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■ (日記) 泣けた・・・・・・・・
今日はとてつもなく忙しい日だった・・・・・・。 とてつもなく感慨深い日だった・・・・・・。 とてつもなく人間同士の縁や繋がりを感じる貴重な嬉しい日でもあった・・・・・・。
たった今、店が終わったのだけれど、洗物の山を尻目に、この気持ちが醒めやらぬ内に日記を書きたい・・・!と痛切に思い、バカ酔いしながらも書いている。 なので文章変かもです・・・。
でもそれだけ今日と言う日は何か特別な力が働き、ぐうたら神が本当はアタシの事を心底愛してくれてるんだ・・・と実感させられるような嬉しい日だったのだ。
先ず最初にドアを開けたのは(H)ちゃんと言う女性客。 以前日記に書いたマブダチ(Y)の同僚である。 近くに事務所があり、何度か店には来てくれていて、アタシの店を気に入ってくれている女性の一人だ。彼女は一人でも此処に来たい派なのだが、アタシが無理やり呼んだので、後に(Y)も来ると言ってたと言う。
前日が忙しかったので今日は暇を見込み、とりあえず彼女と二人で話しながら飲んでいたら、次にドアを開けてくれたのは蕎麦屋で30年ぶりの再会を果たした例の(O)氏。 それでO氏とHちゃんと3人で飲んでいたら、その次にドアを開けたのは、な、な、なんと15年ぶりの再会の萬君と岡村君だ・・・・・・。 「マキちゃん久しぶり!!」
だ、だ、誰だ????? こんなプロレスラーみたいな人 ・・・・・・知らん・・・・・・。
一瞬は全く解らなかった。
「萬だよヨロズ・・・!」
実は彼らがまだ高校生の頃、アタシの母が経営してた初代「エポック」と言う店に彼らは何気なく入ったらしく、まだ高校生だと知った母は、彼らに「酒は出せないわよ」と言いつつも、紅茶に少しだけウイスキーを入れてやり、余ったツマミなどを無料で出してやったりしていたらしい・・・・・・。 それから、そんな話の解るぶっ飛んだ感覚の母を気に入った彼らは、仲間同士の誕生日会やら何かの集まりが有る毎にエポックに通うようになり、当時は他所の店に勤め、その後母の店に顔を出しつつ手伝いをしていたアタシとも顔見知りになり、仲良しになったのだ。
母の病後はアタシの店に引き継いで来てくれ、始終通うような常連になってくれた。 母の死後もアタシの店に通い続けてくれ、やがて其々が大人になり独立し、結婚をしたり転勤をしたりで一時期はバラバラになった。 確か彼らはアタシよりも一回りと一つ年下だ。 そんな同級生の二人組みが突如ドアを開け入ってきたのだ。
当時高校生だった、暴れハッチャクのようなきかん坊が、身体にも気持ちにもタップリと肉を付け、もの凄い貫禄を携えてドアを開けても、アタシャ名前を告げられるまでは全く誰だか解らなかったくらいだ。 「ぎゃ〜〜〜〜〜〜っ!! よ、よ、よろずなの!?」と言う具合だ。
そのヨロズの義兄はぽいずんの同級生で、彼も後から駆けつけ、昔話が尽きなかった・・・・・・。
彼らは店に置いてあるアタシの母の遺影を目にし、「ダメだよ・・・おっ母の顔見たら泣けてくる・・・」と、実際に涙を流し、母を偲んでくれた。
それからと言う物、珍しく、GAKUちゃん、じょーじんちゃんご一行、(いつも一人で来る常連組みは誰も来ず、(O)氏に「この店にコレだけ客が入ってたのは見たことない」とからかわれた。 「当たり前ジャン、Oさんは9時には帰っちゃう人なんだもん・・・、此処はそれからの店なのよ〜だ!!」 と、アタシも悪たれを付く。
後に(Y)ご一行、萬の他の仲間、ダウアーと立て続いて客が来てくれ、此処のところ類稀な売り上げを上げられた。
実は本当に最近困って居、年に何度か有る、「からくり存続不可能状態」に陥りそうだったのだ・・・・・・。
お恥ずかしいながら只今店の電話は止まっていて、仕入れも控えていた状態。 でも今日でその緊急事態が脱出できたぞ。 ε=Σ( ̄ )ホッ!!
今日はアタシもヨッパで読む人には感動の少ない纏まりのない日記だけど、日々を綱渡りで生きてるアタシでなくては、今日のような感動は味わえないと思う。
「俺が来たからには、この店は潰さない!!」 そう言いながらヨロズの100キロ越えの巨体に抱きしめられ、アタシャ嬉しさと苦しさに死にそうになった・・・(汗)
頼もしいではないか・・・・。暴れハッチャクよ!!!!! 人間って歳月とともに、みんな頼もしく成長するもんだなァ・・・・・・。 アタシだけだ・・・・・・。未だ情けない生き様なのは・・・・・・。
どうか次世代のたくましき人間達よ・・・・・・。 おっ母とアタシのDNAの賜物のこの店を守ってくれや!!
2007年09月15日(土)
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