『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年04月13日(土) 「それはとても晴れた日で」


「 ひこうきぐも 」



  よく晴れた日で
  あなたはどこにもいなかったけれど
  わたしは生きていた
  たしかに


  こころが
  脈打っていて、その数をかぞえて
  すこしだけ満足した
  薄くて仕方のない信仰


  どこかへ行きたいと言った
  出まかせでないうそを投げだして
  あなたでないところに行きたいと言った
  帰るところのないもの


  つまづいた数だけ
  くぼんだオレンジの実
  いくつ並べても
  狡かったわたしを叱らない
  やわらかく囲われて目を閉じるあなた
  遠目から憎んでいた
  朝と昼と夜とに
  何食わぬ顔で投げやりに手をふる


  誇らしげな太陽、地面へと落ちた。


  あなたが剥がれて
  ジャムになって
  壜詰めになって売られないように
  こころを砕いて注ぎかける
  そのようなわたしが
  たしかに生きていて、そうして
  鳥の目を得て


  よく晴れた日に
  あなたのいない場所をえらんだ
  生きているわたしが太陽をあびて
  息をしていた



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はんごんそう、という草があって
それはとてもあかるいまぶしい黄色をしたコスモスみたいな花で
5月になると、あたしが乗っている東海道線の沿線のところどころが
その花の群れでまっきいろに染まります。
そのまっきろの塊をみるたびに
あたしは電車から飛び降りてそのなかにうずもれてみたいと思います。
はんごんそう。

魂を反す草、と書くそうです。



目を覚ましたときあなたはどこにもいなかったけど
あたしは
まだ
おひさまのあとを行こうと思います。


4月11日。沿線にはまだ、その花はひとつもありません。




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 からっぽのコミュニケーションはたしかに何も意味をなさないかも知れない、
 だけど、そのからっぽなカタチをもらえて、はじめて、
 この言葉の向こう側にあなたがいることを
 ぼくは
 知ることができたから。



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