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■ (日記)大学病院で記憶と戯れる
いやぁ〜。 久しぶりに行く信大病院は、やはり、怖さよりも懐かしさの方が勝ちました。 病院の様々な個所を見るたび、入院当時の記憶が蘇り、泣きたいくらいに懐かしく、又、愛しく、感傷的な気持ちになりました。 診察が終わった後も、あちらこちらを散歩し、母の想い出も含め、入院当時の懐かしいシーンを思い浮かべては、感慨深き時間を過ごしました。
先ずは手続きを済ませ、診察までの長〜〜い待ち時間(普通でも2〜3時間)を利用し、信大総務課の友人に電話をする。 【こげな場所でも、誰かに遊んでもらいたい、しょう〜もないアタシ・・・(ーー;)】 この友人は、母が元気だった頃からの店の常連客で、もう、言わば身内のように長年親子代々で接してきた友人である。 彼は、母の入院中も、私の入院中も、大変世話を焼いてくれた恩人でもある。 お茶をする時間ぐらいなら有るぞ、と言うので、地下の喫茶店で落ち合い、私等夫婦の近況や、息子の近況報告やら、入院当時の出来事などを話し合い懐かしむ・・・・・・。
「そう言えば、オマエさんの大手術の時、此処でコーヒーを飲みながら、哲朗とダンナと三人で、これからどうするべか・・・って、話し合ってたんだよなぁ・・・・・・」
『あん時ゃ、ご心配をお掛けしまして・・・・・・(苦笑)』
「そうだよ! あん時や、皆、真っ青になったぞぉ!」
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実は、その手術とは、2度目の大手術の事である・・・・・・。 そこで、とんでもないアクシデントが起こったのだ。
最初はもっと癌が小さいと診断した友人医師達は、円錐切除術と言う簡単な手術法で、癌を全て取り除けると思っていたらしい。 しかし、病理検査の結果、癌は思ったより大きかったらしく、その部分が殆ど癌だったと言う事で、2度目は全摘手術&抗癌剤治療のフルコースとなった訳だ。 手術時間は7〜8時間ほどに及ぶと言われていた。
(もしかしたら本当は、相当ヤバイのかも知れない・・・・・)その時私は死を覚悟した。
それで私は、手術前に息子とフゥーリィーを呼び寄せ、こう言っておいたのだ。
『もしも、開いて見て手の施し様もないほど酷い状態だったら、きっと1時間くらいで家族が呼ばれると思うのよ・・・。そして、先生にこう聞かれると思うの・・・・・・。【手術を続行しますか? それともこのまま閉じますか?】って・・・。そうしたら、必ず「閉じてください」って答えてね? 無駄に身体を切り刻まれるのは嫌だし、閉じてもらえば一週間ほどで退院できるのだから・・・・・・、後は思い切り好きな事をして、素直に天に召されるから・・・・・・』
そして私が手術室に入ってから、その喫茶店で、この後の長い時間をどうやって潰すかを皆で話し合っていたらしい。
そして丁度手術室に私が入ってから一時間後・・・・・・!!
「ピンポンパンポ〜ン♪ 中○初○さまのご家族の方。中○初○さまのご家族の方。至急ナースステーションまでお越しください」 と、全館放送がされたらしい。
ギクッ!! とした皆は、完全に【やはり手遅れだったんだ・・・!】と思ったそうな・・・。 息子もフゥーリィーも脚がワナワナと震え、どうやってナースステーションまでたどり着いたか覚えていないと言う。
来るべき時がとうとう来てしまった・・・! という暗澹たる気持ちでナースステーションにたどり着くと、婦長が・・・・・・。
「あのぉ・・・・・・。もう麻酔は掛かってるんですが・・・、一番肝心な手術の同意書が提出されてなくて、医師達がメスを持てずに困っているんですよ・・・・・・(ーー;)」
。。。ズルッ(ノ_ _)ノ。。。ズルッ(ノ_ _)ノ。。。ズルッ(ノ_ _)ノ
そこで一気に皆の力が抜け、息子は放尿寸前の放心状態・・・・・・。 フゥーリィーは、ガクガクと手が震え、書類を書くのもままならなかったそうである。(笑)
提出書類が多く、どうやら、一番大切な手術の同意書だけが、私のバッグに入ったままだったそうだ。
9時間後、無事手術室からピースサインで戻った私に、「オマエさんは・・・・・・、本当に・・・・・・、必ず何かしらヤラカシテくれるわ・・・!」と、ブーイングの荒らしであった。
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その時の話やらを懐かしく話しながら、時間を潰している内に、診察の時間が・・・。
「内診の段階では全然問題は無いと思われます。ただ、前回の検診から時間がかなり経過しているので、念の為レントゲンとCTを撮りましょう」と言うことになり、来月の18日に再来する事になった。 【オイオイ・・・、一ヶ月後だぞい!!】 何でこう・・・、大学病院という処は、一回の検査で済まないのだろうかねぇ・・・・・・。
膝については、癌の再発は考えられないとの事で、近所の整形外科で充分との事。 。。。ズルッ(ノ_ _)ノ
そして、診察も終わり、暫く院内を散歩し、出口に向かった所で、当時、一番仲良くして貰っていた看護婦の(A)チャンにバッタリ行き遭った。 彼女はしよっちゅう、私の部屋に(個室だったので)遊びに【サボリに・・・、とも言うが・・・(^^;】来てくれちゃぁ、色々なおしゃべりを楽しんだ若い看護婦さんだ。
(^-^*))。。。きゃぁきゃぁ!。。。((*^-^)きゃぁきゃぁ〜懐かしい〜♪ と再開を喜び合い、携帯番号を教え合う。 「このだだっ広い病院でこうして遭えるなんて、やっぱ何かの縁だよね〜♪」 等と話し合い、此処で又、繋がりが出来た事を喜び合う。
とにかく、少し安心した・・・・・・。そして、やはり信大は、愛しく懐かしい心の故郷だった・・・・・・。
CTを撮ってからじゃないと、詳しい検査結果は解らないが、多分何事も無いだろう・・・・・・。 やはり、覚悟を決めて行って良かった。 心に得た収穫が多かった。
今日のみそひともじ
検査終え 遠い記憶と戯れつ 大学病院 散歩するかな
2004年01月08日(木)
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