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■ 【エッセイ】銭湯の思い出
私が幼稚園児の頃、祖母ちゃんに連れられて一日おきくらいに近くの銭湯に通っていた。 家にもお風呂はあったのだけれど、銭湯派の祖母ちゃんが近所の私の一番の仲よし【裕子ちゃん】も誘ってくれて、ちょくちょく三人でお風呂屋さんに行くのが楽しくて楽しくて、家のお風呂には滅多に入った事がなかった。 私達は、何時も空いている4時半ごろを狙って銭湯に通っていた。
銭湯の際まで行くと、カラーンカラーン♪ と、少しエコーの掛かったような木の桶の音が聞こえ出し、もう、心はワクワク、ソワソワ。 ニコニコ顔の番台のお婆ちゃんに挨拶を交わし、脱衣籠を取ると、トントンと裏返しにしてゴミを払い(コレってなんとなく皆がやってる決まりの動作だった記憶が・・・)競うようにスッポンポンになってキャーキャー言いながら風呂場へと走って行く。 反射神経の鈍い私は、脱衣場を出た途端、良くタイルに滑って、すっ転んだものだった。
銭湯には、壁一面にお定まりの富士山の挿し絵があり、季節ごとに描き変えられていたのも、又、楽しみの一つだった。 その壁の前に、二つ並んだ大きな湯船が二つ。 通称【大人湯と子供湯】と呼び、浅い方のお風呂はぬるく、深い方は熱い。 熱い風呂の方にやせ我慢をしながら、さも平気なような顔をして入るのが、チョットかっこいいような気になっていた。
二つの湯船のしきりの下の方に、80センチ四方のトンネルのような穴が有り、【大人湯と子供湯】とを潜って行き来出来るのだ。 もちろん大人達に見付ると、「危ないからそんなことしちゃダメよ!!」と叱られるんだけど、私と裕子ちゃんはそんな事はお構いなしで、大人達の目を盗んでは、潜りっこをして、アッチに行ったり、コッチに来たりしながら遊んでいた。 (多分今ではお尻がつっかえて、体が抜けないだろう。溺れ死ぬ事は免れまい)
お婆ちゃんは、何時もサンスケさん(銭湯で身体を流してくれるオジさん)に、大きな背中 を流させ、私と裕子ちゃんは、お互いにサンスケさんごっこをしながら背中や頭を洗い合う。
石鹸箱に手ぬぐいを覆い、石鹸を少し塗って、端の方を口で吹くと、モクモクと泡が出る。そんなシャボン玉遊びなどをしながら、銭湯は恰好の遊び場となるわけだ。
最後に決まってお祖母ちゃんから「はい、肩まで良〜く浸かって、100秒ゆっくり数えるんだよ」と言われ、私達の数える声が銭湯に木霊する。 30秒を超えて頃から、段々早くなり、その先は決まって早回しのテープのようになる。
サテ・・・、風呂を出ると天花粉(古っ!!)をおしろい代わりに塗ったくり、芸者さんごっこが始まり、そこで又キャーキャーの騒ぎになる。 お婆ちゃんは10分10円の(確か)電動按摩器に掛かりながら、そんな私達を見て笑っている。 そして、やはり3分10円(確か)のお釜を被せたようなドライアーに裕子ちゃんと順番に入り、互いの髪の毛がグリングリンねじれる様を見て又キャァーキャァー。 洋服を着替えると待ちに待ったご褒美の牛乳選びだ。
私は何時も決まってフルーツ牛乳。 あの何ともいえない、摩訶不思議な色あいと、夢のような美味しさが、私は大好きだったのだ。 裕子ちゃんは蓋に王冠が書かれた何とか牛乳。 そして、空き瓶置きの中から、色々な蓋を探し出して、バンダイのお婆ちゃんの許可を得て貰い、二人で分けて宝物にするのだ。 当時は牛乳瓶の蓋を並べ、手の中の空気や【パッ!】と吐く息で蓋をひっくり返して遊ぶ、【ポンパ】と言う、メンコのような遊びが流行っていて、王冠の着いた蓋は最も希少価値で人気があったのだ。 (牛乳の値段の高い順に蓋も人気があったみたいだ) それでも、私はフルーツ牛乳の味の魅力には勝てなかったのである。 その牛乳を、お風呂屋さんの中庭にあるベンチに座って、中庭の池で泳ぐ金魚や鯉を眺め、涼風にあたりながら飲むのが、又格別なのだ。 そして、帰り道には決まって駄菓子屋に寄り、ホームランアイスか、大好きな麩菓子を買ってもらう。
今となっては懐かしく、チョッピリ切ない想い出だ。
何故急にそんな想い出が浮かんだのかと言うと、松本に最近、スーパー銭湯などと言う物が出来、ものは試しと行ってみたのだが、余りにも近代的過ぎて、私の記憶の中での銭湯とはあまりにもかけ離れた存在だった。 露天風呂やら、打たせ湯やら、サウナやら、幾つものジャグジーが在り、まるで、何処かの健康ランドのようだった。
やっぱり、銭湯は、木の桶がカラーン♪ と木霊して、番台のお婆ちゃんがニコニコ笑ってて、富士山の挿絵が必ずあり、中庭の池には鯉が泳いでて、そして、サンスケさんが背中を流してくれる銭湯じゃなきゃ・・・・・・。
2003年06月19日(木)
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