晦日、ということばの響きが好きだ つごもり、と読むほう。 やわらかくきれいなことばの群れは 触れていると頭のなかにふうわりと風を送ってくるようで。
のみほしたかったな たくさんの うつくしいことば。
そうやってきれいな水を取り入れるように 受けとるものをすこやかに正しくしていったら 暮らしていくのが正しく楽になるんじゃないかと ……そう思うように。 身体の内側の変化や外からの刺激に敏感なら わるいものを見分けられる感覚を学ばなくちゃと思った。
……自分なりの、今この状況との、つきあいのしかた。 お薬じゃ治らないと宣言されたあのショックはとうぜん残り ……病気なら治せばいいけど性格じゃ治らんよ、って。 好きで病気かという答えの出ないところに今もいる。
でも読書傾向が変わったと思う。 そういうところがたしかに ちょっとずつ変わったかなと思う。
散乱する室内にぼんやり座り込んでいるのは相変わらずだけど。
だいじょうぶ だいじょうぶ
きっとだいじょうぶ。
つごもりの先。 好きだったわけは、篭る、ということばとも 繋がっているからだった。
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あまり楽な日ではなかった、かも知れない あついしね 今日もやってきたねこを そっとなぜてみた、少しだけ。 やわらかくなっていくチーズの半分。
借りてきた映画をねころがって見ていて 外に蝉の鳴き声。
気がつくと殺された息が暴れていて 不穏な気配がかぶさってくる ああ、このイメージは ゆっくりと落ちている兆しだ
少しこれからへの準備を構える。
準備、
行動化も遅刻も着替えられないことも 落ちていくところに加速度をつけがちなので そういう暗いものから自分をきちんと隔てていく。 くるしいことは身体が背負ってくれる傾向から 少し遠ざかりたくてもがいているのだったよ。 あたし。
おくすりがそれを手伝ってくれるのなら ほしいな、と思う、息の苦しい一日のおわりに。
苦しいな。
うん。
苦しい。
7月31日、夜
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