| 2002年11月29日(金) |
EUREKA[ユリイカ] |
きのう、ほんとうに数ヶ月ぶりに 朝からバイトに出られたので、 そうして人を待っているあいだに発作を起こしてしまったので その反動もあってか、今日はもとの日々に戻っていた
朝から夜まで眠りつづける日
バイト先の図書館 毎日からだが動かなくて遅刻ばっかりなわたしを 雇い続けてくれてほんとうにありがとうございます、と お礼を言うしかことばがなくて 卒業生で、一年目は要求以上にきっちり働いていたからと言って その貯金でここまでしてくれるところなんて今どきない、って わかっているからこそ あったかいバイト先はうれしい、行くのは心身ともに負担だけど 行けて、きちんと精神がしっかりしているときは うれしい
一方で主任さんが入院してしまったきり帰ってこなくて さびしい思いをしています いないとさびしいと言ってわたしを雇い続けてくれる主任さんが いないのは、やっぱりさびしい
みんな、そういうふうに思っているみたい 声には出さないけど どうしているんだろうと気遣いながらからっぽのデスクをみてるみたい
もっと冷たい場所の方が多いんだよと 教えてもらわないとわからなかったかも知れないけど このあたたかさがありふれていないのは 自分が環境に恵まれているのにありがとうと言うのと逆に すこし、すうすうとせつなくなることです
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きちんと起きていることを諦めてから 青山真治の「EUREKA」を読んでいた。 何年か前のカンヌ映画祭で有名になった映画を小説化したもの 貸してもらってから、もう何ヶ月たつのかな 少しずつ、読み進めてきた一冊の文庫本 古本屋さんで買ったこともあって、角っこの方がだいぶぼろぼろだ
映画のほうも、観に行った 横浜の繁華街の中にある小さな映画館で、だけど中はだいぶん広くて お客はほかに数人しかいないで、受付の人もぶっきらぼうだった そういう映画館にも行きはじめた頃 まもなく。 卒業式の後だったと思うから、もう二年近く前の話になるけど お話と映像の思い出は、あまり途切れていない 昨日のことと一昨日のことと二年前のことにたいした違いのない自分の記憶 こういうときは便利なものかなとも、思う 昨日がたとえ、遠い遠いむかしに思えてしまっても 遠いむかしが、今起きたばかりのように思えたとしても
季節といっしょに十回分のその季節の記憶が 365日に貼りつきながら、わたしの上に ふりそそいでくるみたいなんだ
映画と小説は同じ話で、ちがう話だった ちがう話で、おなじ話だった どこまでも陰惨でどこまでもどろどろとしていて これで一体どうするのだろうと心配しながらわたしは読んでいた 電車の中で、おふとんの中で、こたつの中で 台所のテーブルで、真夜中に 淀んだ水みたいに濁って足に絡みつくその文字の並びの中でもがいていた 重たい、重たい、 逃れられないのは日の光だと何度もくりかえし唱えられる、そのお話の中で わたしは本のページから立ちのぼってわたしを絡めとる、でろんとした 泥みたいな触手から逃れられなかった
けれど読み終わったときには、 きもちよく風に吹かれているみたいだった 清涼剤みたいな最後だった 映画とおんなじ、外に出て行ったら真っ暗に夜になっていて 自分と世界とかじょきっと切り離されてしまったみたいで驚いたあの日 それに通じるなにかの風が 小説のおしまいにも、吹いていたみたいだった
生と死のさかいめでもがいている どうして越えては行けないのだろう どうして越えさせてはいけないのだろう そんな人たちの話 半分生きていて、半分死んでいる 半分は捨ててしまった、半分は殺されてしまった、 残りの半分だけがどうしてだろうと思いながら生きている
そんな人たちの
また その足で地面をかんずることができるかも知れないと
そう思えるときまでの はてしなく大きくて そうしてとても小さな たくさんでひとつの 短い
長い、ながい、お話
まなほ
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