正確に言えば真夜中にお茶をのむのではなくて お茶を沸かしている……深夜な台所でくつくつお湯をたっぷり。
ホームページのプチ日記では前に書いているんだけども うちでのむお茶は二種類あって のみたいときにその都度いれる、紅茶だの緑茶だの中国茶だの謎のお茶だの (ここ数年でつちかってしまったお茶好きのせいで謎のブレンド茶がたくさん) そういうのと別に、大きなやかんに作りおきしておくやつ。 2リットルくらいいっぺんに作ります。 ふつうのゴカテイならば「麦茶」などにあたると思う ただ、うちのは「黒姫山草茶」なるもので ……なにが入っているんだろ、あれ。
熊笹、ヒキオコシ、ヨモギ、ツユクサ エビス草、ハトムギ、クコ葉、甘茶
だ、そうです……熊笹に、ツユクサ??
つゆくさってつゆくさでしょうか。 ……そんなものをのんでいたのかと自分で驚いてれば世話ないね。 自然食品店の類に行かないと手に入らなさそうです、見るからに。
なんだか急に「いやいやほいくえん」の気分。 ああ小さいころにすごくお気に入りだった本で くまの子がほいくえんに入園してくるのですが そのくまの子がほいくえんに持ってきたお弁当が 「笹の葉っぱでくるんである、くるみの入ったおにぎり」 だったのです……笹は海苔のかわりじゃなくて お弁当袋と思います。経木のかわりみたいな。
笹舟であそんだ記憶とくっつけてもかまわないはずなのに ここで「くまの気分」がどーんと出てくるあたり 本で育っていた子どもであったのかなと、ふと感じたり。
などなど書いているうちにお湯は沸いたのでティーバッグを放り込みました。 朝になったら誰かがのむでしょう。 眺めてみたらほんとにお茶らしさがないティーバッグで わたしんち文化のそとからきた人にはさぞ奇怪なのみものであろうと あらためて思いました……この場合そとからきた人というのは おおむねわたしの相棒さんを指すのですが。 思えば渋い顔をしていたかもしれない、 最初にこのお茶をとうぜんみたいにわたしが出したとき。
それにしてもお茶を沸かすくらいしか最近能がないみたい。 もしくは家庭内で暮らしている意味がない。 うちの人とほとんど顔をあわせないせいも大きく。
苦手だから。 食卓というやつも。 それをつくるために注がれてくる意志も。 我慢するけど、おつきあいもするけど でもたまに悲鳴をあげたくなる わたしをほうっておいてといいたくなる。
繰り返される 愚痴と不満と悪態と、 浴びせかけるみたいに どんどん落ちてくる きりがない。 きりがない。
……そのなかで育ったくせにどうして慣れることがないんだろう。
渦巻いているもの、 それは単純に嫌いというより愛憎と呼ぶのだと、思う ねじれきっていて自力でうまく出てこられないところ。 そこに座っているのがわたしじゃなくてもいいと痛切に思う でも代わりに座ってくれる人間を見つけられなかったから 座っている。今も。それが私たちの「習慣」なのだから。
……なぜお茶の話からこういうところに降りてきてしまうのか。
おなかがすいたらお茶を飲めばいいと思っている。 記載できるような栄養はないけど あたたかくからっぽのおなかに落ちていく すべらかに満ちるたっぷりした液体。
本と映画とお茶とおふとん、 それから女の子、少々のおくすり。 わたしが今すきなもの、 なくちゃやってゆけないもの。
あとはともだち。 リセットするためのシャワー、 いくらかの音楽、 真夜中にひとりでいられること。
ほかにほしいものなんてない。 必要だなんて嘘はついてあげない。 無論、あなたも。
いらない。
2004年7月22日、未明 真火
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