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■ 【エッセイ】 水谷修氏を知る。
昨日も仕事から深夜帰宅し、洗顔後、ベッドになだれ込んだ私は何時ものように寝室のTVを付けた。 生憎5チャンネルしか映らないTVなので、ろくなものをやっては居らす、最初は格闘技などを見ていたのだが詰まらず、ふと合わせたNHKの画面に、ある男性が高校生たちに涙を流しながら講演をしている姿が飛び込んで来た。 いつもなら、素通りするHNKだが、なぜか興味を持ち、それから画面に釘付けになったのだ。
水谷修先生。 【夜回り先生】と言う著書をはじめとする数冊の本の著者であり、少年非行を無くす為、繁華街を夜回りし、全国の高校や各地方・メディアを廻り、講演し、訴え続けている人らしい。 彼の軌跡がドラマやアニメにもなっているようだ。
シンナーや麻薬、かつ上げや暴走行為、売春やリストカット等・・・、さまざまな少年犯罪を無くす為、日夜身体と心を張り、訴え続けているという、素晴らしい人だ。 私は彼の志に心を打たれ、早速今朝HPを探し、本来ならば、子供に向けた相談メールに親の立場として書き込みをしてきた。
私自身、肉親の愛情に薄く、寂しい思いから軽い非行に走った経験の持ち主だ。(笑) 心優しき生真面目な不良だった頃がある。(今現在もだが・・・)
非行に走る子は本当に寂しいのだ。 非行の原因は【寂しかったから・・・】の一語に尽きるだろう・・・・・・。
そんな寂しい子供たちの集団は、寂しい子供たちばかりなので独自で楽しもうとする。お互いにお互いの寂しさや大人たちへの理不尽さを解り合っている。だからそこ、みんなで居ると心が癒え、楽しいのだ。 みんなが同じ境遇なので、思いやりのある優しい子供たちが多い。
でも、そんな心寂しい不良たちがこの世に生まれ始めた頃、思春期だった私たち今の大人達は、いつか一家の団欒から離れ、資本主義の世の中にばら撒かれ、子供をおざなりに、金稼ぎの仕事ばかりに燃え、表向きの良い暮らしをすることばかりに燃え、子供の心を置き去りにしてきた。 バブルの崩壊後は、大人たちが慌てふためき、もっと置き去りにされている子供達が増えた。
私の場合は、最初から一家の団欒は無経験に等しく、親も必死に生きるために共働きだった。私が小学校3年の時、親が離婚し、母に引き取られた。 ただでさえ一家の団欒がなかったのに、母子家庭ではなおさら母は働かなければ食べていけないので、家に帰っても母は留守。なので私には家族が居ない・・・。 家族が居なけりゃ寂しい・・・。だから寂しい子供同士が集まる。 まぁ・・・、不良の初めは大体がこういう仕掛けである。
自分が与えてもらえなかったものをどう自分の子供に与えていいか解らず、そんな所で子育てに失敗もし、又、私自身も波瀾ずくめで貧乏だったので、自分の子供にも散々辛く寂しい思いをさせてきた。 そんな自分自身がチョイ不良だった親たちが、愛情の示し方、子育ての根本もわからぬうちに又子供を産む。 そしてどんどんどんどん、少年犯罪は、寂しい心の持ち主から、恨みの心の持ち主に変わり行き、少年犯罪が少年犯罪の域を超え、凶悪犯罪へと移り変わってきたのではないだろうか・・・・・・?
本当に育てなおしをしなければならないのは、子供ではなく、むしろ、私たち親の方だろう・・・・・・。
ある程度経済的にも恵まれてる家で、愛情深い家族で形成されてる家は、良い。 それが一番の理想だ。 でも、そんな家は数少なくなっているのではないだろうか・・・・・・。
経済だけに恵まれても、家族愛の無い家もある。 経済にも恵まれず、共働きをしなければならない家は、子供だけになる時間が多い。 親たちも疲れているから、子供が寄ってきても、優しく出来ない。 ましてや片親で、生活に追われていては、子供との良い意味での接触を取るのは並大抵のことではない。 最たるは、親自体がどうしようもなさを抱えている場合、もっと悲惨だ。 親のイライラが幼児虐待に繋がる。
ただ、母子家庭でも、父子家庭でも、明るく元気に育っている子は沢山居る。 それは、親の愛情の与え方が大変上手で、子供が尊敬できる親だからなのだと思う。
それぞれの家庭の状況で、子供たちの寂しさの種類、苦悩の種類は違うものであろう。 でも、子供がどうのと言う前に、私たち自身が育っていかなければならないのは間違いないだろう・・・・・・。 非行に走る少年たちを作り上げているのは、私たち大人に他ならないのだから・・・・・・。
私は水谷氏は本当に立派だと思う。 それと共に、彼一人に任せるには余りにも荷が重いのではないか。 そんな大人たちが沢山増えれば、少年犯罪は少しでも減りそうだ。 私も私の不良経験と子育て失敗の経験を生かし、子供たちの目線になって、少しでも多くの子供たちの話し相手になってやりたいと思う。 まだまだ私自身に不良のにおいが消えてないので、えらそうなことは言えないが、子供たちと一緒にもう一度先生のような暖かな気持ちを持った大人のアドバイスを貰いながら、育て直って見たいなぁ・・・・・・。
でも、彼は有名になってしまい、どんどん子供たちからも遠ざからずを得ない。 そんな状況になりつつある事、彼本人が、一番歯痒い事だろう・・・・・・。
本物の良い人を余り有名にならせ忙しくしないで欲しい・・・。 でも、忙しくなるという事は、それだけ彼の志も浸透すると言う訳だから満更悪いことでもないのかも知れない。 でも、忙しくも子供たちとの接点は、自らのお身体を労わりながら、保ち続けて欲しい。 それが私の本音でもある。
2004年11月01日(月)
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