無かったんだと言う事を目の当たりに知ったのだと思う。
もしも彼のお金の使い方が、人を見返す為ではなく、人の為に綺麗に役立つものだったとしたら、あんな末路にはならなかったと思う。
少し可哀想な気もするけど、自業自得なんだろうなぁ・・・・・・。
2008年11月05日(水)
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