『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2004年08月07日(土) 白い向日葵

個人的、なつやすみ、です
年中お休みじゃないかという話もあるけど
かなりむりやり(笑)所在不明でおやすみをつくってもらってしまい、
昨日うまれてはじめて目の前でくりひろげられる花火をみる。
ああ音があるなと、そうして色があるなとただ眺めてただ感じていて
ごはんを食べるのをいつかわすれる。
一年近く絶っていたお酒を飲むことを自分に許してみた、
おなかのなかにそれだけ、よわいよわいアルコホルが血液の中をめぐるが
夜の空気とどっちがいったい毒気が強いんだろうかと。
……たのしくなければこんなものはいらない、もしくは
自分でわからないくらいのかなしみをたぷたぷと
からだじゅうに張り巡らせているんじゃなければ。

たぷたぷゆれて、うたをうたう。
のぼってきえていく、たくさんの音。

つぎつぎにひゅるひゅるまっしぐらにのぼる花、
いつのまにこんなに鮮やかな色がどこにでもあるようになったんだろうと不思議になり
それは気がついたら極彩色だった花屋の店先に挿されたスイートピーのようだった。

白い花火が好きなのです
白い花が好きなのです
むかしび。

けれども。
ビルの狭間からみたあのまるでひまわりのようなまったく黄金色そのもののまるい花も、また、
記憶の中でどんどんその鮮明さをましていくみたいで
ぼくは、なんだか、思い出しては息苦しくなってきてしまうのだった。

道行くむすうの女の子たちの浴衣をその帯の結び目をいいなあと横目で見やりながら
自分では白いワンピースでひとりうたっていました。
ひらつく白いガーゼの裾はジェーンマープルのワンピース、
少しだけ自分に気合いを入れるために身を包むもの、
そうしてきっと愛している、すこしだけ愛している。
ボーン入りのコルセットでカラダを締め上げてみること。
きつさがたりない、くるしさがたりない、
白、白、白ばかりの「わたし」をつくる。

夜というのはひとのことをあんまり際限なくひとりにかえていくけれども
同時にすこしだけみずから道をふみはずしてみると、
そこにはいつもじゃ触れられないようなぬくもりが横たわっていて
鬼気迫るくらいの近しさを投げ与えてくれるのも夜なのかもしれない、と
ひざをかかえて座りながらばくぜんと思った。
道をふみはずしてみるのは、それなりの、一種独特の覚悟がいるんだけれども
そうして踏み外した先にほんとうに「something in the darkness」なんかが
あるのかという保証もないのだけれども、それでも
ぼくは道を、踏み外さずにはおれなかったので。

なにか、みつけたのだろうか。
てのひらのなかは
たよりなくからっぽで
血のかたまりだけがのこり

さいはひは、ときたま形となってあらわれる
あるいは、かたちのなかでしか感じられず
臆病でわがままなぼくたちはたとえ形骸にだって固執したい。
そんなときも、、、、あったりしないだろうかって、

いつまでもそうやって膝を抱えていた。
動きたくない理由は曖昧でよくわからず
だけど隣にいるこのひとがもしもその同じようなかけらを
少しでもほんのわずかでも、感じていてくれたら
いいと思った。
今だけでも。
もうこれで、さいごだとしても。

明日なんかあんまりちっとも信じられないばかものはただ、
誰のものでもないここにいさせてと体中で思っていた、
のかも、しれない。
頭なんかじゃないところで
脳なんかが、考えも及ばないような、ところで。

……でも終電までには帰らなきゃ行けないなあとそこは反省しました、はい。
どれだけ狂いそうに名残惜しくともぼくはだれのものでもないし
なにものでも、ありはしない。

夏の夜は、ながくて、ながくて、
果てしがなくて
終わりが近づいてくると僕はまたいつも
染めあけはじめの気配をうらみたくなるのだった

今日が、終わっちゃった。

なんとかぶちこわれそうになりながらもこのたったひとつきりの夜に
つきあわせてくれたものぜんぶに、
愛を込めて。

いつかまた
笑えたら。


8月8日、朝  真火

参考、宮沢賢治「インドラの網」、芥川龍之介作品考様々


 < キノウ  もくじ  あさって >


真火 [MAIL]

My追加