| 2003年06月08日(日) |
「北京ヴァイオリン」 |
休日。
映画を見に行ってみた。 北京ヴァイオリン、というの。
とてもシンプルな話です。 悪いひとが誰一人として出てこない。 とてもたくさんの迷いや揺れ動きがあるけれど でも、シンプルな思想と人生。
中国の南のほうの田舎で料理人をしているお父さんと、 ヴァイオリンの才能を持った息子。 二人で大都会の北京に出てきて、 コンクールに入賞し、音楽の先生を見つけ、喧嘩し、仲直りし、反抗し、別れ。 走り回る。 ぜんぶは「成功」を手に入れるため。 カネとコネがない奴にはやるだけ無理だというふうにできてしまった都会の現実と みっともないくらい、図々しいくらい、息子のアピールのために あらゆるところに踏み込んでいく、「パァパ」。 これは、古きよき田舎のひと? 日本にもかつてあったかもしれない、中国には今でもこれがふつうなのでしょうか。 子どもには疎まれ恥ずかしがられそうなまっすぐな振る舞い。
血は水より濃いのよ、とさらりと口にした蓮っ葉にも見える近所のお姉さん。 そりゃそうだね……と、パァパ。
成功ってなんなのだろう、とか 音色の心ってなんなのだろう、とか そういう小さな疑いをさしはさみつつ。
いちばん憶えているのはヴァイオリンを弾いているときの少年の顔だった。
楽譜を見ないの。 指も見ない、 誰も見ない、 空中も見ない。 ただ頭の中をみている。 そこでは、音が、手に触れるくらいかたちになっているんじゃないかと思う。
わたしには音楽の心得はまるでなくて それが悔しいと思うのは、こんなときで
自分で音、というものをつくれたら、よかったな。
そう思う。
人間としてはできそこないだと自分で自分のことを言っている 最初に出てくる音楽学校の先生が好きだった。 捨て猫ばっかり拾ってきて、部屋の中はぐちゃぐちゃで、いかにも偏屈で 愛なんかなくても音楽があればいいと嘯いて ごみだらけの部屋の中にヤマハのピアノだけ一台どかんと置いてあるの。 そうして楽器なんか触らないくせに 少年と同じ顔をして音を見ていた。
好きな映画、とか見たい映画、というのは探してみれば割合にぞくぞくあるほうだけど 住んでいるところが都市部から微妙にずれているので ミニシアター系の劇場はほとんど全滅。 数年前まで地元には映画館がなかった。 たまに「2週間限定公開」と銘打って、出張映画にやってくるので そういうときは気合を入れて見に行くべし、ということになる。 お金はかかるけれども、大きな音も苦手だけど レンタルビデオより映画館。
All about My Mother、とか ロッタちゃんはじめてのおつかい、とか 山の郵便配達、とか
今週からは「wataridori」がやってきている。 知り合いの方の、おすすめの映画。
……ひとりで映画を見に行けるようになるのはささやかな目標のひとつです。
それにしても、外にずらっと並んでいる10箇所以上のポスター宣伝 ぜんぶがぜんぶ、マトリックスリローデッドだったのにはびっくりしたな。 見渡すかぎり、ネオ・トリックス・ネオ・トリックス、、、、、、 いくら劇場が8つ集まっているとは言っても 1日13回上映とは、なんともすさまじい話。 日曜日の映画館はぞくぞくと人で立て込んでいる。 誰が、誰と、どんな顔をして、 この映画を見に来ているんだろう。
7つくらいの小さな男の子が、私の身長くらいありそうなポスターを指差して 「トリックスー!」 と叫んでいた。 ああこんな小さな子にも人気があるんだな。 ちっとも知らなくって感心した瞬間。
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