マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 【追悼エッセイ】 裸の大将が死んだ


芦屋鴈之助が亡くなった。
私の中では、高い順位に位置するほど彼が大好きな役者だったので、とてもショックだった。

この事に付いては亡くなった時点でとても書きたかったのだけれど、パソコンが使えない最中だったし、その後復活してからは、新たな書きたい事がその都度浮上し、又、この事だけはちゃんと落ち着いた気分の下で書きたかった・・・・・・。そんな訳でこんなに遅くなってしまった。


私は、芦屋鴈之助が亡くなったと言うよりも、裸の大将の山下清が死んだみたいな気がする。


裸の大将は、フーテンの寅さんよろしく、見る前から話の大筋は決まっていて、その都度、共演者と物語のエピソードが変わるだけである。
でも、私は裸の大将が大好きだった。
芦屋鴈之助が演じる山下清が好きだった。
芦屋鴈之助=山下清
渥美清=寅さんと同じだ。

その強いイメージに、悩み抜いた時期も有ると聞いている。しかし、役名と役者が一体化すると言う現象、私はこの上なく素晴らしい勲章だと思う。
それほど、その役者が確固たる位置付けを成し遂げたと言う証拠であるもの。
他の役をやり辛いとか、他の仕事が来にくいとかの理由は有るにしても、私はソレは役者冥利に尽きる、立派な勲章だと思う。

裸の大将の新作がもう見られないかと思うと涙が出るほど悲しい。

知恵遅れで。食いしん坊で。優しくて。暖かくて。チト不真面目で不謹慎で・・・。そして、お金も持たず、何時も行く先々でおにぎりを貰い、ほんのりとした心を与え、人々と心の触れ合いを求めながらも、人々との長い接触を嫌い、何処吹く風のようなひょうひょうとした風貌で逃げ回るように放浪の旅をし歩く、自由気ままな山下清が大好きだった。
馬鹿でも人々の本当の心の奥底が読める山下清が大好きだった。
山下清の描くちぎり絵の感性が大好きだった。
あの純朴さが大好きだった。

人々との長い触れ合いを山下清が嫌うのは、私には何となく解るような気がする。
【これは、劇の上の演出であって、本物の山下清氏がそのような人であったか無いかは知らないけれど、脚本家が訴えたい山下清の役作りイメージとして考えるとするなら・・・と言う意味だが】←ややこしい(苦笑)。

きっと彼もまた、何処か不器用で臆病な人間なのだろう。
人々の良い所だけを、清い所だけをいつも、いつも見ていたいのだろう。
人々の意地悪な部分や、汚れた部分を見ると、きっと彼は痛く傷つくのだろう・・・。そうなる前に・・・、それが見える前に逃げ出しているのかも知れない。
人と言い合う事や、ややこしくなる事が嫌で、めんどくさくて逃げ出しちゃうのかもしれない。ww(この辺り関してはアタシみたいだww)
そして、自分が一つの場所に留まる事に、人々に迷惑が掛かるだろうと、彼は彼なりに無い知恵の中でちゃんと解っていて、遠慮しているのかもしれない。
ともかく彼は平和主義者なのだ。

若い頃から私もああなりたいと思っていた。
山下清の事に付いては今までも何度か日記で触れてきた。

あいにく私には才能も清さも無いけど、せめて心の根っこだけは山下清で居たい。

目指すは女山下清。ww

アタシもパソコン一つぶら下げて、人に迷惑が掛かるので裸になるわけには行かずとも、せめて心だけでも素っ裸になって自由に気ままな放浪の旅に出てみたい。


芦屋鴈之助・・・・・・。
良い役者だった・・・・・・。
とても悲しい。



今日のみそひともじ

良い役者 又一人消え 落胆す
裸の大将 私の手本




2004年04月23日(金)

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