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■ 【エッセイ】 今年の母の日
今日の文章を書くに当たり、去年の母の日の日記を読み返してみた。 そこにはこんな事が書かれている。 ご面倒だけれど、先ずはそちらを読んでいただきたい。
10年来の友人であったフゥーリィーと私が暮らし始めたのは、息子が多感な小学校の5年生の頃である。
母を亡くしてから約一年。 母の愛情や、母の呪縛や、母の4年半の看病から解き放たれ、そして母の残した多額の債務と、店を経営する時に借りた自分自身の多額の債務に追われ、アップアップていた頃だった。 母を亡くした私は、正直寂しかった。 松本と言う他県の地で、幼い息子と二人だけ・・・・・・。 魂が抜けたようになり、又、松本には頼るものも居なく、経営していた店は常時客で賑わっていたにも拘らず、母が残した店と私の店の2件分の家賃。マンションの家賃。二人分の返済や数人のバイト達の人件費を抱えていたので少しも生活は楽ではなかった。 どこかの家賃が少しずつ滞るような事もあった。
そんな頃フゥーリィーと私は愛し合うようになったのだ。
しかし、その頃のフゥーリィーは仕事も辞めてしまい、息子を相手に私の取り合いをしていたと言う、どうしようもない男だった。 折角コレほどまでに愛し掛けた男が、そんな人間だなんて信じたくも無かったし、認めたくもなかった。 でも、あの頃のフゥーリィーは、世間一般で言う【ヒモ】に限りなく近かったのではないかと思う。 又そう思われても仕方の無い男だったのかもしれない。 タダでさえ苦しい経済状況の中、余計苦しくなるばかり・・・・・・。 自分の仕事が無い時期は私の店を手伝ってくれてはいるものの、見当違いの酷いヤキモチで度々暴力を振るわれた事すらあった。 それでも、良い時は誰よりもとてもいい人間なのだ・・・・・・。 一緒に居ると気が楽で癒える部分も大きかった。それしか言いようが無い・・・・・・。 いくら口で説明してもニュアンスは解かってもらえまいが、彼と居る時だけが本来の生のままの私で居られるのだ。
友人の殆どから見放され、親類全てを敵に回し、それでもフゥーリィーと別れなかったのは私の根底に【この男はそれだけの人間なんかじゃないんだ!!】と言う強い確信と、どこか私の父親に似たユニークで人間味のある優しさが有ったからだ。 何か運命的な出会いを感じていて、私はどうしても離れる事が出来なかった。
息子とフゥーリィーも仲の良い時はじゃれ合っている。 お互いにお互いの良い所は認め合っている。 うまく行っている時は3人でとても楽しいのだ。 しかし、やはり駄目になると家の中は殺伐としてしまう・・・・・・。
息子とフゥーリィーとの板ばさみに悩みながらも、私はどちらも同じように愛していた。 愛情の種類は別のものだけれど、どちらも失いたくは無かった。
そんな中、とうとう17歳で息子は家を出てしまい、知人宅に身を寄せるようになった。 それから暫くは、息子との仲も疎遠になってしまった・・・・・・。 その後バブルの影響で店は急激に暇になり、借金はどんどん嵩んで行った。
私はその頃になると、もう転げ落ちるならとことん地獄に行けばいい・・・・・・。 私が選んだ男なんだから、私が選んだ道なのだから、自業自得なのだから・・・・・・、二人でとことん地獄に落ちて挙句はこの男と心中しても本望だ。 もう失うものは命だけじゃないか・・・・・・。 そんな域まで達していた。 その後私に天罰が下り、癌と言う病に冒された。 いや・・・、癌は天罰ではなく、私を救ってくれた命綱だったのかもしれない。 店の立ち退きと癌があったからこそ、借金も減り命拾いしたのだから・・・・・・。
それから5年・・・・・・。 その後も色々な事があり、色々な意味での最高の幸せと、どん底の究極を散々見て来た。 店と言う唯一の生活の拠点を無くした私は、もう働き口さえままならない。 今はフゥーリィーの安給料で食べさせてもらっているようなものだ。(苦笑) でも今、改めて思う・・・・・・。 やはりフゥーリィーと言う男を選んだ私は決して間違いでは無かったと確信している。 地獄を散々見てきたけれど、これほど愛し合える人間にも、もう一生巡り会えないと思う・・・・・・。 そして今はコレほどまでに変わってくれた。 そしてフゥーリィーと息子も今ではとても仲が良い。 フゥーリィーと出会って地獄を見なければ、物を書いても居なかったと思う・・・・・・。
昨日息子から電話があった。
「又、駐車場の件かい?」
私はそう苦笑した。
実は一昨日も電話があり、友人と二人で松本まで遊びに来てるのだが、駅前は駐車場が高いので、私が以前勤めていたデパートのブティックの店長に駐車券の承認印をもらえないか聞いてくれ・・・と言うちゃっかりした伝言を言い付かったのだ。(笑) モチロン店長は、久々に息子の顔も見たかったらしく、笑って引き受けてくれた。 そんな事があったので又かと思ったのだ。
そしたら息子が照れくさそうにこう言うのだ・・・・・・。
「いやぁ、今日は母の日だからさぁ・・・。今貧乏で何も買ってあげられないけど、お祝いの電話くらいは入れとこうと思ってさ・・・・・・」
去年は友達の日記が羨ましくて仕方が無かった。 何処も息子達や娘達にお祝いをしてもらった日記で溢れ返っていたからだ。 でも、今年は違う。 羨ましさは無い。 私もお祝いを受けられる母にやっとなれたのだ・・・・・・。
私は涙に目を滲ませながらも、それを悟られないように・・・・・・。
『今、諏訪あたりは雪降ってやしないか?』と一言悪たれを付いた。
こう言う電話は嬉しい・・・・・・。 嬉しいけど照れる・・・・・・。 照れて素直に受け取れない所が、私の悪いところだ。
今日のみそひともじ
母の日に 愛する息子 母の日コール 去年と違う 全然違う
2004年05月10日(月)
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